霞ノ亡霊
アズマトオル
第1話 ふわふわとした日常
木曜日の朝7時。枕元に置いてある目覚まし時計が部屋中に鳴り響く。
眠い目をこすりながらも、月城詩は静かに目を覚ました。
普段なら2度寝をするところだが、今日はそうもいっていられない。
なぜなら今日は、告白をする日だからだ。
何事も準備から、という考えを持っているため、普段より1時間早く起きてワックスで髪を整え、高校の制服に袖を通す。
それでも予定より30分も早く支度が終わってしまった。
少し早めに家を出て、頭の中で予行練習をしながら学校へ向かうことにした。
道中、台詞の反復も一区切りついた頃、足を止めて空を見上げた。
朝の澄んだ空気。光を受けて白く輝く雲。
まるで“加工されたかのように完璧な”青空が、まぶたを刺す。
「今日うまくいけば俺もリア充の仲間入り、か…」
空に浮かぶ言葉に、つい苦笑する。
浮かれた心のまま、晴れやかな足取りで歩き出す。
今日が特別な日になりますように——
そう、柄にもなく願いながら。
____________
「あ、月城君おはよ」
教室に入った瞬間、聞こえてきた声に振り向くと、そこには玉木かのんがいた。
月城は緊張のせいで目を合わせることができず、うつむきながら軽く会釈をして通り過ぎる。
席に着くと、友人が茶化すように近づいてくる。
「おはよ、ウタ。今日はキメてんじゃん。何かあった?」
「ほら、前から言ってただろ。今日が一世一代の日なんだよ」
「そうだったな。クラスの人気者、玉木かのんに告るんだったっけ?」
月城は軽くうなずいた。
「本当は文化祭の日にって言ってたのに、急に今日にするって言い出してさ。
俺、あの時、マジで笑ったぞ」
そう言いながら、友人は肘で小突いてくる。
月城は半ば照れ隠しのように苦笑を浮かべた。
「緊張してるから茶化すなよ…。サッカー部のやつが告るって話を聞いてさ、先越されるくらいなら玉砕覚悟で行った方がいいかなって思って。」
「ふーん……なるほどね」
「で、なんで今日は俺の机に来たんだよ。宿題でも見せろってか?」
「ご名答!」
友人は勢いよく手を合わせて、深々と頭を下げる。
「宿題が終わってないことに気づいて、HRまであと10分しかないんだよぉ。お願い、写させて!」
普段なら軽い攻防があるのだが、今日は気分が良かった。
快く宿題を手渡す。
「サンキュー!助かったぜウタちゃん。いい行いをしたんだから、今日の告白は絶対うまくいくって!」
その瞬間、チャイムが鳴った。
生徒たちはあわただしく自分の席に戻っていく。
普段なら“神頼みなんて”と思うけど、今日くらいはいいかもしれない。
そんな気がしていた。
授業は、いつもと同じ。
優等生が挙手し、教師がテンプレートのように応じ、黒板には見慣れた公式。
それなのに、どこかすべてが“決まりすぎている”ような気がした。
顧問の授業では相変わらず冷たく扱われたが、今日はまったく気にならなかった。
何もかもが、背景のように静かに流れていく。
___________
放課後。
部活に行こうとしていた玉木を呼び止めた。
「ねえ玉木、今からちょっと時間ある?」
「あるけど…どうしたの?」
「あー、ちょっとだけでいいから、屋上まで来てほしいんだけど…」
「なになに、もしかして……告白とか?」
いたずらっぽく笑う玉木に、月城は顔を赤くして言葉を詰まらせた。
それ以上答えることができず、彼女の手を取ってそのまま屋上へと向かう。
無言のまま扉を開けて、風が吹き抜ける。
太陽の位置、風の温度、光の粒子、すべてが映画のワンシーンのようだった。
彼女のほうへ振り返り、練習してきた言葉を口に出そうとする。
だが、うまく出てこない。
喉が詰まり、身体の内側からジリジリと焼けるような感覚が走る。
まるで、“好き”という感情が痛みに変換されるかのように。
玉木は、目線を下げて後ろ髪をいじりながら、そわそわと月城の言葉を待っていた。
その仕草が、いつか夢に見たままのシーンに重なっていく。
そして、ほんの一瞬、目が合った。
時間が止まる。
息を飲み、月城は声を絞り出す。
「好きです。俺と付き合ってください」
自分の意志というより、“決まっていた言葉”が口からこぼれた。
玉木も、まるで合図を聞いたかのように、一呼吸おいて静かに答える。
「うん、私も好き」
その言葉を聞いた瞬間、世界が止まった。
音が消え、色が消え、時間が消えた。
…だが、違和感が残った。
声に揺らぎがない。
まるで録音された返事をそのまま流されたような。
笑顔は確かに浮かんでいたが、目は、どこか遠くを見ていた。
けれど月城の胸には、言いようのない幸福感が溢れていた。
その不自然さすら、許せてしまうほどに。
——玉木を呼ぶ後輩の声で、世界が再び動き出した。
二人は軽く笑い合いながら別れ、帰り道につく。
「じゃあ、また明日ね」
彼女の去り際、一瞬見えた横顔の笑顔が、あまりにも美しくて。
体温がふっと上がる。
今日で人生が終わってもいい。
そんなふうに思えるほど、月城の心は満たされていた。
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