第7話 君の声が、嬉しかった

訓練場は、凍りついていた。


倒れ伏す戦士たち。

受付嬢は椅子ごと転げ落ち、

ギルドマスター・グランは無言で額を押さえたまま、動かない。

──まるで、“何かが起こってしまった”という空気が全体を包んでいた。

その中で、俺は一歩ずつ、ナヤナの元へと歩み寄る。


彼女は、銀色の髪を風に揺らしながら、静かに宙に浮かんでいた。

目を閉じたまま、顔をわずかに伏せ、どこか──居心地悪そうに。

俺は柔らかく笑みを浮かべ、名を呼んだ。


「ナヤナさん」

その名に、彼女の肩がピクリと震える。

「大丈夫か? 無理してないか?」


『……はい。問題、ありません』

返ってきたのは、念話。

だが、どこか“波が乱れて”いた。

言葉としては平静でも、その奥で小さな揺らぎを感じる。

俺は、少しだけ視線を外しながら言った。


「……なんというか、不思議なんだ。

目を閉じて、声を出さずに話すってのは」

「俺の世界じゃ、大事な話は──目を見て、声で伝えるものだからさ」


その言葉に、ナヤナの念話が一瞬、止まった。

沈黙。

そして──

彼女は、ゆっくりと目を開けた。


──透き通るような淡い蒼。

氷のように静かで、どこまでも深くて、それでいてどこか温かい。

まるで、宝石そのもののような瞳だった。


俺は思わず、つぶやいた。

「……綺麗な目だな。

──君みたいな瞳、俺の世界にはいないよ」


──静止。


ナヤナの身体が、ふっと硬直する。

同時に、念波のノイズが走った。

(き……綺麗……って……)

その瞬間、彼女の中で感情が雷のように跳ねた。

彼女は小さく肩を張り、ぷいと顔を背ける。


「べ、別に……! そういうの、どうでもいいですし……!』


浮かび上がりながら、目を逸らす。

だけど──頬が、ほんのり赤く染まっていた。

(なにそれ……なにそれなにそれなにそれ……)

(急にそういうこと言うの、反則……! 心が揺れるの、わかってるくせに……!)


そして俺は、もう一言、重ねた。

「声も──聞かせてくれないか?

ナヤナさんの、本当の声を」

「俺たち、同じ異邦人同士だろ? 仲良くしたいんだ」


──ナヤナは目を見開いた。

驚きの中に、かすかな迷い。そして……

ゆっくりと、唇が開いた。


「……今日は、特別に……」

その声は──透明で、優しくて、どこか音楽のようだった。


「……私たち聖球人は、声に……力があるから……

不用意に喋るのは、本当は……いけないの」

それは、音の奥に精神の余波が混じったような響き。

確かに、ただの“声”じゃなかった。


俺は静かに、心から呟く。

「……可愛い声だな」


──沈黙。


ナヤナの表情が、動揺しているように見える。

「ちょっ、ちょっと……!? い、今の何ですか!? な、なにそれ……!」


「え? ほんとのこと言っただけだけど」


俺がまっすぐに言い返すと、ナヤナの中で何かが、限界を越えた。

(だ、だめ……! それはダメ……!)

(そんなまっすぐ、やさしく……見つめられたら……!)

もう、どうにもならなかった。


──ドン。

ナヤナの瞳が淡く光り、精神力の波が走る。


「きゃああああっ!?」


次の瞬間。  ──バシュウウウウン!!!


再び、静滅波(せいめつは)が訓練場に炸裂する。

見えない衝撃が、一気に空間を震わせた。

耳の奥に“ビーー……”というノイズが鳴り、

視界が、液体のようにぐにゃりと歪む。


俺は、まともに喰らって──

「うおっ!? 脳がブルブルする!?」

叫んだつもりが、口がうまく動かず、

ぐらりと体が揺れ──


──ばたん。

(……なんか今、ちょっと幸せな気分で倒れた気がする……)

気絶、というより、心がふっと溶けるような落ち方だった。


***


ナヤナは、小刻みに肩を震わせながら、そっと俺の元へ歩み寄った。

倒れた俺の頬に手を添える。


『……隼人さん……

 なんで、そんな……変なこと……言うの……』

その声は、かすかに震えていた。


怒っているわけでも、ふざけているわけでもない。

ただ、どうしていいか分からずに出た言葉。

彼女は俯いたまま、己の手を見つめる。

──自分の力が、また“勝手に”暴れた。

彼のせいじゃない。全部、感情のせい。


(……わたし、また……)

ナヤナの胸の中に、重く冷たい波が広がっていく。

けれどその一方で、

胸の奥から、もうひとつの感情が浮かび上がってくる。

あたたかい何か。けれど、まだ名前のないもの。


(……なんで、こんなに……嬉しいんだろう)

彼女は、口を閉ざしたまま、ただ静かに──

隼人の頬に触れていた。

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