第8話 イジメからの脱出 ―鬼門二中にて―
マサは、今日も校門の前で深呼吸をした。
鬼門第二中学校の重たい空気は、朝の空の青さとは裏腹に、彼の胸を押し潰すようだった。
教室に入ると、すぐに視線を感じた。
津田、山内、木村、そして藤井——いつもの4人が、ニヤつきながらこちらを見ている。
「おはようマサくん。今日も元気そうだな?」
津田がわざとらしく笑いながら声をかけてくる。
その言葉の裏にある冷たさは、毎日聞き慣れていても、慣れることはなかった。
ノートが破られ、椅子に画鋲が仕掛けられ、ロッカーの中には汚水入りのバケツ。
マサは耐えていた。でも、限界は近かった。
だが、ある日。彼は一つの「方法」を思いつく——
それは、誰もが予想しなかった“静かな反撃”の始まりだった。
その日、マサは早朝に登校した。まだ校舎は静まり返っており、先生も生徒も誰一人としていない。彼はゆっくりと自分の席に向かい、ポケットから取り出した小さなICレコーダーを机の引き出しの奥にそっと仕込んだ。
彼の「静かな反撃」は、証拠を集めることから始まったのだ。
数日間、マサはただ耐え続けるふりをした。相変わらずノートは破られ、机には落書きがされ、嫌がらせは続いた。けれどマサの目には、かすかな光が宿っていた。
放課後、人気のない図書室で、マサは録音を再生してみた。津田の声、山内の笑い声、藤井の罵声……すべてがはっきりと残されていた。
「これで……終わらせられるかもしれない」
次の日、マサは意を決して職員室へ向かった。
緊張で汗ばむ手でドアをノックし、担任の坂本先生の前に立った。
「先生、話したいことがあります。証拠も、あります」
坂本の顔が険しく変わる。マサは机の上にICレコーダーを置き、再生ボタンを押した。
数分後、沈黙の中で流れる録音が終わると、坂本は深く息を吐いた。
「マサ……よく勇気を出したな」
その一言に、マサの胸に溜まっていた何かが、すっと軽くなった気がした。
——だが、この「反撃」は、まだ始まったばかりだった。
桜の花びらが風に乗って舞うころ。土曜日の午後、健太はふと思い立って、自転車をこいで町を少し離れた場所へ向かった。
目指すのは――鬼門神社。
生徒との距離も少しずつ縮まりはじめ、クラスにもようやく笑顔が見えはじめたこの頃。だが、あのボサボサ頭の少年――相馬大地だけは、いまだに心を開こうとしない。
「兄貴が持ってた“秘密の大冒険”って雑誌。あれ、鬼門神社で拾ったらしいんすよ」
放課後、大地がぼそっとそう呟いたのが気になっていた。
神社は小高い丘の上にあり、苔むした石段が続いている。人影はなく、鳥居の向こうに広がる境内は静寂に包まれていた。
健太はふと、境内の隅にある古びた絵馬掛けに目をやった。
風に揺れる絵馬のひとつに、小さな字でこう書かれていた。
「兄ちゃん、帰ってきてよ。――大地」
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
そのとき、背後から足音がした。
「……やっぱ、来たんすね。先生って、わかりやすい」
振り向くと、そこに大地がいた。制服の上着を脱いで、丸めた手に小さなカバンを持っている。
「ここ、兄貴とよく来てた場所なんす。俺がまだ小さかった頃……。あの雑誌も、ここに隠してたらしい。探せば何かあるかと思って」
健太は静かにうなずいた。
「そっか。でも、たぶん“探す”んじゃないんだと思う。“思い出す”場所なんだよ、ここは」
大地は目を伏せて、絵馬を見上げた。
「兄貴……不登校になって、そのまま家出して。今でも、どこにいるか分かんない。でも、あの本だけは俺の部屋に残してた。意味なんてわかんなかったけど、なんか……泣けてきて」
「それでいい。意味なんて、後からついてくる」
健太はそっと、大地の隣に立ち、空を見上げた。梢のすき間から光が差し、二人の影を伸ばしていた。
「思い出ってな、誰かと共有して初めて形になるんだよ」
しばらく沈黙が続いたが、大地がポツリと口を開く。
「先生、さ……来週の土曜、クラスのやつらとここに来ないっすか? 花見でもして、バカ話でもして。兄貴が好きだったような、しょうもない話を」
健太は微笑み、力強くうなずいた。
「いいね。それ、きっと――“秘密の大冒険 vol.4”になるかもな」
鳥居の向こうで風が吹き抜け、桜の花びらがふたりの間を舞った。
――思い出は、まだ、これからつくられていく。
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