第15話 放課後の勇気と、雪解けの笑顔

「あ、あの……白石さん!」

俺が震える声で呼びかけると、教室を出ていこうとしていた陽菜さんが、驚いたようにくるりと振り返った。

少しだけ丸くなった瞳が、まっすぐに俺を捉える。クラスメイトたちの喧騒が、一瞬だけ遠くなった気がした。

心臓が、ドクドクと耳元で鳴っている。

でも、ここで引くわけにはいかない。俺は意を決して、陽菜さんの元へと歩み寄った。

「う、ご、ごめん、引き止めちゃって……。あの、これ……渡したくて。」

俺は、鞄から取り出した小さな包み――フルーツティーのティーバッグセット――を、緊張で少し汗ばんだ手で差し出した。

「これ……この前の、クッキーのお礼。すごく美味しかった。それと、数学教えてくれて、ありがとう。」

早口になってしまったかもしれない。ちゃんと伝わっただろうか。

陽菜さんは、一瞬、きょとんとした顔で俺と包みを見比べた後、ふわりと目を細めた。

「え? わざわざ、そんな……。いいのに。」

「いや、でも、本当にお礼したかったから。」

「……そっか。ありがとう、相川くん。嬉しいな。」

陽菜さんは、少し照れたように微笑みながら、そっと包みを受け取ってくれた。その仕草に、俺の心臓がまた一つ、大きく跳ねる。

「あ、あと……もう一つ。」

俺は畳み掛けるように、もう一つの本題――USBメモリを取り出した。

「これ……体育祭の時の、写真データ。整理、終わったから。」

陽菜さんの目が、少しだけ見開かれる。

「クラスの共有フォルダにも入れたんだけど……その、白石さんが写ってる写真も結構あって……。」

俺は言葉を選びながら続ける。

「この前見せたやつとか、他にもいくつか……。クラスのみんなが見るフォルダに入れるのは、どうかなって思って……。だから、もしよかったら、直接……。」

USBメモリを差し出す。

「陽菜さんが、持っててくれたらなって……。もし、気に入らなかったら、全然、消しちゃってくれて構わないから!」

言い終わると同時に、どっと緊張が押し寄せてきた。変なこと言ってないだろうか。重いって思われたりしないだろうか。

陽菜さんは、差し出されたUSBメモリをじっと見つめた後、ゆっくりと顔を上げた。

その表情は、驚きと、戸惑いと、そして……隠しきれない嬉しさが混じっているように見えた。

「……ありがとう、相川くん。」

陽菜さんは、小さな声でそう言うと、そっとUSBメモリを受け取った。

「まさか、データまでくれるなんて……。体育祭の写真、楽しみにしてたんだ。……この前見せてもらった写真も、すごく……恥ずかしかったけど、嬉しかったから。」

そこまで言って、陽菜さんははにかむように笑った。

その笑顔は、体育祭の後ずっと俺たちの間に漂っていた、あの分厚い空気の層を、一瞬で溶かしてしまうような、温かくて眩しい笑顔だった。

「……よかった。」

俺の口から、安堵のため息と共に、素直な言葉が漏れた。

よかった。ちゃんと、伝わった。嫌がられていなかった。

俺たちが顔を見合わせて、少しだけ照れたように笑い合うと、教室の喧騒がまた耳に戻ってきた。でも、もう気にならない。

「家に帰ったら、早速見てみるね!」

「う、うん。気に入ってくれるといいけど……。」

「絶対気に入るよ! 相川くんの写真だもん。」

陽菜さんは、USBメモリを大事そうに握りしめながら、力強く頷いた。

「じゃあ、私、行くね。本当にありがとう。」

「うん。こちらこそ、ありがとう。」

今度は、ちゃんとした別れの挨拶ができた。

「また月曜日にね、相川くん。」

「うん、また月曜日に。」

陽菜さんは、友達の元へと駆け寄っていく。その足取りは、さっきよりも軽やかに見えた。

俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

手のひらには、まだ陽菜さんに触れたような感触が残っている気がする。

渡せた。お礼も言えた。そして、陽菜さんは笑ってくれた。

体育祭の後からずっと胸につかえていたものが、すっと消えていくのを感じた。

帰り道、夕方の空は少しだけ雲がかかっていたけれど、俺の心は久しぶりに快晴だった。

月曜日、陽菜さんとどんな顔で会えるだろう。

どんな会話ができるだろう。

少しだけ先の未来に、確かな希望の光が見えたような気がした。

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