階段怪談

楽天アイヒマン

はじまりはじまり

 毎晩、決まった時刻に「階段を降りる音」がする。

 僕の住むこのアパートには、僕以外に住人はいない。契約書にもそう書いてあるし、大家もそう言っていた。なのに、夜中の1時14分になると、「コッ、コッ、コッ……」と、ゆっくり階段を降りる足音が聞こえる。

 一段、一段、静かに。急がず、止まらず、まっすぐに。

 僕の部屋は1階だ。階段が降りてくるということは、2階に誰かいるということになる。

 でも、この建物には2階なんて存在しない。


 最初は、どこかの音が反響してるんだろうと無理やり納得していた。だが1週間も続くと、どうにも無視できなくなった。

 ある晩、思い切ってその時刻に玄関の前に立って待ってみた。

 1時14分。

「コッ、コッ、コッ……」

 来る。確かに近づいてくる。頭の上、つまり「存在しないはずの階段」から。僕はそっとドアを開けた。

 だが、そこには何もなかった。夜の廊下、空気、そして“音だけ”が階段を降りてきていた。


 翌朝、壁を叩いて調べてみた。すると、天井裏に「隠し部屋」があることがわかった。

 梯子を使って天井板を外すと、小さな空間が現れた。埃まみれの床と、折りたたまれたベビーベッドがひとつ。

 そして、手書きの紙が一枚。日付は僕の引っ越してきた日よりも前だ。

「1時14分、彼が降りてくる。ドアを開けないで」

 誰が書いたのかもわからないそのメモをポケットにしまい、ベビーベッドに目をやると、あることに気づいた。

 ベッドの下に、小さな“足跡”があった。


 その晩、足音は聞こえなかった。代わりに、天井裏から「しゃべる音」がした。

「……ここにいるの、知ってるんでしょ……?」

 子どものような声だった。けれど、異様にハッキリしていた。僕は答えなかった。答えたらいけない気がした。

 でも、その翌晩もまた、その声は聞こえた。

「……いつまで無視するつもり……?」


 僕はとうとう、管理会社に連絡した。だが返ってきたのは妙な返答だった。

「そこ、階段の事故があった場所ですね」

「事故?」

「20年ぐらい前にね。子どもが一人、上から落ちて亡くなったんですよ。階段も一緒に壊れて。それで建物ごと改修されて、今は平屋になってるんです」

それを聞いたとき、僕の脳内で“音”がはっきり再生された。

「コッ、コッ、コッ……」という、階段を降りる音。

 でも、よく思い返してみると――あの音には最後の一歩がなかった。

 つまり、“足音”は必ず一段手前で止まっていたのだ。


 その夜、僕はドアの前で待った。手には、あのとき拾ったメモを握って。

 1時14分。

「コッ、コッ、コッ……」

 来た。今日は、はっきりと足音の気配が強い。重い。空気が震えている。音は階段の終わり、つまり僕の部屋の天井あたりで止まった。

 次の瞬間、天井がミシッと鳴り――音もなく“何か”が落ちてきた。

 僕は思わずドアを開けた。そこには、真っ赤な目をした幼い子どもが立っていた。

 その子が言った。

「やっと、会えた」

 そして、にっこりと笑った。


 僕は今、2階に住んでいる。

 契約書には何も書かれていないけれど、毎晩、1時14分になると階段を降りることになっている。

 そして、1階のドアの前に立ち、いつか来る“僕”を、ずっと待つんだ。

「コッ、コッ、コッ……」

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階段怪談 楽天アイヒマン @rakuten-Eichmann

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