SNS狂騒曲

暁 ミラ

第一楽章 Andante 二つの乱雲

第一楽章 二つの乱雲


 ある晴れた日の4月、校門の樹齢100年以上とされる太い幹の桜の下で、集合写真の撮影が行われた。

晴れやかな笑顔で写真に収まる数組の父母とその息子たち。両親の多くはこれからの息子の活躍に大きな期待を寄せているであろうことは、彼らの社交的な明るい会話で容易にうかがうことができる。

その反面、水面下にて、彼らの体面を良く見せる戦いの火ぶたが切って落とされていることは、彼らが身にまとう高級なスーツ、宝飾品、シューズ、バッグ、迎えの車によって、如実に表れていた。


ここは私立東光学院高等学校男子部。偏差値は中の上、といったところ。

もともと小学校、中学校は男女共学として存在する神奈川の名門校で、高校からは男子部と女子部に分かれ、毎年数多くの生徒が、最高学府をはじめ、名門国公私立大学への進学を果たしている。

また、この学校はスポーツも盛んで、スポーツ推薦によってプロ野球やプロサッカーチームへの推薦も多い。学生のうちから子供をユースチームに所属させ、プロコーチの指導のもと、練習に明け暮れさせる親も多く、華やかなスポーツ界にその息子の名前を刻ませたい親にとっても、とても魅力的な環境であった。



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 相模原駅から車で15分ないしバスで20分の距離、畑の多い平地に立つ広い庭付きの大きな一軒家。


「ああ、疲れた。うちの子、大丈夫かしら?」


清水 優実(41)は、玄関にフェラガモの靴を無造作に脱ぎ捨て、そのままにして革張りのソファに寝そべり、両足をぶらぶらさせて足の疲れをとるのに専念している。彼女のお気に入りである細幅のフェラガモは、彼女の足にとってはまるで拷問のような痛みを伴うのだが、美しい体面を保つためにその苦痛をひた隠しにすることは、彼女にとっては慣れたものだった。

息子の和也は自室にこもってしまい、いつも通り、部屋の内側から鍵をかけている。彼はおそらく、夕食の声がかかるまで出てこないであろう。

寝室から出てきた彼女の夫・達也(50)は、もうスーツを脱いで黒い作業着に着替えている。


「大丈夫だろ。 行ってくるから」


そう言って彼は出て行った。その際にさりげなく、汚れた作業靴で優実のフェラガモを玄関の隅に押しやって出ていったことを彼女は知らない。


 達也は、神奈川県下でもっとも大きな廃棄物回収処理会社の社長だった。父親の家業をついだ二代目社長であったが、業績は現状維持。下降もなく、上昇もない。つまりきわめて安定していた。

経済的安定のために、16年前にそんな彼を選んだ優実であったが、結婚した夫の仕事を少なからず軽蔑しており、結婚直後から夫の仕事について問われる周囲からの詮索の目を避け続け、ひた隠しにしてきた。彼女の気持ちを嫌なほど理解する達也は、否定も肯定も全くしない態度を長年とり続けていた。結婚16年目にさしかかるものの、夫婦関係はもはや皆無、食事をともに過ごすことすら滅多になく、したがって会話もほとんどない。

和也という一人息子の存在と、妻である優実が求めるだけのお金を与える点が唯一、彼らが夫婦である証拠となっていた。

であるから、「うちの子大丈夫かしら?」という、お金のやりとり ”以外” の内容であるこの夫婦の会話は、実際とても珍しいものだったのである。


 優実はソファーに寝そべったまま、スマホのSNSを開いた。そこには目の大きな可愛らしい自分の写真がいくつも公開されている。名前は ”湊 あかり”。

肩書は、美容ファッション誌Sissy読者モデル、FC横浜ユース応援中、アスリートフードマイスター。 彼女はもともととても小柄で地味な女性だったが、達也との結婚後に莫大な金額を投資してその顔と全身のいたるところに整形手術を施し、現在は目の大きい加工画像のような愛らしい顔を素で体現していた。

息子の和也はあまり出来の良くない子供だったが、なんとかFC横浜のユースチームに引っかかり、入団を許された。それが優実にとって大きな自慢の種で、息子を応援する美人妻でモデル、という強烈な印象をSNS上で展開させることに成功していた。

実際SNS上で見られる彼女の写真は、プレー中の息子の写真はごくわずか、ほとんどが近距離で撮影された彼女自身のアップの顔や全身のアングル。それに付けるキャプションは「今日も息子のお弁当作り!」や「今日は読モの撮影があって大忙し!」などで、それに対して通りすがりの男性から「あかりちゃん、今日も可愛いね」「今日もいい笑顔!お仕事頑張って」「今度会いたい」など、さして重要でもなく若干気持ち悪い様々なコメントが寄せられていた。

それをみて、ひとつひとつの言葉に丁寧な返信を返してゆくのが、優実の日課となっているのだった。



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 岸根公園から徒歩10分の距離にある、小さなマンションの10階。

有山 佳代子(48)は、クリーム色のパンツスーツ姿のまま、部屋にいる息子の健(たける)に声を掛ける。

「たけ? ケーキ食べようよ。一緒に運んで?」

佳代子の声は少し甘ったるく、聞く人によっては ”いい歳してかわいい子ぶって” と思われることもあるのだが、実際とてもあたりが柔らかく、彼女が看護師として務めている病院の患者や同僚達にはしばしば心地よい空気感をつくり出していた。


 健の父親である徹(68)は外科医師だった。大病院内で院長に次ぐ地位であり、はた目にもまぶしい夫・・・であるはずだったが、息子の健は徹の不倫によって生まれた子供だった。気位ばかり高く常に不機嫌な5歳年上の妻に疲れ、その妻との間にできた二人の息子は成人して独立、しかしながら長年変わることない昼夜問わずのハードワークに心身をすり減らし・・・そんな最中にであったのが、優しい佳代子の存在だったのである。

佳代子と健の存在によって、夫婦間にクレバスのような深すぎる溝ができたものの、妻は頑として徹との離婚を拒否し、佳代子との再婚を許さなかった。

徹が稼ぐ金のおおよそ半分は妻のもとに流れ、70過ぎた妻は老体に鞭を売って、必死でその金を使って毎月欧州に赴き、贅沢三昧の日々を送っていた。それは夫・徹と、暗に佳代子母子にその贅沢ぶりを見せつけることが目的であったが、実際佳代子には風の噂できく程度の話であり、ほとんど徹のみへダメージを与えるに留まっていた。


 一方佳代子は、結婚を切実に夢見る女であったが、それが叶わないことに悲壮感をもったまま向き合っていた。そして息子の健への教育の熱意と、多動症ともとられかねないほど自身を忙しくすることで、そんな悲しみを心の隅に押し込めることを継続していた。そしてその自身のアクティブさを発信するツールとして、常にSNSを利用、毎日更新されてゆく自身の活動記録を、無意識にアピールしていた。

彼女のSNSは極めて華やかなものであり、一体どんな生活をしているの!と感じさせるほど目まぐるしい画像のアップ数であった。アイコン後ろのトップ画面には、健と二人で出かけたドバイの風景が大きく貼り付けられており、過去の画像履歴は、ドバイの砂浜でラクダに乗る健の写真、アブダビのフェラーリワールドにて赤い車を背景に映る笑顔の母子の写真、国内のホールにてピアノを弾く発表会の健の写真、様々な表彰式で祝われる檀上の健、そのほか美しい都心や海外の風景、埋め尽くすほどのたくさんの豪華な美食の写真、等々。


 そんな佳代子の自慢の種である健は、幼少のころからピアノ、野球、サッカーを習っており、勉学と併せてじつに器用にそれらをやりこなし、全てにおいて好成績を残す子供だった。当然FC横浜のユース入団テストにも楽々と合格、東光学院高校の試験もトップの成績で入学を果たしていた。

佳代子はその健の功績を余すことなく写真や動画に撮り残し、つねにSNSにアップすることを忘れなかった。

そのあまりに多すぎるSNSの更新数によって、ある一定数の友人たちからは確実に距離を置かれていたが、その理由を佳代子は理解できなかった。そしてただ避けられて心が傷ついた、という気持ちのみを持ち続け、SNS発信を止めることはなかったのである。

過去に長野県の農家に嫁いだ実の姉から、老婆心として一度、親戚一同が揃う席でその件について注意を受けたことがあったが、佳代子はそれに対して果敢に反論、結果姉とはほぼ絶縁に近い状態となっている。




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