3-3 映画と記憶

旧校舎の講堂は、日没の空を切り取ったような薄い茜色に包まれていた。

仮想とは思えない埃の匂いが、ほんのわずかに漂っている。

天井に吊るされた黒いスピーカー、布張りの椅子、ギシギシと鳴る床。

すべてが、玲奈の記憶と一致しているようで、どこか少しだけ違っていた。


「映写機、回るかな」


悠斗が、講堂の隅に置かれた小型の旧型プロジェクターに手をかけた。

その動作が自然すぎて、玲奈は一瞬「彼がそれを操作できる」という前提に違和感を持たなかった。


パチン。

カチ、カチ……とリールがゆっくりと動き始める。


スクリーンに光が走る。

フィルムの冒頭にあるリーダーテープの数字が、ノイズ混じりに流れたあと——


——画面に現れたのは、学園祭の記録映像だった。


手持ちカメラで撮られた、手ブレの多い映像。

焼きそばの屋台、張りぼての演劇セット、わざとらしい司会のアナウンス。

手を振る生徒たちの笑顔。

音声はなく、ただ効果音のような16mmの回転音だけが、ゆっくりと空間に溶けていく。


 


玲奈は無言のまま、椅子に腰を下ろした。

視線はスクリーンに向かっているのに、脳は反対方向を向いているような感覚。

どこかが、遠くなっていく。


「これ……覚えてる?」


悠斗が隣に座り、ふと訊ねる。


「……知らない」


玲奈はそう答えた。

でも、それは“記憶にない”のではなく、“言葉にしたくなかった”に近い。

画面の端に、一瞬だけ映った後ろ姿。制服のスカートが揺れる。

小道具を抱えた腕。

影に隠れた横顔。


——陽菜。


 


確かに、そこに“親友”がいた。


でも、その事実よりも、玲奈自身の顔が一度も映らないことに、胸が苦しくなる。


誰もカメラを向けてくれなかったわけではない。

自分で避けたのだ。

あの頃の玲奈は、記録されることを恐れていた。


記録されることは、残ること。

残ることは、失われることを前提にしている。


誰かと並んでフレームに収まること。

一緒に笑って、映像として“思い出”にされること。

それがいつか、片方だけになってしまうこと。


玲奈はそれを——

もう知っていた。


 


スクリーンが一瞬、白く焼けた。

フィルムに焼け跡ができ、映像がぷつりと切れる。

講堂に音が戻る。


映写機が空回りするなか、

玲奈は、ふと手の甲に何かが落ちたのを感じた。


それは、涙だった。


 


泣いているという自覚はなかった。

胸が苦しいわけでもない。

声も出ていない。

ただ、目の奥が熱くて、頬を伝う感覚が、確かに“今”を教えてくる。


「……なんで、私……」


玲奈は呟くように言った。


悠斗は、答えなかった。

ただ隣にいて、プロジェクターの回転音と同じ速さで、沈黙を続けていた。


そして玲奈も、その沈黙を破ることができなかった。


 


映像の焼け跡。

誰にも記録されなかった自分。

記憶の隅で止まっていた季節。

それらすべてが、スクリーンの奥で今も光っている。


まるで——

「もう戻れない」とわかっていながら、それでも誰かが待っていたかのように。


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