第33話 匂いが好き





 日曜日。時刻は21時52分。今日も南雲さんに会えると思って、30分前からソワソワしていた。お気に入りのFURILのパジャマを着て、ベッドに腰掛けて、その時を静かに待っていた。


 枕からは、香水の匂いはとっくにしない。また、南雲さんに貸してもらおうかな。それとも、同じ香水を買ってしまおうか。ブランドはどこのだろう。


 その時、スマホに着信が入った。画面を見たら「雛ちゃん」と表示があった。急用かと思い、慌てて出る。


「どうしたの?」


「あっ。三莉ちゃん。突然ごめんね」


 声がこもって聞こえた。音の響き方で、外にいるのだとわかった。遠くから「いらっしゃいませー」との声が聞こえた。


「大丈夫だよ。急に電話なんてして……何かあったの?」


「実はね……」


「うん」


「誰かに追われているみたいなの」


「えっ。今どこにいるの?」


「塾の帰りで……今近くのコンビニにいるの」


 そのコンビニは、私も知っている場所にあるものだった。ひと通りが少ないイメージがあった。


「なんかね、男の人につけられている気がするの。怖くて、コンビニに逃げこんじゃったんだ。もっと早く家に帰れば良かった。三莉ちゃん、このまま電話つなげてていい? 家に帰るまでおしゃべりしてもいいかな?」


 雛ちゃんの声は涙ぐんでいた。スマホの時計を見ると21時58分だった。もう少しで南雲さんに会える。一週間に一度のチャンス。でも、目の前の困っている友達を見過ごすことはできなかった。


「大丈夫だよ! このままつなげてて。何かあったら大声出してね」


 私は雛ちゃんを励ました。そのままお互い取り留めない話をした。

 数十分後。無事に雛ちゃんは家に着いた。


「三莉ちゃんありがとう。本当に本当にありがとう」


「全然だよ! 雛ちゃんが無事で良かった」


「ごめんね。不安になったとき、咄嗟に頭に浮かんだのが三莉ちゃんの顔だったの。それで電話しちゃったの」


「そうだったんだね。光栄だよ!」


「ありがとう! 大好きだよ!」


「あはは。私もだよ」


 最後に熱烈アプローチをされて電話は切れた。スマホを見てみると時刻は22時23分だった。


 南雲さんと会える22時は過ぎている。クローゼットをガラッと開けてみても、元の白い壁のままだった。


 もしかして、友達と電話をしている時なんかは、会うことができないのだろうか。今まではトラブルなく、南雲さんに会うことができていた。むしろ、週に一度会うことが日課になり始めていたレベルだった。


 そっか。イレギュラーなことが起こると彼女に会うことができないんだ。

 23時をまわっても、クローゼットはそのままだった。


 また一週間、待たなければならないんだ。

 ワクワクしていた気持ちが消えて、全身の力が抜けた。


 もしかして、家にお母さんがいる時も、南雲さんと会うことができないということだろうか?

 幸い今のところ日曜の夜に、お母さんが家にいたことはない。


 大切なものを失いかけている気がして、思わず体がこわばった。当たり前にあるものを当たり前とみないで、もっと大事にしよう。そう決意した。


 もう眠ろうと、そっとベッドに入った。ふと、南雲さんの香水の香りが微かに漂った気がした。





 一週間後の日曜日。前回は会えなかった寂しさを晴らすように、私は22時になった瞬間に、南雲さんの部屋に向かった。


「三莉!」


「来ちゃいました!」


「わたしから行こうと思っていたのに! っていうか、先週会えなかったね」


 彼女はケラケラと笑う。その笑顔を見れたことにホッとした。


 先週会えなかったから、その次の日の月曜日に南雲さんに会えることを期待した。だけど、そんな奇跡は起こらなかった。


 イレギュラーなことに私たちは日々、振り回される。


「はい。多分ですが、私が友達と電話していたことが理由で、南雲さんと会えなかったのかもしれません」


「ふーん。そうなんだ。友達と電話していたんだ?」


「どうかしたんですか?」


「いやぁ。なんでもないよ」


「そうですか」


「うん。わたしは三莉と会える日はいつも全力待機してるよー」


「えっ。この前、寝ていたじゃないですか……」


「……」


「南雲さん?」


 こんな、些細なやり取りも楽しかった。


 南雲さんは私のそばに来て、ギュッと抱きしめた。壊れ物を扱うように——かと思えば力強く、私がそこにいるのを確かめるようにハグをした。


「ちょっ。苦しいですよ!」


「ふんふふーん。充電」


 ほっぺた同士をくっつけると、モチッとした感触がした。良い匂いがしてクラクラした。


「あっ。南雲さんに聞きたいことがあったんですが、この香水ってどこのですか?」


 そう聞くと、南雲さんはとあるブランド名を口にした。

 文字化けしたように不自然な音がすることもなく、今回はしっかりと聞き取れた。


「なるほど。わかりました! ブランド名は伝えることができるんですね」


「だね〜。なに。三莉、香水ほしいの?」


「はい。南雲さんと同じのを。恥ずかしいですが……」


「そっか」


 南雲さんの声は、にやけているように感じた。


「なら、わたしのあげるよ」


「えっ。いいんですか?」


「うん。残り少しだし……特別!」


 南雲さんは私から離れると、棚の上にあった香水を手に取った。

 こっちにやってきて、「んっ」と差し出す。

 香水の中身はたっぷり入っていて、残り少ないようには見えなかった。


「……ありがとうございます!」


「だけど、わたしといる時はつけないでね」


「えっ。どうしてですか?」


 そう言うと南雲さんは、また私を抱きしめる。耳元に唇を近づけた。


「三莉の匂いが好きだから」


 チュッと軽く耳にキスをされた。「ひゃっ」と情けない声が出てしまう。

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