今日も小さな窓辺から
米田 菊千代
【前編】来ぬ人に よそへて見つる 梅の花
この春、美しい街に越してきた。
美しい、というのはそのままの意味だ。
坂の多い地域で、景観の良さを求めて裕福層が集まり家を建て、自然と洗練された街に育っていった。
各々の家の広い庭には、パンジーのような季節の花、ツツジといった低木、そしてシンボルツリーと呼べる桜や木蓮が植えられている。
それらは見事に調和して、逸脱することなどけしてない。
道を歩いているだけで花のいい香りがしてくる街だ。
その街自体は小さいのだが、都市への利便性は良く、駅前にいくつもの花屋やケーキ屋があり、スーパーも高級。
ああなるほど、心の充実を図る人の多い豊かな地域なのだな。
……ということが、すぐにわかる。
さて、その小さくも美しい街の賃貸に越してきた私は、かと言って裕福ではなくごく一般的な小市民だ。
その街の豊かさなど知らずに、家賃や間取り、電車の利便性などから候補を絞って今の物件を選んだ。
小市民ゆえコンパクトな集合住宅の2階に住んでいるのだが、大家がマメな性格で、庭に花や木を植えている。
南向きの窓辺からはそれらがよく見えて、なんとも得した気分になれるのだ。
また、坂が多い……つまり高低差のある土地のため、高台にあるこの集合住宅からは街の様子が広く見渡せた。
――本当に、素晴らしい眺め。
引っ越してすぐに窓辺に置くティーテーブルを購入し、お茶をしながら窓の外を眺めるのが日課になった。
◇
さて、3月のある日のこと。
窓辺で日課のお茶を
窓から1mほど離れたすぐのところに、梅の木が植えてある。
2階の窓から見下ろす形になるのだが、白く可憐な花をつける幹に、小鳥の巣があることに気づいたのだ。
古くてほつれが酷いことから、去年作られたものだろう。
私は嬉しくなった。
この庭にはメジロやヒヨドリ、スズメがやってくる。
それらの小鳥たちがヒナを育てるために、巣を作ったに違いない。
なんて可愛いのだろう。
鳥は巣を再利用するというから、梅の花が終わって葉が
野生生物の生命の営みは、私の好奇心と愛情を刺激するのに十分だった。
◇
そうして5月になった。
梅の木の枝もいくらか伸びて、葉がわさわさと茂り、花盛りのころは丸見えだった鳥の巣も、すっかり鮮やかな緑の陰に隠れてしまった。
4月ごろは、明け方になると窓辺のほうから小鳥たちのさえずりがして、恋のアプローチに余念がないようだった。
そういった恋の歌も今は聞こえなくなり、かわりにガサゴソと、本当にかすかにだが、梅の木のあたりで何かがうごめいていることが感じられる。
小鳥が巣を作ったのだ。
私は直感した。
それからは、小鳥を刺激してはいけないからと窓を開けることはしなくなった。
窓ガラス越しに梅の木を、街の様子を眺める日々。
ぼんやり外を眺めていると、道を一つ挟んだお向かいさんから若い男性が乱暴にドアを開けて出ていくのが見えた。
服装や歩き方から、なんとなくその家の息子さんだろうなと勘づく。
そのあとすぐに中年の女性が出てきて、家の門から身を乗り出すように、去っていく男性の後姿をじっと眺めている。
あの女性は母親だろう。
母親は数分ほど眺めて、それからとぼとぼと家に入っていく。
一連の様子を、私はすべて見ていた。
◇
翌日の明け方。
梅の木は鳥の巣のあたりから、妙な音がした。
何かが激しく羽ばたく様子。
葉がこすれて、ノイズのように響くさま。
ガサゴソ、バサバサ、ザワザワ。
こんな街中にもヘビがいるのだろうか?
それとも、ハクビシンといった動物?
私は小鳥が襲われているのだろうかと心配になって、思い切ってカーテンを開ける。
勢いよく開けたせいで、カーテンレールがザアッといびつな音を鳴らす。
しん……と、窓の外が静かになった。
窓ガラス越しに梅の木を眺める。
朝日を浴びて徐々に明るくなる中でも、その巣の様子が見えることはなかった。
ヘビもハクビシンも、何も見えない。
――何も。
その後は結局眠れなくて、インスタントコーヒーを入れて窓辺でぼんやりと飲む。
すると、かすかに物がぶつかり合う音がして、お向かいの家から昨日の若い男性が荒々しい様子で出ていくのが見えた。
やはり、中年の女性があとを追って家の門まで出てくるものの、道の先を行く息子を追いかけることはできずに、しばらく佇んだのちにうなだれた様子で家に入っていく。
どこも大変なのだな。
私はのんきにコーヒーをすする。
苦くてうまい。
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