第37話 面白いこと<南雲ヨウカside>
<南雲ヨウカside>
わたしの日常には、面白いことが起こらない。学校での勉強は楽しいし、友達と喋るのも退屈ではない。だけど、予想を超えることがなかなか起こらない。
興味を持ったものも時間が過ぎると、色褪せてしまう。出会ったときの高揚感が徐々に薄れていく。
「あーあ、なんか面白いことないかなぁ」
「面白いことなんて、そこら中にあるじゃん!」
妹のナノカにズバリと言われた。FURILのパジャマを着て、ソファに座っている。
「えー! どこどこ? 床にでもあるの?」
「もー。また茶化して……」
ナノカは呆れたように笑ったあと、「……例えば、このマグカップ!!」と続ける。
「うんうん」
わたしの目の前には、ココアを注いだマグカップがあった。飲みかけで、とっくの昔に冷めていた。
「うちにはコップが数多くあるじゃん? それなのに私も昨日これを選んで使ってた! ねぇ。なんか、それって愉快じゃない?」
「……確かに。面白い」
「ふふっ。やった!」
それこそ、モダンなティーカップを選んでも良いのに。ナノカは、わたしが今使っているコップを選んだみたいだった。
目の前にあるマグカップは水玉模様で、ところどころ柄が薄れていた。なんでわたしは、これを手に取ったのだろう。
そんなナノカは、今日は紙コップを使ってコーヒーを飲んでいた。理由は、そのままゴミ箱に捨てることができるからだそうだ。
ナノカの言う通り、面白いことはそこら中にあって、わたしが見落として生きているだけに過ぎないのではないかと思った。
突拍子もないことを言っても、真剣に話を聞いてくれるナノカがわたしは好きだった。
父と母は、研究で家を空けることが多かった。だから、ナノカがわたしの話し相手だった。
自分で言うのもなんだけど、わたしは友達が多い。学校に行けば、誰かが絶対話しかけてくれるし、廊下をうろつけば後輩が寄ってくる。
みんな一人ひとり考え方が違うから、話をするのが好きだった。だけど、それは最初の方だけだ。「この子、わたしの人気にあやかりたいだけだな」とか、「わたしにその気があるな」とか、心のうちを読んでしまえば、途端に退屈になってしまう。
父と母は毎日楽しそうだった。謎を一つずつ紐解いていき、わかることが増えていくのが何よりも幸せということだった。わたしも二人のようにワクワクして生きていきたいと思った。
◇
「ヨウカちゃんは、学校行くの楽しい?」
ナノカはわたしのことをお姉ちゃんではなく、名前で呼ぶ。
「うーん。楽しいとは言い切れないかな」
「……それは、どうして?」
ナノカがピクッと反応して、わたしに向き直る。
「面白いことが起こらないから!」
また、わたしは、ナノカにだだをこねた。
「……ヨウカちゃんみたいな人は早々いないよ」
呆れ顔だ。
「普通、嫌なことがあるから学校に行きたくなくなるんだよ」
「そっかー」
少し考え込む。
「でも、普通に過ごしていたら、嫌なことなんて早々、起こらないっしょ!」
ナノカは黙る。
「……そうだね」
小さく笑った。
「もしかしてナノカ、最近眠れてない?」
「えっ。どうして?」
「だって顔色悪いから」
ナノカは白い顔をして、目にはクマを作っていた。
「気づいてくれるんだ」
妹は、遠くを見たあと。
「ヨウカちゃんはずるいね——」
確かにそう言った。
「えっ?」
「……なんでもない。私もヨウカちゃんみたいになりたいな!」
口数が少ない妹が、わたしに話しかけてくれるのが嬉しかった。
彼女は屈託ない笑みを、わたしに向けていたはずだった。
その数日後。——ナノカは自殺をした。
信じられなかった。何かの間違いではないかと思った。まるで夢を見ているような気分だった。
後から聞いた話では、ナノカは学校生活に悩んでいたようだった。遺書も部屋から見つかっていた。それを、わたしが見たとき、妹はこんなに複雑な感情を秘めていたのかと涙がこぼれた。
姉として、わたしにできることはなかったか。自分本位に生きてきた人生を悔やんだ。
その頃から、父と母が家にいることが多くなった。「研究は?」と聞いても、「ヨウカと一緒にいたい」の一点張りだった。ときには研究所仲間の「梅ちゃん」も家に来たことがあった。
わたしは別に一人でも平気だった。だから、「大丈夫だよ。各々、好きなことしようよ」なんて、父と母を遠ざけることを言った。
だけど、不思議なもので、家族が近くにいると、ホッと落ち着くことができた。長い夜が短く感じるほどだった。ナノカがいなくなってから始まった、原因不明の咳も治ってきたように思う。
「ヨウカに喜んでもらえることを発明したい」
ある日、父と母はそんなことを言った。
面白そう!
二人は、わたしが何を喜ぶかを、もうわかっている気がした。それに、時間をかけても絶対に達成してくれる気がした。
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