88への応援コメント
うっ、身に覚えが......
こういうときに大事なのって「今まであんまり関わってなかった第三者」だと思うんですよね~
例えば「〇〇ってそんなこと言うイメージないよね?」とか「〇〇が▽▽にそんなこと言ったらしいけど、キャラ的に想像つかないから嘘じゃないの?」って周りに思わせられるかどうか。そうなると、確かにそれまで一緒にいた人たちとは疎遠になっちゃうけど、完全に孤立することはないんですよね!
だからこそ、誰かの悪口を言ったり、SNSで特定の誰かを批判することを書かないって大事なんだと思います。ありがたいことに、自分はそもそも悪口が出るような環境にいなくて、今も自然体でそのまま過ごせています。そうやって自分を偽らずにマイペースでしばらくすると、自然に周りから話しかけられることがあって、そこから新しいつながりが生まれることもありました。
やっぱり、人って陰ながら普段の態度をちゃんと見てるんですよね。だから自然体でいれば、時間はかかってもちゃんと新しい関係はできるんだなって思いますね!
作者からの返信
黒月セリカさん!コメントありがとうございます。
【私の旧Twitter】&【悲恋の大空】の応援ありがとうございます。
周りがそんな頭の良い人ばっかりだったら良いんですけどね。
噂って言ったもん勝ちなところがあって、普段なんも考えないで流されてるやつは、聞いたこと鵜呑みにしちゃうんですよね。
そう言う噂を、デマでしょ……と冷静に消化出来る人が増えれば良いんですけどね。
78への応援コメント
一つ前に『素直な人間とは信用から最も遠い存在』と書かれておりましたが、ここに繋がるのですね。
たしかに、自分を偽ったり取り繕ってまで友達と言えるかどうかも曖昧な関係を続けたり、そんな人たちとグループで常に行動しても、結局は息が苦しいだけですからね。
かと言って、こうしていると以前仰っていたように『なんでグループに入らないの?』とお節介をかけてくる人も現れるんですよね。
なので私は、予め自分の好きなものを体現化させたキーホルダーなどを鞄につけて、逆に価値観や趣味が違う人が近寄ってこないようにしていましたw
作者からの返信
黒月さん💓 何回かコメントくれてますよね、【悲恋の大空】のほうにも❤ありがとうございます。 黒月さんの案、良いですね。 あえて取っ付きづらいオーラを出すことで、余分な人間が寄って来ないですからね、うーむ……。
48への応援コメント
「一緒にいい?」と聞いたあと、グループで意味ありげに目配せをしてから、薄笑いを浮かべながら「いいよ」と言われた経験を思い出してゾッとしましたw
困るのは、一人でいると「話しかければいいじゃん! なんで一緒にいないの?」と逆に言われてしまうことなんですよね...
作者からの返信
黒月先生も経験者ですか!あの時はほんと、辛かったでしたよね……もう大丈夫ですけどね、私は。 人間やっぱ第一印象ですよね、1度暗い奴だと思われたら、そのままなんか暗い奴が喋ってる、なんか暗い奴が話し掛けて来た、みたいな目で見られます! そうそう、なんか友達のいないと、別に悪いことしてないのに孤独なだけで責められまくるんですよね、しかもその責めてくる相手も『私良い助言してます』みたいな感じで絡んで来る、ほんとうざい。
3への応援コメント
「〜しなきゃいけない」と私は自分で決めてしまうことがよくあります。
「そこまで頑張らなくても」って言われても、(いや、しなきゃいけないんだ! これは義務なんだ!)と……
作者からの返信
道端ノ椿(再出発)様コメントありがとうございます。 『〜しなきゃいけない』ってのは一般的にマイナスな意味で捉えられることが多いですけど立派なことですよ、そう言う義務感で動く人間は世界にとって必要な人間だし。 でもやっぱり、所謂『ほどほど人間』の人達から見たら私みたいな人間は愚かに見えるのかも……。 だけど手を抜いてる自分はなんか気持ち悪いし、全力な私が好きだから、だから私は自分が好きになれるようなことだけする!!
9への応援コメント
企画参加ありがとうございます。
気になったこれについて感想を書かせていただきます。
『人による』、『人それぞれ』、これらの言葉を嫌い、みんないっしょのほうがいいという意見も多様性の一つだと思っています。
世間では多様性という言葉が散々使われていますが、そういうのは一回忘れてください。
私は『人は全員変人であって然るべきだ』と思っています。
そもそも全く同じ人なんていないんです。多少似通った人はいても、それは同じではありません。
また人間は自らの主観から抜け出すことができません。
だから結局他人と一緒になろうとしても、他人の脳につなげて意識共有みたいなことをしないと他人同じにすることはできません。これは極論ですが。
なので、人は根本的に『人それぞれ』なのです。
またこの流れから、民主主義と独裁主義の話につなげることができます。
民主主義は時間がかかるものの、決定的に失敗しにくいという面を持ちます。
独裁主義は時間はかかりません。ただ、一つ間違いをしてしまうとそこで全てがおじゃんになってしまいます。
ここで言う民主主義は『人それぞれ』、独裁主義は『みんないっしょ』です。
ここまで語っておいてなんですが、別にあなたの言っていることが間違っているとは言っていません。
これはただの理屈であって、感情の部分がありません。
ただ、『みんないっしょになる』ことに相当なリスクが有るとだけは主張しておきます。
長文失礼しました。
作者からの返信
ほんや様コメントありがとうございます。 私はずっと『なんか違う』側の人間でした。 だから私の欠けた部分も、尖った部分も、全部皆んなと同じに生まれたら、もっと友達も出来たし、もっと楽だったのかな?と思うのですが、この世界では『個性』に対して肯定してあげるべきだと言うことが多いですね、でも肯定って何?って思います、私にとっては普通だし、やりやすい生き方をしてるつもり。 それに対して『受け入れてあげよう』って上から目線だなと思うことも多々あります。 嫌なら嫌って言ってくれて良いし、嘘つかれるほうがもっとつらい、嫌いって言ってくれたら関わらないようにするのに。 人ひとりに対して世界が1つ設けられていたら良いのに、私好みの世界が作られたら良いのになぁと夢を見ます。 まあそれって自分勝手だって分かってるし、絶対叶わない夢ですがね。
編集済
20への応援コメント
追伸:
実は私は、「いじめる側」に本当の意味での強者が多いとは思いません。
また、「いじめられる側」に強い人が多いとも限らない。
なんというか、私にとっては、「耐えられる人」こそが、本当の意味で強い人なんじゃないかと思うんです。
ここな丸さんの返事を読んで、ふと、二つの言葉を思い出しました。
「大丈夫能屈能伸(真に強く立派な人物は、状況によっては耐え忍ぶこともでき、また時が来れば大きく羽ばたくこともできる柔軟さと胆力を持っている、という意味です。)」
そして、「能者多労(「能者多労」という言葉は、単に“有能な人ほど多くの仕事を任される”という意味にとどまりません。
本当に能力のある人は、周囲に気を配り、人がやりたがらないことまで引き受けてしまうことも多く、その分見えない苦労や精神的な負担を抱えることもあります。
だからこそ、「能者多労」は“報われない努力”や“背負わざるを得ない責任”というニュアンスも含んでいると私は思います。)」
どちらも、静かながら強く、そして誠実な生き方を讃える言葉だと思っています。私は、こうした在り方こそが、本当の「強さ」だと思うのです。
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私は「悪い」とは思いません。
結局のところ、社会にはいろんな人がいて当然だし、
「友達が少ない」「プライドが高い」「言い方に棘がある」——
そういう人がいて、何がいけないんでしょうか?
誰かを傷つけているわけでもないのに、排除される理由なんてない。
むしろ本当に排除されるべきなのは、「いじめる人」の方じゃないでしょうか。
作者からの返信
分かります。ですが『虐める側』と言うものは強者なことが多く、優秀でエリートな場合が多いです、ですから社会ざ求めるのは弱者ではなく、例え虐めをする者だとしても出来た人間を選び、出来ない人間は早くとも20歳ぐらいに排除されます。
1への応援コメント
ま、大抵の場合、能力に自信がないか妙なところに自信があるかというところで、そういう御仁が真に能力があるということは、ないとは言わないが少ないでしょうね。
作者からの返信
コメントありがとうございます、必ず読み手がいてこその書き手だと言うことを忘れてはいけません