第5話 柴田のオヤジ殿と友情トレーニング!

「鶏の卵を食べるなんて……罰当たりじゃない……」


「じゃぁ雫の分も食べるぞ」


「……食べないとは言ってないじゃない!」


 戦国時代、東北や九州を除いて鶏を食べる文化が廃れていた。


 というのも戦国時代は家畜として重要な労力であった牛、馬に、刻を告げる鳥として神聖視されていた鶏は食す事があまり無かった。


 そのため、俺が鶏を複数羽買ってきた時に雫にそんなに鶏は必要ないでしょと笑われた。


 しかし、卵を採取するためと分かると、神聖な鳥の卵を食べるなんて罰当たりと言い出したのである。


 俺は卵焼きを作って、食べないなら食べないでいいけどと言うと、雫は渋々食べ始める。


 ちなみに玉と紅は文句も言わずに食べたが、特製卵焼きの味に美味しいと言ってくれた。


 俺が前世でも良く作っていた長ネギ入りの卵焼きで、万能ねぎを細かく切り、卵を混ぜたところに投入。


 そこに自家製のたまり味噌と塩で味付けして焼いていく。


 卵焼き用の四角いフライパンも無いので、鉄板で焼くことになったため、少し不格好であるが、皆で食べられる分くらいにはなった。


 それに鹿肉を細かく叩いて肉団子にし、ごぼう、大根、葉野菜、芋を入れ、味噌で味付けした鍋に、雑穀米で食していく。


 前世だったら雑穀米の味や自家製味噌の味で顔を顰めるだろうが、今世になってから小さい頃にろくな飯を食えてなかったので、これでもご馳走である。


「ふう、食った食った……さてじゃあ食器洗ったらヤるか」


「あんたに開発されまくって股が開きっぱなしになってるんですけど!」


「しゃあねぇだろ早く子供作らないといけないんだし……子供欲しいんだろ」


「それは……そうだけど……もっと優しくしてよ……」


「え? もっと鬼畜に? よしわかった。今日は亀甲縛りプレイをしてやろう」


「いやー!」


 こんなのが日常的に繰り返されていた。








 1560年から1563年までは美濃との小競り合い程度で大きな戦は無かった期間である。


 まぁ松平元康こと徳川家康が今川から独立して信長と同盟をしたりとイベントはあったが、桶狭間の戦いで織田軍の勝利でも精鋭3000のうち約1000名が戦死してしまい、信長の側近達も多数戦死してしまっていたのである。


 つまり信長に本格的に他所を攻撃する余力はなかったのであるが、桶狭間の翌年に斎藤義龍が急死し、その時に対外的なポーズとして美濃攻めを行うくらいで、国取りや大きな城攻めは行われなかったのだ。


 歴史に詳しくない又兵衛はそんな事を知らないので、また戦が始まったら活躍して所領を広げたいなと思っていたし、桶狭間で大勝したからイケイケで領土広げるんだろうなと思っていただけに戦が無くて肩透かしを食らったのである。


「戦なさそうだし、上司の機嫌でも伺うか」


 夏の終わり頃にお土産を持って、俺は上司である柴田勝家様の屋敷を訪ねた。


「おお、嫁を紹介した時ぶりであるな又兵衛」


「なかなか挨拶出来ず申し訳ありません勝家様!」


 俺が訪ねると嬉しそうに出迎えてくれた。


「ウムウム、丸太の様に太い手足、腹回りに付いた肉……いい感じに鍛錬を続けているようだな! 感心感心」


 勝家様は俺の手をニギニギ握ると、刀や槍、それに毎日鍬で田畑を耕していた事で潰れて硬くなった手のひらを触ったり、バキバキになっている腹筋をバシバシ叩きながら歓迎してくれた。


 体育会系のおじさんという感じである。


 この時柴田勝家は39歳(数え年)……脂が乗った武将としての最盛期である。


 庶子が数人居るのだが、正室とよべる女性は居らず、暑苦しい人であった。


「お前も儂の事はオヤジと言ってくれても良いのだぞ」


「え、いやいや、畏れ多いですよ」


「なに、又兵衛、お前はそんじょそこらの男じゃない! 桶狭間での武功や美濃との小競り合いの噂は聞いているぞ! これからどんどん出世していくであろう! 儂と同じ様にな! 儂には良く出来た息子も居ないから慕ってくれる若者には俺をオヤジと呼ばせているのだ! 遠慮するな」


「では……オヤジ殿! 織田家最強の武士と呼ばれる貴方達に戦場でのイロハを教わりたいのですが!」


「おう! 良いとも良いとも! 戦場で相手を威圧する方法や生き残るための行動を教えようぞ」


「ありがとうございます!」


 というわけで、俺は柴田のオヤジ殿に頼み込んで武芸について教わることにした。


 正直今までは種付けおじさんのチートスペックでなんとかしていたが、技量があればさらに活躍できるし、出世出来る。


 刀や槍、弓の練習方法や乗馬の心構えなどを通って教わるのであった。







「やぁ柴田殿」


「おお、森殿久しぶりですな」


 ある日、柴田勝家と森可成の2人が柴田勝家の屋敷で対話していた。


「お、毛受又兵衛が来ていましたか。柴田殿の所で鍛錬ですか?」


「ああ、あやつの家からここまで5里(約20キロ)はあるが、ほぼ毎日通っている。日が昇る前に起きて、自分の畑や家畜の世話をしてから儂の家に通っている。正午頃に来て、夕方に帰るという感じだな」


「そうであれば随分と走り込んでいるな」


「ああ、アヤツの身体は凄いぞ。まだ12かそこらなのにそこらの小童どころか、大人でも弾き飛ばしてしまうからな」


「伊達に合戦で活躍していませんか」


「ああ、ただ刀の扱い方や槍、弓はまだまだだな。力任せにやっている。技量が伴えば素晴らしい武士になれるだろう」


「ほう……柴田殿が惚れ込むとは良い人を紹介出来たようで……」


「森殿も槍を教えてみてはいかがか? 又兵衛も喜ぶと思うが」


「そうですか、どれ、少し手合わせをしてみましょうか」








 柴田のオヤジ殿と森可成様にみっちりしごかれた俺はメキメキと成長を続けていた。


 文字の読み書きも出来なければならんとオヤジ殿に言われて、オヤジ殿が預かっている坊丸(元主君である織田信行の息子)と一緒に勉強を教わることもしばしばであった。


「又兵衛兄! 坊丸も兄みたいに強い武士になりたいです!」


 数えで6歳の少年であるが、目がキラキラしていて俺に懐いてきた。


 坊丸は父親が叔父の信長様に歯向かい、誅殺されてしまった為に不安定な立場であった。


 それを柴田のオヤジ殿が直談判して幼少の坊丸の教育係になることを願い出て、母親から離されて、オヤジ殿の屋敷で生活をしていた。


 柴田のオヤジも一見無教養の様な姿をしているが、自分の領地や城の経営が出来るくらいの知識量はあり、なにより真面目で勤勉であった。


 この学び続けるという姿勢が柴田勝家が将来北陸方面軍大将の地位に就いたり、信長から信用信頼されることに繋がってくる。


 ただ今は桶狭間の戦いでも留守を言われるほど冷遇されていた時期であり、周りも森可成様や丹羽長秀様等の若く、信長様から優遇されている人物に集まっており、柴田のオヤジから少し距離を取っていたのである。


 そんな最中、貪欲に学ぶ姿勢があり、言う事を良く聞き、ぐんぐん成長し、自身を慕ってくれる若者が現れればどうなるか……。


 それはもう可愛がる。


 出生身分も定かではない自分を元主君の息子と同じ教育をしてくれているだけで、どれだけ俺を可愛がってくれているか分かる。


「よし! 又兵衛! 鹿狩りに行こうぞ!」


「はい! オヤジ殿!」


 馬を借りて、鹿狩りを一緒にしたり、川で水泳をしたり、オヤジ殿から教養を学んだり……。


 とても実になる時間を過ごすことになるのだった。

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