第25話 私のファーストキス

 南雲さんは少し黙った後、軽い調子で「いいよ」と言った。私は勇気を出したのに。その余裕ありげな態度にモヤついて、私の中の闘争心みたいなものが刺激された。


 顔を近づけると、南雲さんが目を閉じた。


 彼女とキスする夢を見た時から、こうなることが決まっていたような気がした。


 ——ふと我に返る。


 私って寝起きだ! 髪もボサボサで、制服のままだし。


 ファーストキスをする場面っぽくないと思い、その場に立ち上がる。


「えっ。三莉?」


「ちょっと……待って!」


 私はカバンの中に入ったポーチの中から、鏡を取り出す。手ぐしで髪を整えた。


 その後、ケース入りの清涼菓子を取り出して、数粒手に乗せて、口の中に入れた。


 これで、エチケットは大丈夫だよね?


 さっきまで座っていたベッドに戻ってきて、覚悟を決めた顔をすると、南雲さんがぷっと吹き出した。


「三莉、面白い!」


 お腹を抱えて笑い出す。


「良い雰囲気の時に、普通そんなことしないって!」


 あれ? 私って、そんな変なことしたかな……。

 一人取り残された気分になって、うつむく。


「本当にかわいい」


 南雲さんは私の肩にそっと触れた後、唇を重ねた。


 あっ、と思った瞬間、私からしたかったのにという気持ちが溢れ出す。唇を離した後、目と目が合った。


 何か気の利いたことを言いたかったのに、うまく言葉が出てこなかった。

 頭がふわふわして、私ってまだ夢を見ているんじゃないかと思った。


「その顔はずるいよ」


 また南雲さんの顔が近づいてきたかと思うと、先ほどよりも唇を強く押し当てられた。

 んっ、と吐息が漏れて、恥ずかしくなる。南雲さんの表情が緩んだ——気がした。


 離れた唇が、ためらいがちにもう一度重なった。嫌じゃない。気づいたら、彼女にリードされる形で向き合っていた。


 不意に南雲さんが、私の右耳に唇を近づける。ふーっと息を吹きかけると、ゾクっと身体に衝撃が走った。


 あれ。この場面、どこかで見た気がする。そうだ。夢だ。きれいな湖が見える原っぱで、南雲さんから押し倒されて、耳を甘噛みされたっけ。


 もしかして、同じことが繰り返されている?

 息が乱れ、何も考えられなくなった。


「まぁ。わたし、弱った女の子に手を出す趣味はないんだ」


 南雲さんは、そっと囁く。


 夢とは違う展開。


 先ほどまで、私は板川さんのことで傷ついて泣いていた。でも、南雲さんの存在に支えられて、立ち直ることができた。


 キスしたいなんて大胆なことも言った。


 南雲さんとのファーストキス。——しかも、ここはベッドの上だ。

 恥ずかしさを感じながらも、やめたくない私がいた。


 南雲さんと目を合わせた後、優しくほっぺをつねる。


「ちょ。なになに」


 戸惑う彼女に、今度は私から唇を重ねる。小さなちゅ、という音が部屋の静かさに溶け込んだ。


「ん……」


 南雲さんの吐息が漏れる。たまらない気持ちになった。


「……じゃあ、私からこんなことするのは、別に良いってことですよね?」


 南雲さんの右耳に近づき、耳を甘噛みした。カプッと痛くない程度に、じゃれるように噛むと、南雲さんは「あっ……」と今まで聞いたことのない色っぽい声を出した。


 それが妙にドキドキしてしまって、何度も耳に甘く噛みついた。彼女は必死に声を抑え込もうとしたが、微かな吐息が漏れていた。かわいい。

 動くたびに、ベッドが小さくきしんだ。


「三莉……」


 息も絶え絶えに私の名前を呼ぶ。


「南雲さんは……」


 目はとろけかけていたが、理性は手放していなかった。

 いつか、聞いてみたかった。


「私のことって、どう思っていますか?」


 気さくに見える南雲さんだけど、どこか心の内はつかめなかった。

 正確な言葉で私のことをどう思っているのか知りたかった。


「え……」


 戸惑うような表情を見せる。一瞬の間の後、


「……妹?」


 悪びれもなく、目を細めて、そう言った。


 ——私の心が冷えた瞬間だった。


 そっか。私のこと妹みたいに思っていたんだ。それなら、何故キスを受け入れたんだろう。


 普通、妹とはキスなんてしないよね。


 南雲さんはきっと、私に同情しているのかもしれない。お母さんの彼氏と会い、勝手に部屋に入られて、泣いていた可哀想な子。


 わたしにできることなら何でもしてあげよう。慰めてあげよう。——姉のように。そう思ったのかもしれない。


 気持ちは嬉しいはずなのに、妹と見られている事実がショックだった。


「三莉……?」


 南雲さんが戸惑いながら言う。


 いつも明るい彼女が取り乱す瞬間が、好きだった。心に一線引いてしまいそうなところで思い直す。


 私たちは知り合ったばかりだ。「好き」なんて言葉を簡単に言ってしまったら、どこか嘘っぽく聞こえる。


 私は南雲さんに期待していた。お母さんにもらえない愛情を、彼女で埋めようとしていたのかもしれない。


 確かに私は今、弱っている。目の前の人に一挙一動翻弄されている。気を確かにしないと。


「……私、初めてキスしました! ファーストキスです」


「えっ?」


 責任を取れなんて言わない。大体、私たちの間にある責任って何だろう?


 ただ事実だけを口にした。きっと、南雲さんはファーストキスではない。誰かとキスをした経験があるはずだ。完全に直感だけど、私はそう確信していた。


 ファーストキスなんて言われたら、普通の人なら、「私で良かったのかな」とか、たじろぐ気持ちを持つはずだ。そうなれば、少しでも記憶の中にいられる気がした。

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