血濡れた、幽谷家
激流の最中、無悪善吉は呼吸が出来ない状況に陥る。
意識が薄れていく最中、無悪善吉は無呼吸の中で掌に熱を感じた。
(そういや、あの時、暖かったなぁ)
心地良い掌の熱を、無悪善吉は冷たい川の中で思い出す。
その記憶は全く真新しいものであり、意識を失っていた時、誰かが自分の手を優しく握り、語り掛けていた事を、肌が思い出していた。
(……まだ、終わって、溜まるか、よッ)
無悪善吉は両手に力を込める。
一か八か、掌から泥を放出した。
呪いの泥は、一瞬で激流によって掻き消えてしまう。
(おし、出せ……川ん流れに、押し切られねぇ、程にッ!!)
掌が次第に熱くなる。
無悪善吉の体内に取り込まれた呪いの泥が、掌と言う限定的な部分から集中して泥が放出すると、ジェット機の様に無悪善吉の身体が押し出される。
そして、無悪善吉は川の中から飛び出ると、そのまま陸地へと倒れ込んだ。
「がはッ、はッ!!」
背中を強打して、無悪善吉は呼吸が出来なくなった。
大きく息を吸い込んで、新鮮な酸素を体内へと取り込む。
「かはッ……はっ、クソッ、酸素、美味ェッ!!」
久方ぶりに生きている心地を感じながら、無悪善吉は体を起こす。
両手から放出したあの威力、自らの呪いの泥を収斂する事で推進力を付加した技を開発出来たのではないのかと、無悪善吉は思った。
(ただ、獣を真似た泥を作るだけの能力かと思ったが……他の遣い方もあるってワケか)
あの時は、掌に集中した事で、泥の威力を増加させた様なものだ。
これを応用すれば……より、攻撃手段が増えるのではないのかと、無悪善吉は思った。
「……誰かが、俺の手ぇ、握ってたな」
無悪善吉が、それをする事が出来たのは、この呪いの泥に支配されていた時。
彼の意識は絶え絶えで、悪夢を見る事しか無かったが、誰がが彼の手を握ってくれたから、悪夢を和らげることが出来た。
あの時の事をカウントすれば、これで二回目。
無悪善吉は、その手に救われたと言う事になる。
「……考え事は、後だ、それよりも……幽谷ッ」
無悪善吉は急速を終えて立ち上がる。
彼女、幽谷りりすも同じ様にこの川付近へ落ちただろう。
ならば、一刻も早く彼女を探さなければならなかった。
あの蟲の甲冑を着込んだ男よりも早く。
無悪善吉は、幽谷りりすを探しに走り出した。
(大丈夫、大丈夫……)
迷宮内部、砂漠地帯の蟻地獄を抜けた先には、集落地帯であった。
周囲は無骨な岩石の壁で覆われており、端には川が流れている。
そして、砂と土で出来た建物が複数建っており、人が住んでいる様な形跡があるが、其処には幽谷りりすを含めた三人の鴉しか居なかった。
幽谷りりすは、建物の中に隠れていた。
(リゥユちゃんが助けに来てくれる、あの人たちを倒してくれる、私は静かに、待っていれば良い……声を殺して、存在を殺して、昔みたいに)
唇を震わせて、恐怖に怯えている幽谷りりす。
耳を塞ぎ、誰も自分を探し当てないと確証する様に。
存在を消せば、自分を見つける事など出来ない、と。
(……私は、また、あの頃と同じ様な真似を、してる、またリゥユちゃんに迷惑を掛けてる、なんで、私だけ……こんな呪いを持っちゃったんだろう……)
幽谷りりすは自分自身の呪いを深く恨んだ。
殆どの、この呪いの巣窟へと足を踏み入れた者は、その様に呪いを極限まで憎悪している者が多いが、幽谷りりす程、その呪いに関して恨みを抱いている者はいないだろう。
『りぃぃりぃぃす、ちゃぁああん』
数ヵ月前の事である。
幽谷りりすがこのナラカを訪れた時の事。
竜ヶ峰リゥユと共に活動していた彼女は、まだろくに禍遺物を使用する事が出来なかった。
そんな彼女は、一度、竜ヶ峰リゥユと別れてナラカを活動してしまった。
なんてことはない、喧嘩別れである、些細な理由を口論に二人は別たれてしまった。
その際に、幽谷りりすは一人、帰路を歩いていた、その矢先であった。
『きみ、りりすちゃんかい?ああ、こんなところに居たのかぁ……つもる話もあるけれど……今から襲うね?』
烈しい興奮と共に、甲冑の男が声を漏らす。
その声は、紛れも無い、自分の親族であった。
穢れた血が通う幽谷家の一族。
それが、幽谷りりすの人生で恥となる出生であった。
幽谷家。
国内三大呪詛の家系。
近親相姦を行い、絶えず濃い血筋を作る家系。
残虐非道、多くの殺戮を行った時代で外道を繰り返した事で、被害者たちから恨みを買い、末代まで祟られる事を確証された家系であった。
幽谷家に生まれた者は、必然として禍憑を肉体に宿す。
幽谷家はその性質を利用し、敢えて呪いを身に宿す事で、呪いを征し、力に変える術を身に着けた。
その中で、ナラカと言う彼らに適した組織が存在し、活動拠点は表舞台から裏社会へと身を投じる事となる。
幽谷りりすはその家系で生まれ、胤を宿し新たな次世代の子を作る為の男尊女卑の縮図の中で生きて来た。
彼女がその檻から飛び出したのが、半年前、其処で幽谷りりすは友達と出会った。
幸せが、これから先、待ち受けると思っていた、だが。
幽谷りりすに待ち受けていたのは、彼女に執拗する幽刻一族の者たちであった。
「りぃぃ、りぃぃ、すぅぅぅ、ちゃぁあぁぁん」
蟲の如き見た目の甲冑を着込む男。
幽谷一族の中で、武闘派と呼ばれる好戦的な戦闘狂、幽谷轟鬼は特に幽谷りりすを狙う蟲よりも気色の悪い男であった。
(大丈夫……きっと、たすけに)
建物の中で耳を塞ぎ隠れる幽谷りりす。
窓から身を乗り出し、幽谷轟鬼は彼女の姿を認識する。
「みぃつけたぁ、りりすちゃぁん」
仮面の裏から、興奮しきった声色で、耳を塞ぐ幽谷りりすの耳奥へと響く、虐待者の声に、幽谷りりすは目を見開き、涙目を浮かべた。
「ひっ」
窓から身を乗り出し、建物の中へと入る幽谷轟鬼は大きく腕を広げた。
「かくれんぼなんて、無駄だよぉ……君から薫る、オスを寄せ付けるフェロモンが、ぷんぷん匂ってくるから、すぐに何処にいるかわかっちゃった、んふふ、りりすちゃん、この間は、バカ女に邪魔されちゃったけど、今は、二人きり、だネ?」
興奮しながら、両手を擦り付けながら接近する幽谷轟鬼。
彼女は、壁に背を着けて、首を左右に振った。
「ぃや……こないで、……たすけて」
掠れた声で、幽谷りりすは助けを求めた。
彼女の恐怖の表情は、彼にとっては御馳走であった。
「いいねぇ……昔を思い出すよ……ずっと忘れられないんだ、また……オジさんの為に啼いてくれるカナ?」
幽谷轟鬼の魔の手が、幽谷りりすを捕えようとした最中。
「泣くのはテメェだろうが」
その声と共に、幽谷りりすが背を預ける壁を破壊する手が出現する。
ボゴンッ、と壁を破壊し、壁に亀裂が入ると、幽谷りりすの体を掴む。
「来いッ」
そう叫ぶと共に、幽谷りりすは体を背後へと委ねた。
壁を破壊し、無悪善吉の腕の中に、幽谷りりすが抱き上げられた。
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