2-2 感情の予測不能性

「君の名前は?」


その問いをもう一度反芻するうちに、玲奈の視線は自然と少年の顔に留まっていた。

ARアバターによくある“顔の整いすぎ”とは違う。ちょっとした寝癖。睫毛の長さの左右差。ほんの少し開いたシャツの第一ボタン。

造形に不自然さはない。でも、それ以上に「人間らしいズレ」があった。


玲奈は、名前を名乗るのを一拍だけ遅らせた。

なぜなら、この質問が“プログラムされたやり取り”に聞こえなかったからだ。


「……水瀬、玲奈」


「水瀬……玲奈」


少年はその名前を、まるで味わうように口にした。

反復音声での確認ではなく、どこか記憶のどこかを探るような、沈んだ響きだった。


「……不思議だね」

彼はつぶやくように続けた。


「聞いたことのない名前なのに、懐かしい感じがする」


玲奈は眉をわずかに動かした。

演出? それとも対話AIの新型モデル?


「あなた、どこから来たの?」


そう尋ねると、彼はまた少しだけ首をかしげた。

そのしぐさが、なぜか“決まったモーション”には見えなかった。


「わからない。ここで目が覚めたら、君がいた。……それだけ」


玲奈の手元に、インターフェース情報が流れる。


《ID:Y10(非登録)》

《記録対象:未確定セッション》

《会話テンプレート適用率:17%》


17%。

通常、AIとの対話テンプレート一致率は80%以上が基準。

つまりこの少年は、システム側からすれば「会話パターンが読めない」相手。


テンプレが外れてる……なのに、違和感が心地悪くない。


少年は、玲奈の目を見つめていた。

AR人格は、ユーザーが視線をそらしたときに“あえて目線を逸らす”設計になっている。緊張を与えないための配慮だ。


でもこの少年は——


玲奈が視線をずらしても、ずっと見ていた。


「……君の目、綺麗だね」

彼が、ぽつりと言った。


玲奈の心拍センサーがまた微かに上がる。

だが、次の瞬間。


「……でも、ちょっとだけ怖いかも」


「怖い?」


「うん。なんだか、“何も映ってないみたい”に見えるから」


玲奈は言葉を失った。

AR恋人たちは、ユーザーの容姿や表情を肯定し、安心を与える発話設計が義務づけられている。

この言葉は、そのどれにも該当しない。


この子、反応を——“外してる”。


それなのに、なぜか不快ではなかった。


むしろ——


このズレが、少しだけ気持ちいいと感じてるわたしがいる。


少年は少しだけ笑った。

それも、“正しい笑顔”ではなかった。微妙にバランスの崩れた口元。

そのせいで、玲奈の視界に残った表情は、妙に印象に焼きついた。


まるで、

“プログラムの外側から来た誰か”に、ふいに出会ったような感覚だった。


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