【後編】散りなむ後の なぐさめぞなき

 それからはほぼ毎日のように、朝方になると巣のあたりが騒がしくなった。


 ガサゴソ、バサバサ、ザワザワ。


 どうせ窓からは何も見えないのだから、気にしても仕方がない。

 それがわかっていながらも、物音が聞こえてくると神経が落ち着かずに、気になって目が覚めてしまう。


 そうしてカーテンを開けても結局巣の様子は何も見えず、寝直すこともできずに仕方なくお茶をしていると、お向かいさんから息子と母親が出てくる。


 ――この繰り返し。



 最初の数日は音と向かいの家庭の様子、両方が理由で心がざわついていた。


 しかし、数日も経てば巣の音も向かいの様子も、気にならなくなった。


 窓から見える花の街の景色は美しいばかりで、それを眺めている私の日々は、何かが大きく変わるわけでもない。


 これが当たり前、これが日常。


 だから、



 ガサゴソ、バサバサ、ザワザワ。



 だから、



 ガサゴソ、バサバサ、ザワザワ。


 ガタガタ、ゴトゴト、バタバタ。



 だから、



 ガタガタ、ガタガタ、ガタガタ。


 ゴトゴト、ゴトゴト、ゴトゴト。


 バタバタ、バタバタ、バタバタ。



 毎日少しずつ巣から聞こえる音が大きくなっても、自然と受け入れた。



 また、音が大きくなるのと比例するように、窓から見える向かいの親子の様子も変わっていく。


 そのうちに、息子と母親が玄関前で言い争っている様子を見るようになった。


 次の日は、母親が息子にすがりついて、でも突き放されている様子。


 そしてある日、あまりに母親がしつこくすがるために、息子が何かを大声で叫んだかと思うと、拳が飛んだのだった。



 まあ、でも……そういうこともあるだろう。


 ――そうだよね?



 ◇



 そうして何日かが経ったある日の明け方。

 その日も巣のほうから音が聞こえてきた。


 いつものことだ。


 寝床から起き上がりさあカーテンを開けようとして、



 べちゃっ。



 水を含んだ何かの、生々しい音。

 いつもと違う音。


 これは何?


 私が耳を澄ますでもなく、音は絶え間なくなり続ける。



 ――べちゃっ、びちゃっ、ぐちゃっ、ぐちゃっ


 嫌な気分だ。


 ――ぐちゃ、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ


 聞きたくない。


 ――ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ


 もう止まれ!


 ――ぐちゃ。



 私はしばらくの間、カーテンを開けることができぬままに、窓の前で立ち尽くしていた。


 だが、いつまでも暗い室内に居続けたくはない。


 だって、だって、窓の外の様子を眺めて、早くことを確認しないと、安心なんてできないじゃないか。


 思い切ってカーテンをつかみ、勢いよく布を引く。

 カーテンレールの耳障りな音と共に、朝日が室内を明るく照らす。


 真っ先に巣を眺める。

 もしかして、巣の小鳥が動物に食べられているんじゃ?

 という、凄惨な様子も覚悟していたが、いつも通りに緑の若葉に覆われて何も見えなかった。

 いつもと変りなく思えた。


 なーんだよかった。


 そう思って大きく息を吐いた瞬間。



「やっと静かになった」



 確かにそう、巣から聞こえた。


 呆然として立ちすくんでいると、お向かいさんからいつものように息子と思われる若い男性が出てくる。

 妙に足取りが軽く思えるのは、私が平常心ではないために補正がかかってそう見えるだけだろうか。


 そして、いつまで眺めていても、母親は出てこなかった。



 ◇



 その日を境にして、巣から何かのざわめきが聞こえてくることはなくなった。

 小鳥は巣立ってしまったのだろうか?


 ――そもそも、あれは小鳥だったのだろうか?


 また、お向かいさんから息子と母親が出てくることも、もうなかった。


 でも、私はそれらの疑問に心をかき乱されることはない。

 窓から見える景色はいつも美しい。

 家々の花が盛りを迎えて、ますますいろどりに溢れている。

 極楽とは、こういうなのかもしれない。


 だから、妙な音を聞いてから何日も経ったころに、突然お向かいの家の前に警察車両が何台も止まっても。

 テレビのレポーターや雑誌記者たちがやってきても。

 私は心を乱されることはなかった。

 美しい花々の間を、働き者のアリが忙しく列をなして行進するようで、ほほえましく思いすらした。



 その日の遅くに町内会の会長さんがやってきた。


「あんた、なんか見た? ああ言わんでいい。テレビの取材とかにも何も言わんでくれ。街が騒がしくなる」


 なるほど、と思う。

 私は平和な暮らしを愛している。

 平穏をかき乱そうとする輩に、餌を与える気はない。

 だから、笑顔でうなずいた。


 それを見て相手は私を信用に足ると直感したのだろう。


「殺しちゃったんだって。あそこの息子が母親を。まあ、ちょっと過保護な奥さんだったからね」


 会長さんは今日の天気でも話すように、のんびり私の疑問に答えをくれて、そうして帰っていく。



 ◇



 事件なんていたる所で起こっている。

 警察も記者たちもまた別の事件を追って去っていき、お向かいのお宅が静かになるのも早かった。


 今日も私は窓辺のティーテーブルでお茶をしている。


 この窓から眺める花の街はいつも美しく、開ければいい香りが室内に流れ込む。


 今ももしかしたら、よそのお宅で何かが起こっているのかもしれない。

 でも、それは私には、そして周囲には何も見えない。


 巣からヒナが飛び立とうとして、それを親が止めたとしても。

 それでもヒナが自由を求めて、あげくに殺したとしても。


 閉じられた巣の中の出来事など、見えるわけがないのだ。




 おわり

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今日も小さな窓辺から 米田 菊千代 @metafiction

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