9.150キロを走破した主任

 ───帝都バレンシア


  夜も更け、冷たい空気が吹き込む。

 石造りの風情溢れる建物が左右に並び、

 石畳に沿って連なる街灯の灯りが橙色の弧を描くように続く。


  そこを一台の"M1A2エイブラムス"が

 ゴルゴルゴルゴル──と音を立てて走る。


 「ああ、ここですわ」


 ノアが指さしたその先には──


  まるで時間が止まったかのような屋敷が佇んでいた。

 壁面は灰白の石で組まれ、

 柱とアーチが連なる構造は古典様式の重厚な均整を保っている。

 屋根にはスレートが整然と葺かれ、

 バルコニーや窓縁には、細やかな鉄細工の装飾。


 「まるで文化財だ......」


 ──キュウウィィィィ……ゴロゴロ


   エイブラムスが停車する。

 流石に静かな夜間な事もあってか、

 エイブラムスのエンジン音を聞いた

 オーベルヌ家の使用人たちは何事かと門の前に張っていた。


 「な、なんですか、これは......?」


 「まるで地を這う巨大なゴーレムですわ......」


  使用人たちはエイブラムスを見上げ、

 口々に感想を言い合っている。

 そして、ノアが地を這うゴーレムの上から見下ろすように顔を出すと、

 使用人たちは数歩後ろに下がって首を垂れた。

 

 「ほら、ちょっと手伝ってもらえるかしら?」


  砲塔後部のラックから、荷物を降ろす。

 ハルトも手伝いながら、テキパキと行った後、

 "あの"乗り心地でスヤスヤ寝ている

 ユルグリアを慎重に降ろした。


  使用人に担がれ、荷物と共に

 屋敷の奥へと消えていったのを見送りながら、

 エイブラムスの召還を解除。


  ひと段落付いた時、

 ハルトは改めてオーベルヌ家の屋敷を見上げる。


 「本当に凄いな......」


 「あら、あなたの家も元々これぐらい

 立派だったのですのよ?」


  ハルトが驚愕の表情で固まったのを見て、

 ノアはクスリと笑うと話を変える。


 「それより……本当に、その日のうちに

 着いてしまいましたわね」


  ほっとしたように呟いた。


 「馬車なら三日はかかるのですよ?」


 「ま、まあはやく着いたのは良いけど、

 問題は振動と音だよ……尻と耳がまだ痛い」


 「ふふ……わたくしも、あれに座るなら

 クッションが必要だと痛感しましたわ」


  ノアが小さく笑う。控えめな仕草だが、

 夜気に揺れる銀の髪が、橙の光に照らされてふわりと揺れた。


 「俺はちょっと、このあたり散歩してくるよ」


 「わたくしも同行しますわ」


  ハルトとノアは並んで歩く。

 鼻腔を通ると、少しツンとする程度の冷気。

 両脇に建ち並ぶ家々が月明かりと街灯に照らされて、

 オレンジ色に揺れていた。

 そこはまるで、どこを切り取っても絵画のような風景だった。


 「さあ、2人っきりになったところで......

 色々と教えてもらいましょうか?」


  そう口にしたノアの声音に、ハルトは気圧される。

 この静かな夜の街は彼女にとっては当たり前の光景であって、

 少なくとも感傷に浸る場所ではない、とハルトは理解した。


 「いや、まあ、色々あって、だな?」


 「色々なかったらこんなことにはなってませんのよ?」


  ずいっと迫るノアに、ハルトは首元を隠すように構える。

 少なくともラブコメの距離感ではない。

 また締め上げられてしまうかもしれないのだ。


 「話すと長くなるんだけど──」


 そのときだった。


 ──カツン、カツン。


 乾いた足音が、石畳を打つ。


 曲がり角の陰から、長身の人影がゆっくりと姿を現した。


  金糸のように輝く髪、軍礼装の黒と金。

 目を見張るような端正な顔立ち。

 その青の瞳は、夜でも深く、そして冷たい。


 「......ノア?」


 短く告げられた言葉に、ノアは眉をひそめた。


 「......ノーラン」


  ハルバード・フォン・ノーラン侯爵。

 帝国有数の名門貴族が、何の前触れもなく現れた。


 「ちょうどいい、来るんだ」


  そのまま、当然のようにノアの手を取ろうと腕を伸ばすが、

 彼女はその手の甲をパシッと払いのける。


 「なんだ、婚約者いたんじゃん」


  ハルトの軽口に、ノアは余計なことを言うな、と

 ギロりと視線を向けて、

 そのままの目線をローランに流用した。

 

 「いい加減にして。あなたとはあり得ませんわ」


  毅然としたまま、

 ノアは視線を逸らさずに言い切った。

 

  ノーランは抗弁しようとしたのだが、

 ふと、ハルトと目が合ってしまった。


 「おまっ! 辺境に堕ちたはずじゃ……ッ!」


 「いや、どうもそうらしいっすね」


 「ノアッ! もうコイツとは終わったんだろう!」


 「勝手な解釈をしないで欲しいですわね?」


  ノーランは女性に拳を上げるのに抵抗があったのか、

 またはハルトの再来が気に食わなかったのか、

 怒りの拳を彼に向け────


 ────ゴンッ


  鋼鉄と生肉の衝突。

 ノーランは絶叫しながら右手を庇い、

 ハルトは再度頭を抱える。


 「もう疲れてるのに、やめてくれよ......」


 低い地鳴りと共に、周囲の空気がぐにゃりと歪む。

 夜空が圧を孕み、大地から鋼の咆哮が噴き上がった。


 ──召喚されてしまった。


 M1A2エイブラムス、再召喚。


 「な、なんだコイツッ!!」


  ノーランの拳は、120mm砲を殴っていた。

 当然だが、そんな一撃で砲身は折れない。

 折れるのはむしろ彼の骨だ。


 「すぐ殴るのは本当に、やめた方がいい」


 ハルトが肩をすくめた。


 「……戻れ、M1A2エイブラムス」


  命令を受け、エイブラムスは静かに沈んでいく。

 一瞬、なにか不満げに砲身をハルトに向けかけたが、

 何事もなく霧となる。


 「エイブラムスも疲れるのか……?」


 ぼそりと呟くハルトに、ノーランの瞳が怒りに染まる。


 「懲りもしないで……また召喚したのか……!!」


 「いい加減にして」


 ノアの声が遮った。


  夜気のなか、魔導灯の橙光が彼女の瞳に宿る。

 揺らがない光。毅然とした拒絶。


 「とにかく、あなたの“提案”は受け入れられませんわ」


  ノアはハルトの"首根っこ"を掴んで歩き出す。


 「ちょっ! なにすんの!?」

 

 「興が覚めたの、帰りますわ」


 「痛い痛い痛いッ!」


  カツカツと歩みを進めるノア、

 ズリズリと引っ張られていくハルト。


  ノーランは右手を庇いながら、

 ハルトを睨み、彼もまた気付いていた。


 ──これは一波乱ある、と......

 

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