そうだ。天国に行こう

爆撃機

前編


「やっと家に帰れる…」


 大荷物を両手に持った俺は自宅へと急いだ。

 相手方とは話し合いが終わり、なんとか納得してもらえた。


 ただ一つ言わせて欲しいのが、こちらが譲歩してるのだから、相手方も少しは歩み寄って欲しい、ということだ。


 こちらからお願いしているのだからそんなことは言える立場ではないのは分かっているが、内心は不満でいっぱいだった。


 俺は娘のために汗水垂らして働いてる。

 それをあんな風に……


 今回の件でここに来ることはもう二度とないだろう。


 とにかく、早く家に帰って娘に会いたい。


 うちは俺と娘の二人暮らし。娘は後2ヶ月もすれば高校3年生になり、受験期真っ只中となる。


 そんなときにこんな面倒ごとを……


 家を空けている間は俺の両親が娘の面倒を見てくれていた。


 タクシーを呼びたいが、金がない。

 電車とバスで帰るしかない。


 ここでの生活で金を使いすぎた。

 でもそれは仕方がない。自由のないここの生活で、唯一の楽しみは食べ物や雑誌くらいだったからだ。


 バス停で待ちながらスマホを開く。

 久々に見ると、着信やメッセージが大量に溜まっていた。


 中には上司から怒りのメッセージが届いていたりしたが、仕方がないだろう。

 

 そうして若干イラついていると、程なくしてバスが来た。


 席は空いておらず、俺は大荷物を持って立つこととなった。


 学生や若い社会人は俺のことなど知らんぷりして座り続けている。

 普通、“どうぞ”とか言うだろう。


 うちの娘なら必ず譲る。

 

 全く、教育がなってない。親の顔が見てみたいもんだ。


 うちの娘は本当に優しくていい子だ。


 娘のためなら俺はなんだってできるし、娘を幸せにするためにこれからも生きていく。


 せっかく家に帰って娘と会えるというのにイライラが募るばかりだ。


 駅の近くのバス停に着き、バスを降りる際料金を払おうと財布を出した。

 すると、後ろに並んでいた若い男が“小銭なら用意しとけよ”と呟いた。


 仕方がないだろう!

 両手が塞がっていたのだから!


 それにお前が俺に席を譲っていれば、小銭だって用意できた!


 本当に最近の若いやつは。



 イライラする。



 駅に向かうためバス停から少し歩き、横断歩道を渡っていた時だった。


『救急車通ります、救急車通ります。歩行者の方は道を譲ってください』


 サイレンとともに救急車が横断歩道の手前で止まった。


 すでに横断歩道を3割ほど進んでいた俺は、今から引き返すのも勿体なく感じ、そのまま渡ることにした。


 他の人は小走りで渡っていたが、大荷物を持つ俺は走ることができない。


 すると救急隊はあろうことが俺に文句を言ってきた。


『人の命かかってんだ! 道を譲れ!』


 なんという物言いか。

 俺だって早く渡りたいが、この大荷物なのだから仕方がないだろうが。

 見てわからないのか?


 これだから筋肉ばかりの地方公務員は。


 あとで消防に苦情を申し立ててやる。

 

 そうして俺は荷物を下ろすとスマホで運転手の救急隊員と、救急車のナンバーを撮影する。


 国家権力の濫用は許されない。

 これは国民が権力から自分を守るための正当な行動だ。


 無礼なことに救急隊はクラクションまで鳴らしてきた。

 たかが数分遅れたくらいで命に関わるものでもないだろうに。


 大袈裟なやつらだ。


 写真を撮り終えた俺は横断歩道を再度進んだ。6割ほど進んだところで、救急隊はこれ見よがしに俺の横スレスレを通り過ぎていった。


 俺は救急車に向かって“無礼者”と異議を唱え、駅へと向かった。


 なぜ今日はこんなに腹の立つことばかり起きるのか。



 電車に乗るとまたもや若い奴らは知らんぷりだ。

 ただ家に帰るだけだと言うのにイラつかせることしかない。


 そうしてイライラしていると、俺のスマホから大音量で着信音が流れた。


 一体誰だ?

 電車の中で恥をかいたじゃないか。


 そうして画面を見ると母からの電話だった。


 今は電車の中だ! 出れるわけないだろう!


 すぐさまマナーモードにして電話を無視した。

 それからも1分以上も着信は続いた。

 いつまで掛けているつもりだ。


 おそらく俺が今日家に帰ることを聞き、電話をしてきたのだろう。


 俺の最寄りここから2駅。

 すぐ家に帰るから、待っておけ。



 電車から降り、自宅へ向かう。

 時刻は14時30分頃。


 早く娘を抱きしめたい。

 あいつもきっと俺の帰りを待っているはずだ。


 家に着くと、今までのイライラが嘘のように期待と喜びで心が一杯になった。


 俺は玄関戸に手をかけ、ドアノブをひねる。



 開かない。


 イラっとしたが、防犯意識はいいことだ。

 このご時世、変な奴が多い。

 さっきバスにいた若者たちなど、何を考えているか分からない。

 

 ああいう奴らがきっと突然刃物で人を刺したりするのだろう。


 まぁ娘もいるし、鍵をかけておくことに越したことはない。


 そして俺はインターホンを押下する。


 応答はない。

 何度押しても応答はない。



 買い物か?

 父さんも母さんもいないのか?

 休日だから娘はいるはずだが、友達と遊びに行っているのか?

 それとも図書館で勉強している?


 俺が帰ってくるのは聞いているはずなのに…


 一体どうしたのだろう?

 そういえば母さんから電話があった。

 もしかしたら3人で買い物に行くという知らせだったのかもしれない。


 そう思って母さんに電話をかける。




『アンタ! やっとかけてきた!』


 なぜそんなに怒鳴るのか。

 俺は腹が立った。

 しかし大人の対応で穏やかにどうしたのか尋ねる。


『舞が救急車で運ばれたんだよ!! 早く病院来な!! 第一病院だ! 今救急処置中だよ!』

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