犬猿、仲が良さそう
「う、ううんっそういう事じゃなくて、だって、無悪くん」
幽谷りりすは衣服で抑え目になった胸元に手を添えて言う。
「私を見ても、別にそういう気持ちになってたりしてないでしょ?」
そういう気持ち、と言う言葉に、無悪善吉はどういう気持ちなのか考える。
手を顎に沿えて、彼女の体を見詰めた末に、彼女の肉体が官能的である事を悟って成程と納得した。
「あ?……ああ、そうだな、まあ胸と尻がデケぇくらいで……言い方悪いが、趣味じゃねえ」
無悪善吉はどちらかと言えば年上派である。
包容力のある女性の方が良いと考えている。
闘いに出た戦士が帰って来た時、その傷ついた体を優しく包み込んでくれる戦士にとっての休息となる女性がタイプだと、無悪善吉は自分自身の性癖をそう認識していた。
人によっては失礼な言い方ではあるが、逆に彼女にとっては丁度良いものだった。
「うん、其れが良いの、結構、私に対してあたりがキツイけど、私そういうのが新鮮で」
彼女程の美人ならば、甘い猫撫で声一つで男性を手玉に取る事が出来るだろう。
自分に対して興味の無い人間が、隣に居てくれて有難いと、彼女は安らぎを得ていたのだ。
「だから、親しみやすいって言うか、心地良いなって……普通の人みたいに喋れるなって」
無悪善吉の存在は、幽谷りりすにとっては好印象な存在であると、そう告げているのだ。
もしも他の異性がこの言葉を聞けば、好意を持つ人間に対してお友達宣言をされて淡い恋心が挫けてしまう事態になっていたかも知れないが、無悪善吉には全くその様な展開になる事は無かった。
「んな大袈裟な事言ってんじゃねぇよ、ったくよ」
普通に人と会話をする事が嬉しいなど、可笑しな人間であると、無悪善吉はそう思っていた。
えへへ、と先程の涙は最早枯れ落ちたのか、彼女は笑みを浮かべて喜びを浮かべる。
そのぶっきらぼうな言い方も、彼女にとっては満点な対応なのだった。
「うん、だけど、それが嬉しいから」
二人の仲が少しだけ進展したかと思われた矢先。
二人の仲に割って入るような声が聞こえて来た。
「ねーえ、ちょっと」
竜ヶ峰リゥユであった。
彼女の呼び声に、びくりと驚いて幽谷りりすが砂の山に向けて顔を見上げた。
「あ、リゥユちゃん」
「……む」
二人が談笑していたからか、若干距離が近い様に見えた竜ヶ峰リゥユ。
砂の山から下りる様に、ジャンプをすると、そのまま無悪善吉と、幽谷りりすの間に割って入った。
そのまま、竜ヶ峰リゥユは幽谷りりすの体を抱き締めて、無悪善吉にはキツい目を向けた。
彼女の行動に驚いたのは、幽谷りりすであった。
「わ、わわ……り、リゥユちゃん?」
自らのふくよかな体を強く抱き締めて、幽谷りりすの頬に自らの頬を擦りつける様な仕草はさながら、ペットがご主人に対して自分のものであるとマーキングを行う様な行動にすら見えた。
「あたしのリリスに近付き過ぎなんだけど」
ペットが他の動物を警戒する様に、無悪善吉に唸る。
そんな彼女の行動に、無悪善吉は結局、この様な展開になるのかと溜息を吐いた末に。
「あ?知らねぇよ、大事なら肌身離さず持ってろってんだ」
と、無悪善吉は竜ヶ峰リゥユにそう言い放つ。
その言葉を受けて、竜ヶ峰リゥユの抱き締める力が強まった。
彼の言葉通り、肌身離さず持つ、と言う意志を見せつけたのだ。
「言われなくてもそうするつもりなんだけど」
両者の間に火花が散る。
その戦争間近の渦中に居る幽谷りりすは、なんだか居た堪れなくなっていて、恐る恐ると二人の仲を取り持つ様に、八方美人よろしく私の為に争わないで、と言った喧嘩の仲裁を行い出した。
「あの、二人とも、喧嘩は止めよ?ね?みんな、仲良く、しよ?ね?」
竜ヶ峰リゥユは、彼女の言葉に自分を選んでくれないのか、と言う意味を込めて彼女に質問を行う。
「……リリスはこいつの肩を持つの?」
それを言われた幽谷りりすは、途端に声を詰まらせた。
「え、そういうワケじゃ」
誰かの味方、と言うワケにはいかない。
彼女にとっては中立の立場であるべきだと、そう思っているが、竜ヶ峰リゥユは何があっても自分の味方であって欲しいと思っていた。
竜ヶ峰リゥユとの間、関係が少し瓦解した時、それを完全に壊すかの様に無悪善吉が自らの胸に手を添えて質問を行った。
「じゃあ俺の肩ぁ持ってくれんのか?」
竜ヶ峰リゥユの懐疑的な表情とは違い、この状況を完全に楽しんでいる無悪善吉は、にひりと凶悪な笑みを浮かべて彼女にそう言った。
当然、中立の立場を貫こうとしている幽谷りりすは、無悪善吉の味方になるワケには行かなかった。
「ええ!?なんでそうなるの!?わ、私はどっちの肩も……」
その反応を見た竜ヶ峰リゥユは途端に悲しい表情を浮かべた。
自らの善意を否定された様に、極端な程に落ち込み、彼女から離れる。
「そっか……リリスは特別だと思ってたけど、リリスはそうじゃないんだね……」
本心で落ち込む竜ヶ峰リゥユ。
幽谷りりすが何か言おうとする前に、無悪善吉が渾身の演技を行った。
「俺の事、気ぃ許したって言ってたが……俺を騙したってわけかよ、こりゃ一本取られたぜ」
額を強く叩き、ぱちんと音を鳴らした。
幽谷りりすは、この状況で二人が結託し、自分を陥れようとしているのではないのかと思った。
「な、……二人とも、本当は仲良いんでしょ!?」
それだけは、絶対にない。
竜ヶ峰リゥユと、無悪善吉の言葉が重なった事は、言わずとも分かる事であった。
周囲を確認していた竜ヶ峰リゥユは、用紙の上に簡単な地図を描いていた。
「取り敢えず、先週は迷宮内部の変動があったから未開拓地を確認していく」
幽谷りりすと無悪善吉は地図の中身を確認していたが、お世辞にも見やすい地図とは言い難いものだった。
「その際に禍霊との戦闘を行い、運が良ければ禍遺物がドロップするから」
聞き慣れない言葉を聞いた無悪善吉は聞いた。
「禍遺物ってなんだよ?」
砂の上を歩く度に、きゅっ、きゅっと、砂が啼いた。
その音は、この無音に等しい場所で唯一の環境音だった。
近くに居た幽谷りりすは、無知な無悪善吉の質問に答えてくれる。
「呪いのアイテムの事だよ、私は二つ程しか持ってないけど」
そう言って、その内の一つである禍遺物を見せた。
彼女の首から提げているペンダント、〈ニライカナイ〉である。
彼女が所持している禍遺物は現状二つのみだが、幽谷りりすは竜ヶ峰リゥユの方に視線を向ける。
「リゥユちゃんは色んな禍遺物を持ってるし、無悪くんの胸元にあるそれは禍遺物」
そして、自らの胸元に指を添えて、無悪善吉の胸に取り付けられた禍遺物を指した。
無悪善吉はジャージの上から胸に手を置いて、硬い感触を確かめた。
「あ?あぁ、このレバーみたいな奴か」
これがある限り、無悪善吉の泥濘の獣は全開で使えず、抑え込まれた状態になっているのだ。
「使用者が認可しないと封印を緩める事が出来なくなる禍遺物なんだよ」
呪いを酷く発散する様な対象者に対して使用する事で、その呪いを抑える効果を発揮する禍遺物、なのでそれを使用している限り、無悪善吉は十全な力を発揮する事が出来ない。
そして、その禍遺物の使用者は、無悪善吉では無く、それを使って封印を施した二人、竜ヶ峰リゥユと、幽谷りりすが使用者となっている。
なので、彼女達が手を出さない限り、本気を出す事が出来ないのだ。
「これ、外れねぇのか?」
無悪善吉はシャツの裏に手を伸ばす。
胸元に装着された禍遺物を剥がそうとするが、中々取り外す事が出来ない。
使用者以外、外す事が出来ないので、無悪善吉が外す事は先ずないのだが、それでも注意する様に、幽谷りりすが危惧した。
「外れるけど……心臓に直接刺してるから、外すと死んじゃうよ」
死、と言う単語に無悪善吉は一瞬スルーしかけた。
だが、後からやって来る心臓に直接刺している、と言う言葉。
それが、無悪善吉は困惑する要因の一つだった。
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