第7章 夢への応援コメント
凍風疾風さん、ご参加ありがとうございます! はじめましての方ですよね? この企画を見つけてくださってありがとうございます!
語り手の名前を「疾風」としているところから、メタフィクション的な感じを受けました。「疾風」が自身の来歴を語るという形式もあって、途中まで「これはエッセイだろうか、作家を主人公とした小説だろうか」と判断が付かないまま読み進めていったのですが、読後感としては、こういった地に足のつかない夢のような読み心地が魅力の一つだったなと思います。
格調の高さに特化したような文体も印象的でした。現代日本を舞台にするにあって、滅多に見ないような書き方だと思います。最初は「なぜこの文体を選択したのだろう」と疑問に思いながら読んでいたのですが、読み終ってから、この文体が語り手をいわゆる普通の人生から隔離する効果を発揮していたように感じました。
「"ショウガッコー"」という表記などに象徴されていると思うのですが、こちらの作品においては外界が徹底的に異化されているんですよね。過剰な比喩や言い換えが、時として文章の意味を分からなくするんですが、語り手の見ていた世界というのはこのようなものだったのかも知れないと感じました。
個人的には納涼祭の射的のくだりがお気に入りです。ここだけ他と色合いが違っていたため、質感を単調にしないためのアクセントのようになっているように感じられました。
また、語り手のパーソナリティについて色んな仕掛けがあるのも読んでいて楽しかったです。
硬派な文体って、男性的に見えるバイアスが働きがちじゃありませんか? わたし、「姉様」というワードが出てくるまで女性が語り手であると気付きませんでした。ここの手紙のやり取りに一つのターニングポイントがあるように感じられます(今までの孤独に思い悩む描写と違って、ここが「私」と世界を同じくする弟が手紙の相手である、ということも含めて)。最終的に「私」から「俺」への入れ替わりがあるように、読者から見た性別を何度か揺らがせるような描き方が興味深かったです。
また、年齢についてもつかみどころのない感があります。「数十年も文通をしていた」友人がいるのですから、特殊清掃をしていた時点で結構いい歳ではないでしょうか。小1から20年文通していたと限界まで若く見積もってようやく26歳くらい。ティーンの頃から30年くらい文通していたと考えるなら40半ばにはなるでしょう。何となればこれ以上年上である可能性だって全然あります。しかし、わたしが『とある作家の独白』から感じたものは、老いた諦観というよりも、古風な文体に反比例するような若く激しい苦悩でした。
また、話自体は友人の遺体を勝手に回収してエンバーミングした直後くらいで終わっているのですよね。作家としての時期が語られないのです。「第7章 夢」で「私」の存在が終わってしまったと考えるのなら、何なら作家としての時間はゼロに近いでしょう。
時系列に確定しないところが多く、かつパーソナリティがすごくミステリアスなんですよね。
また、こういったことを考えるにおいて、ラストで「私」から「俺」への変質が起ったことは避けては通れないでしょう。単なる入れ替わりではなく、人間としての連続性や小説の主導権自体が移ってしまっていますよね。
わたしは「私」と「俺」が、あくまで分裂しているだけで本来は同義、または「友人」というのは語り手自身の鏡像なのかなーと解釈しました。この作品においては、神殺しや親殺しならぬ、自分殺しが行われているんじゃないか、ということです。俗に死ぬ夢は自身が生まれ変わることを暗示するという話がありますが、わたしはそれを連想しました。
作品の途中で「月と太陽が4回死んで生き返って」という一節がありますが、これはシンプルに「四日が過ぎて」ということではなく、アステカ神話に見られるような世界滅亡と再生の概念のイメージを引用してきているのではないかと思いました。この死と再生を経て、「私」は特殊清掃によって病んだ状態から、その仕事を天職と思えるような状態に生まれ変わります(作品内の表現を使うなら「コペルニクス的な行動の転回をする」でしょうか)。
これと同じように、「私」と「俺」が入れ替わって、「私」を殺すことは、新たな自分への転身という、肯定的な側面を持っているんじゃないかなーと思ったり、じゃあそれなら作中描かれなかった作家としての「私」って実は「俺」なんじゃないかなーと妄想してみたりしています。
読み応えのある素敵な作品をありがとうございました。
第7章 夢への応援コメント
物語の舞台は平成でありながら、どこか昭和の懐かしい雰囲気が漂います。内省的な主人公は鬱屈とした日々をすごした後、特殊清掃員の職に就く。ある仕事で友人の死体を見つけて思わず家に持って帰ってしまう。そしていつの間にか視点が入れ替わり、立場が入れ替わり、求めていた死を与える(与えられる)。
祝福としての文学、というお題から考えると、「死は祝福」という話になりますが、生の祝福が王道であるのならば、死の祝福もある意味で王道かもしれません。
弟も友人も掘り下げが少しなので、関係性が気になるところです。わからないとこも多いですが、古風な文体と深い心理描写は好みでした。
第7章 夢への応援コメント
「私」という主人公の希死念慮を軸に、手記の形をとって場面が推移する心理小説。最後は「俺」に取って代わられつつ、視点をわざとぶらしながら閉幕を迎えます。
一見すると悲劇ですが、これを「祝福」と作者様は定義づけたいのでしょう。深い心理描写への挑戦は大歓迎です。
わがままを言うことが許されるなら、第六章で弟の登場がありますが、盛り上がりがイマイチかもしれません。「独白」という小説ジャンル上、仕方のないことなのだとは思うけれど、せっかくなら弟との会話によって「私」の感情が整えられていく様子も丁寧に見たかったです。
文体としてはかっちりしているように思います。
作者からの返信
わざわざありがとうございます、近況報告にも書かせていただきましたが、やはり展開の仕方が甘かったように思います。
何分これが初めての作品なもので、まだまだ至らぬ点も当然ながら存在していて、それを今から少しずつ良いものへと仕上げて行きたいなと。
第7章 夢への応援コメント
緩急がありつつ、決定的な断絶となるような段差はない、乗り心地が鮮やかな作品でした。例えて言うならば、一線級のスポーツカーに試乗させてもらって、「案外ゆっくり走り出すんだな」と思っていたら、いつの間にか加速していき、鮮やかにコーナーを切ってフィニッシュしたような、そんな作品でした。
冒頭は、人を不安にさせる文章です。「古風な」文体で、しかも「作家の」「苦悩の」「独白」だなんて、余程の思考・技量がなければ今時読む気にさせられないものを、これから書くつもりかしら?と。しかし、第三章で太宰が出てきたところで、なんとなく「この書き手は分かったうえでやっているんだな」という感覚になりました。「作家の」「苦悩の」「独白」それ自体の「厭さ」加減は分かった上で、それでも何か書こうとしているんだろうと。そして、孔子のエピソード(「非常に古風」という捉え方もできましょう)を挟みながら、いつの間にか加速している。この独白をしている「作家」が、太宰の時代でもなく、孔子の時代でもなく、「現在」を負った存在であることが、平成の学校や特殊清掃の職業のエピソードによって明らかになっていく。そして弟との対話。私はそれこそ、「人間失格」のラスト、「……神様みたいないい子でした」を想起しました。きっとホントウなのだろうけれども、他人である読み手に一種の白々しさを与え、しかしそんなことは書き手は恐らく百も承知で書いているであろう、そんなセリフにつながる何かを感じました。そしてラストの幕切れ。一気に「今」の作品として全身を現す鮮やかな文体。お見事でした。
「独白」のどこからどこまでが本当かだなんて詮索するつもりはありませんが、「この作品の最後が見えていたのはいつからか」というのは気になります。書きながらなのか、見えていて書き始めたのか。いずれにせよ、とてもエキサイティングでした。