第18話 日常のトーンと、夏めく予感

期末テストが終わり、月曜日のあの再会から数日が過ぎた。

俺と陽菜さんの間の空気は、すっかり落ち着きを取り戻していた。いや、落ち着いたというよりは、以前とは違う種類の、温かくて心地よい空気が流れている、と言った方が正しいかもしれない。

朝の「おはよう」も、休み時間の他愛ないお喋りも、授業中にちょっとした物を貸し借りするのも、すべてが自然で、当たり前のことのようになっていた。あの体育祭後の、息苦しいほどのぎこちなさが、今はもう遠い昔のことのようだ。

そんなある日の休み時間。

俺が写真部の部誌(といっても、作例と簡単なコラムが載ってるだけの簡素なものだ)を読んでいると、隣の陽菜さんがひょいと覗き込んできた。

「へえ、写真部って、こういうのも作ってるんだ。」

「まあ、一応ね。大した内容じゃないけど。」

「ううん、面白そうだよ。……あ、この写真、綺麗。紫陽花?」

「うん。先週末、近所の公園で撮ったやつ。」

陽菜さんは、部誌に載っていた俺の撮った紫陽花の写真を指差しながら、興味深そうに見ている。

「相川くんがいつも使ってるカメラって、やっぱりすごく良いやつなの? 操作とか難しそう。」

「いや、そんなに高級なやつじゃないよ。操作も、慣れれば大丈夫。」

「ふーん……。相川くんはさ、風景以外だと、どういうものを撮るのが好きなの?」

陽菜さんの質問は、ただ写真を見るだけじゃなくて、俺の「写真」そのものへの興味が感じられて、なんだか嬉しかった。

「うーん、なんだろうな……。日常の中の、ふとした瞬間、かな。光とか、影とか、人の表情とか……。」

うまく言葉にできないけれど、俺は自分の好きなものについて、少しだけ話した。陽菜さんは、「へえー」と相槌を打ちながら、真剣に聞いてくれた。

最近、俺は休み時間や家にいる時、夏に行けそうな景色の良い場所をスマホで検索することが増えた。

ひまわり畑、風鈴がたくさん飾られた神社、夜景が見える展望台……。

どこかへ行きたい、というよりは、綺麗な景色を撮りたい、という気持ちが強い。そして、撮った写真を……陽菜さんに見せたい。

『また綺麗な写真撮れたら、見せてね!』

あの時の、陽菜さんの言葉と笑顔が、俺の背中をそっと押してくれているような気がした。陽菜さんが見たら、どんな顔をするだろうか。そんなことを想像しながら場所を探すのは、思った以上に楽しい作業だった。

健太は、相変わらず時々俺たちを見ては「お前ら、すっかり熟年夫婦の空気だな」なんてからかってくるけれど、以前のような探るような感じはなくなった。美咲さんも、俺と陽菜さんが楽しそうに話しているのを見ると、どこか満足げな、優しい表情を浮かべている……気がする。

ホームルームで、担任の先生が「夏休みまで、あと二週間を切りました!」と告げた。

教室が一瞬ざわめき、夏休みの話題で持ちきりになる。

部活の合宿、家族旅行、オープンキャンパス、花火大会……。

みんな、それぞれの夏に向けて計画を立て始めている。

俺と陽菜さんは、その喧騒の中で、ふと視線が合った。

特別な言葉は交わさない。でも、お互いの胸の中に、近づいてくる夏休みへの期待と、そして……隣にいる相手への、言葉にならない想いが宿っているのが、なんとなく分かった気がした。

放課後、帰り支度をしながら、陽菜さんが「また明日ね」といつものように笑いかける。

「うん、また明日。」

俺も、自然な笑顔で返す。

この、当たり前のようでいて、当たり前じゃなかった日常。

隣に陽菜さんがいて、普通に話せて、笑い合える。それだけで、満たされた気持ちになる。

近づいてくる夏休み。

それは、学校という日常からの解放であると同時に、毎日隣にいる陽菜さんと会えなくなる期間でもある。

その期間が、俺たちの関係にどんな変化をもたらすのか……。

今はまだ、分からない。けれど、悪い予感はしなかった。むしろ、何か新しいことが始まるような、そんな夏めく予感を胸に、俺は校門を後にした。

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