第8話 羽田舞子 ②


夜の静寂を切り裂くように、舞子と栞の足音だけが響く。サービスエリアの喧騒は遠ざかり、二人を包むのは濃密な闇だけだった。東屋から少し離れた場所に佇む一台の車。その微かな光に向かって、姉妹は無言で歩を進める。

「ねえ、お姉ちゃん」

ふと、栞が低い声で問いかけた。その瞳には、拭いきれない不安の色が宿っている。「さっきの、あの『悲しい記憶の抜け殻』って…やっぱり、何か良くないことの前触れなのかな?」

舞子は足を止めず、夜の闇を見つめたまま答えた。「分からない。ただ…強い感情が残滓となって、この場所に漂っているような、そんな気がしたの」

「感情の…残滓?」

栞は姉の言葉を咀嚼する。形を持たないはずのものが、確かにそこに存在したという舞子の感覚。羽田の血に流れる、常人には理解しえない力が、何かを感知したのだろうか。その力が捉えたものが、もし災いの影だとしたら――。

「これから会う鳴海さんたちと、何か関係があるのかしら?」

妹の問いに、舞子は微かに首を横に振った。「今はまだ、何とも言えない。でも、会えば何か、糸口が見つかるかもしれない」

二人の間に沈黙が落ちる。聞こえるのは、夜風の音と、遠くで鳴く虫の声だけ。やがて、目的の車の傍らに辿り着いた。見慣れない車体だが、不思議と警戒心は湧かなかった。むしろ、微かな温かさを感じたのは、気のせいだろうか。

車の後部座席のドアが開き、明るい声が二人に届いた。「舞子さん、栞さん!よくいらっしゃいました!」

満面の笑みを浮かべて身を乗り出したのは、ショートカットが凛々しい水野鳴海だった。隣には、物静かな佇まいの奈緒が、柔らかな微笑みを湛えて立っている。

「こんばんは、鳴海さん、奈緒さん」

舞子は丁寧に挨拶を返し、栞と共に近づいた。初めて顔を合わせる二人なのに、どこか懐かしいような、不思議な安堵感が胸に広がった。

「遠いところ、お疲れ様でした」

鳴海は姉妹の顔を交互に見つめ、親しげに言葉をかけた。その明るい声音は、先ほどのサービスエリアで感じた、重く冷たい空気とは全く異質だった。

「いえ、大丈夫です」

舞子が答えると、奈緒が優しく頷いた。「こうしてお会いできて、本当に嬉しいです。母から、お二人のことは何度も聞いていました」

「お母様…?」

舞子と栞は、同時に疑問の声を上げた。自分たちには、水野姉妹と繋がるような親しい親族はいないはずだった。

「ええ、私たちの母です。あなたたちにとっては…叔母にあたる方、かもしれません」

鳴海の言葉は、舞子と栞の心に衝撃となって響いた。叔母。幼い頃から共に過ごしてきた二人にとって、それは全く予期せぬ言葉だった。羽田の家で、そのような親戚の話を聞いた覚えは一度もない。

「叔母…様、が…いらっしゃるんですか?」

栞は驚きを隠せない声で問い返した。

「ええ。私たちも、まだ全てを理解しているわけではありません。ただ、あなたたちが羽田の血を引く者であり、私たちの家族と深い繋がりがあることは、間違いありません」

鳴海の言葉は、これまで知らなかった血縁の存在を、突然二人に突きつけた。自分たちが持つ特別な力、そして先ほど舞子が見た奇妙な抜け殻。それら全てが、この隠された家族の歴史と深く関わっているのかもしれない。

「もしよろしければ、車の中でゆっくりお話しませんか?あなたたちにお伝えしたいことが、いくつかあるんです」

奈緒の穏やかな誘いに、舞子と栞は顔を見合わせ、静かに頷いた。夜の闇を切り裂き、四人を乗せた車はゆっくりと走り出す。それぞれの胸には、戸惑い、そして微かな期待が入り混じった複雑な感情が渦巻いていた。これから語られるであろう真実が、彼女たちの運命を大きく変えることになるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る