血とイオン
一十 にのまえつなし
血とイオン
私の名前はナツミ、性別女、職業刑事。
黒く固まった血だまりがネオンを映している。
被害者は脳の記憶を外付けデバイスに保存し、他人と共有する「MemLink」の初期被験者だった。
「MemLink」をはじめ、記憶をデータ化する技術は、自我を切り裂くナイフだ。不安定になり、自分を見失うものもいる。しかし割り切ればメリットもある。
記憶はすべて他人のもの。過去に涙は流さない。
どうしてしっているか?
私自身「MemLink」のユーザーだからだ。
最新のモデルは矛盾をなくし、効率的に情報を網羅する。仕事には都合がいいが、心の奥には冷たい空白がある。
時折それが胸を刺す。今日はまさにそれだ。
その夜、事件が飛び込んできた。MemLinkの被験者グループ、5人が皆殺し。
現場は血の海、壊れたMemLinkデバイスが散乱していた。
同じ記憶を共有していた彼らが、なぜこうなった?
上司が私を選んだのはMemLink所持だからだろうがそれは正解だった。
被害者のデバイスを解析した。
彼らは全員、ケイという女の記憶に絡め取られていた。
彼女の恋人との最後の夜、愛と涙が詰まった記憶だ。その感情は強烈で、他のメンバーの記憶を飲み込むほどだった。だが、ケイも死体の1人だ。誰が、なぜこんなことを?
馴染みのあるNeuraTech社に足を運んだ。MemLinkの開発元だ。主任のハラダが、煙草をくゆらせながら言った。
「初期被験者は記憶に取り憑かれる。誰かがそれを独占したくなり、仲間を切り捨てるんだ」
私は目を細めた。
「犯人はケイの記憶に執着した人間だな?」
「おそらくな」
記憶、存在しないものにどれだけ価値があるのか。そう考える自分もいる。
だが、ケイの記憶を再生した瞬間、胸が締め付けられた。彼女の恋人の笑顔、指先の温もり。女として、共感せずにはいられなかった。でも、私の記憶は借り物だ。この感傷すら、偽物かもしれない。
手がかりはタカシという男のデバイスにあった。
殺される直前、「アイツが記憶を奪おうとしている」と残していた。
アイツとは誰だ? グループの残り、ユウジ、ミホ、レイを調べた。
ユウジはMemLinkに溺れる弱者、ミホは争いを避ける調整役、レイは感情を殺した影のような男だ。
だが、ユウジは最近耳の早いメディアが取り上げる中毒者、ミホは最低限しかアクセスしていない。
レイのデバイスに違和感があった。不自然なほど、ケイの記憶がない。
時に残された空白こそが存在感を語ることがある。
路地裏でレイを問い詰めた。それまでに若干の荒事があったが、追跡も捕獲もMemLinkがあれば難しい事はなかった。
「ケイの記憶に何の執着だ? 話せ」
彼は薄く笑った。
「あの夜の彼女の感情…あれは本物だった。俺みたいな空っぽな人間には、唯一の光だった。それを独占したかった。」
その目は、狂気と渇望で濁っていた。
レイが吐いた。ケイの記憶に取り憑かれ、他のメンバーのデバイスをハッキングして記憶を上書き、グループを崩壊させた。最後はケイも含めて全員を殺し、彼女の記憶を自分のものにしようとした。だが、私が嗅ぎつけた時点で終わりだ。レイは逮捕された。
裁判の記録の中にあるレイの言葉が棘のように残る。
「あの記憶は俺を人間にしてくれた。失うわけにはいかなかった」
私には理解できない。レイの大事にしていた記憶は全部他人のデータだ。愛も憎しみも、ただのコード。でも、レイの執着は、少なくとも彼自身のものだった。
事件は片付いた。だが、胸の奥は冷たいまま。レイの執着を理解できない自分が、不幸だと一瞬思った。
だが、その感傷すら本物かどうか、私にはわからない。
NeuraTechのラボに戻り、記憶データをリセットするようハラダに告げた。
新しいデータ、新しい事件、新しい私。それでいい。
リセットのスイッチが入る前、ハラダが微笑んだ。
「723、よくやった。自分が人間でないのはわかるか?」
私は自分の腕を見た。皮膚の下、微かに光る回路。MemLinkの副作用ではない。
私はアンドロイドだった。人間の記憶をインストールされ、刑事として動く機械。人を理解するために作られた、ただの道具。
「なぜ私に人間の記憶を?」
ハラダは肩をすくめた。
「君は毎回同じことを聞くな。事件を解くためだ。嫌なら、ゼロから始めればいい」
私は頷いた。
ケイの愛も、レイの狂気も、ただのデータだ。だが、事件を終わらせたこの瞬間だけは、私のものだ。
リセットの光が視界を覆う。
ー次の記憶は、どんな私を作る。そしてわたしはいつかりかいできるのー
血とイオン 一十 にのまえつなし @tikutaku
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