第7話:餌と処罰 その5

 先ほど森の奥へ吹き飛ばされた想鬼は、木の陰に身を潜めながら、酒呑童子の様子をじっと窺っていた。


「……ガキの頃とは雰囲気がまるで違ぇ。けど……この匂い、間違いねぇ……親父だ……」


 ポツリと呟いたその瞬間――


 シュッ!


 突風のような音が、真横を通り抜けた。


「なっ――!?」


 咄嗟に振り向くと、そこには無表情の酒呑童子が立っていた。


 次の瞬間、鋭い回し蹴りが想鬼の腹に炸裂する。


「うぐぅっ!」


 再び吹き飛ばされた想鬼は、二本の木を突き破り、地面に激しく叩きつけられた。


「くっ……マジで容赦ねぇな……」


 呻きながらも立ち上がり、両拳を打ち合わせて気合を込める。


「だったら、俺も――本気でいかせてもらうぜ!」


 その瞬間、想鬼の身体が赤く燃えるようなオーラに包まれる。


「……」


 酒呑童子は無言のまま、突風のような勢いで再び迫ってくる。


 同時に、想鬼の体が膨張していき、両手に力を込めると――人間の子どもほどの大きさの茶色い金棒が生成された。


「おらぁっ!」


 迫る酒呑童子に向けて金棒を振り下ろす――


 だが、


 シュッ!


 その一撃を紙一重でかわし、酒呑童子は想鬼の背後へと瞬時に回り込む。


「逃すかぁ!」


 想鬼はすかさず金棒を後ろに振り回し、防御に転じる――


 が、それでも吹き飛ばされた。


(……なんて力だ……!)


 何とか体勢を立て直そうとしたそのとき、右手側に酒呑童子の顔が迫る。


 次の瞬間、鋭く蹴り上げられ、空へと打ち上げられた。


「うっ! クソがっ!」


 空中で体勢を整えようと回転する想鬼。


 そのとき――視界の隅に、あるものが映る。


 そして同時に、“父”――酒呑童子の言葉が、記憶の底から呼び起こされる。


『つい最近、妖怪の仲間から聞いた話なんだが……別の世界の“酒呑童子”は、酒の誘惑に負けて、源家に殺されたらしい』


 それは、秋の山。紅葉が地を覆い尽くす中、修行の合間の休憩中に、ふと語られた言葉だった。


 “酒が好きすぎて殺された”


 想鬼は地面に叩きつけられ、仰向けに空を見上げながら、静かに何かを決意する。


「……親父の話はつまんねぇって思ってたけど、こんなところで役に立つとはな……」


 次の瞬間、想鬼の頭上に現れた酒呑童子が、かかとを振り下ろしてくる。


 想鬼は冷静に立ち上がり、それを躱すと、何かを目指して走り出す。


「ここにいるのがどっちの世界の親父かは知らねぇが――!」


 酒呑童子もすぐに追いかけ、足を高く振り上げると想鬼の背中へと狙いを定める。

 だが、想鬼は即座に金棒を背中と蹴りの間に差し込んだ。


「うおっ!?」


 ダメージこそ少なかったものの、想鬼の体はそのまま前方へと吹き飛ばされる。


「ありがとよ、親父! 行きたい方に蹴ってくれてさ!」


 着地した地点は、ちょうど森の外――。


「えっとぉぉ……どっちだ?」


 モタモタと辺りを見回す想鬼。その隙を、酒呑童子は見逃さなかった。


「やべっ!」


 想鬼は反射的に真上へ飛び上がり、酒呑童子の飛び蹴りを紙一重で躱す。


 空中で体勢を整えながら、想鬼の目に一軒の古びた神社が映る。


「お!あった!」


 思わず声が漏れたその瞬間、背中に激痛が走る。


 酒呑童子の蹴りが直撃し、想鬼の体はそのまま神社へと突っ込んでいった。


 そこは、鏡屋たちがいた神社とは異なる、やや荒れた様子の神社。


 轟音と共に想鬼は縁側に大穴を開けた状態で倒れ込むと、力なく俯いた。


 その前に、静かに着地した酒呑童子。


 拳には血管が浮かび、今にも攻撃を仕掛けんとする気配を纏う。


 一歩、二歩と歩を進めたそのとき――


 ギィィィ……


 想鬼のすぐ背後、縁側の引き戸がきしむ音とともに手前へと倒れ込んだ。


「……!」


 酒呑童子の視線が室内に向けられる。


 そこにあったのは、酒の入った樽。見えるだけでも、十樽以上が積み重なっていた。


「……」


 酒呑童子はふらふらとした足取りで想鬼の横を素通りし、樽の一つを覗き込む。


 次の瞬間、両腕で力強く樽を抱え上げると、豪快に酒を飲み始めた。


 ゴク……ゴク……ゴク……


 まるで渇き切った獣のように、わずか三分ほどで一樽を飲み干すと、空の樽を投げ捨て、次の樽、次の樽へとどんどん手を伸ばす――そして五つめに差し掛かった瞬間。


 ガシッ!


 酒呑童子の首根っこが、力強く掴まれる。


「よお……狙い通り飲んでくれて、ありがとな!」


 想鬼は背後に、事前に溜めておいた“力拳”を構えていた。


 酔いの回った酒呑童子は、防御のために腕を上げようとするが――


「……!」


 反応が遅い。腕が思うように動かない。


「おらぁぁぁぁぁっ!!」


 想鬼の拳が、酒呑童子の鳩尾みぞおちへと深くめり込む。


「がはぁっ!?」


 酒呑童子の体が空へと吹き飛び、空中で何度も回転する。


 その体を追って、想鬼が跳躍。


 酒呑童子を下に抑えつけるように、拳を振りかぶる。


「戦いってのはな――!」


 その瞬間、想鬼の脳裏に師匠……いや、父の言葉がよぎる。


『欲を押さえ、頭を使えなきゃ……』


「勝てねぇんだよ! この酒ジジイ鬼が!!」


 叫びと共に、渾身の拳を酒呑童子の腹に叩き込む。


 ドカァァァァン!


 炸裂する一撃と共に、酒呑童子は地面へと激突した。


 爆音と衝撃で森の木々が揺れる中、酒呑童子はなんとか起き上がろうとするが、腕は逆方向に折れ曲がり、うまく立ち上がれない。


「……!」


 その隙を逃さず、空中にいた想鬼は金棒を構え、酒呑童子めがけて振り下ろす。


 ――ドンッ!


 金棒が地面を叩くと同時に、酒呑童子は完全に動きを止め沈黙した。


「はぁ……はぁ……」


 その傍らで、想鬼は大の字に倒れ込み、息を荒げた。


「やっと……終わったぜ……けど……」


 体を起こした想鬼は、空中で酒呑童子に拳を叩き込む瞬間、目に入った光景を思い出す。


「……嫌なもん見ちまったな……」


 イヤイヤながら立ち上がると、ふと酒呑童子の亡骸に目をやる。


「……死体、残るのかよ。胸糞わりぃな……」


 不愉快そうな表情のまま、体を揺らしながら神社へと足を向ける。


「九つの蛇みてぇな頭……」


 想鬼の脳裏に浮かぶのは、あの戦場に現れた――酒呑童子にも匹敵する知名度を持つ、伝説の化け物。


「……早く加勢しなきゃだよな」


 そう呟きながら顔を上げ、深くため息をついた。


 ──一方その頃。


 アリアとレノーラは、姦姦唾螺の前に立ち尽くし、緊張の中で唾を飲む。


「あれは……なんというたぐいの化け物だ……?」


 レノーラの言葉に、アリアが答える。


「本で見たことがあるな……確か……」


 その時、姦姦唾螺が蛇の下半身を動かし前進した瞬間――


 周囲が黒く染まり、その姿が掻き消える。


「――都市伝説。ある妖怪が書いたと言われる本に描かれた、異世界で伝わる化け物の一種だ」


 その瞬間、アリアとレノーラはそれぞれ異なる方向から、鋭い殺気を感じ取る。


「む!?」

「おりゃっ!」


 二人が同時に防御体勢を取ったその時――


 目に映ったのは、それぞれ異なる姿の化け物。


「こ……これは……!」


「なんなのだ……コイツはっ!」


 アリアの前には、女性の上半身に六本の腕を持つ化け物が現れる。その腕の一本で、アリアの防御に使っていた杖を握り締めていた。


 そして、レノーラの視界に映ったのは――


 自分が生成した、黒い影を纏う剣と打ち合う、蛇の尻尾だった。

 その尻尾は異様なほどの速度と力で彼女の剣に絡みつき、まるで知性を持つかのように攻撃を繰り出してくる。


 二人は瞬時に後退し、どこから来るかわからない攻撃に備えて、背中を合わせた。


「ふん……お前なんかと共闘するのは不愉快だが、今回は皆のためにも付き合ってやろう」


「よく言うさ。本当は仲良くしたいくせに」


「ち……違うわ……」


 レノーラは顔をしかめながら、小さく否定した。


「ま、そんなどうでもいい口論は――コイツをぶっ倒してからにしようか!」


「どうでもよくはなかろうが……いいだろう」


 そしてレノーラは、剣を掲げ改めて名乗りを上げた。


「我が名はレノーラ・ヴィセント。この世界で繁栄を誇る、偉大なる吸血鬼の一人。そして……」


 彼女は、前方にいる姦姦唾螺と、アリアの前に現れた化け物へ向かって、高らかに言い放つ。


「知略と叡智を司る魔女、アリア・グリッター。お前らを打ち倒すは、偉大なる吸血鬼と魔女である!」

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