秘密 (2)

 陽の光が徐々に霧を突き抜け、エマロ学院の姿が浮かび上がる。

  山々に抱かれたその場所は、結界に守られ、空気には微かな魔力の波が漂っていた。


 だが、その波はどこか不安定で、まるで外界から切り離された異界の脈動のようだった。

 ノックスは目を細め、遠くの校舎を見やる。


 風が吹き抜け、ノックスの暗紅色の髪が揺れる。

 額に落ちる一筋の白髪が、朝光に映えてひどく目立った。

 彼は指で押さえようとしたが、すぐに元に戻る。


「ねえ、知ってた?」

  隣から、アリアンの気楽な声が聞こえてくる。

  「この結界って、世界最強クラスなんだって。特に――」


  彼女は指で小さな円を作りながら、意味深に続けた。

  「“フツーじゃない人”のためにね」


「それがどうした」

 ノックスは淡々と返す。話を切り上げたくて、歩調を速めた。


「どうしたって……ふふっ」

  アリアンはいたずらっぽく笑って言った。

  「昨日の夜、符紋室の前を通りかかったんだけど、壁の符紋が勝手に動いててさ。

 光ってて、まるで灯台みたいだったよ。

  しかも、誰か運ばれて出てきたの。ぐったりしててさ、完全に何かにビビってた感じ」


 ノックスの眉がピクリと動き、歩調がわずかに乱れる。

「……本当に見たのか」


「見たよ、間違いなく」

  アリアンは肩をすくめながら、相変わらずの笑みを浮かべる。


「結界はすぐ元に戻ったけど、もう少し見ていたかったな。

 ねえ、あそこ、魔界の何かでも封じてるのかな?」


「好奇心で死にたければ、勝手にしろ」

 ノックスは冷たく言い放つ。

  だが、その目は無意識に西側の建物へ奪われていた。


 木々の影に隠れるようにして立つ、青銅のドーム型の建物。

  その壁に刻まれた符が、微かに光を放ちながら、何かを囁いているように見えた。


 アリアンは一歩だけ近づき、声をひそめる。

「たとえば――君とか?」


「俺はただの学生だ」

 ノックスはまっすぐ彼女を見つめながら言う。

  その声は静かだが、明らかに警告を含んでいた。


「ただの?」

  アリアンは声を上げて笑い、額に指をトンと当てる。

  「冗談でしょ。私、ハンターの家系なんだよ? そういうの、見抜くの得意なんだから」


 ノックスは数秒沈黙し、それから無言でくるりと背を向け、歩き出す。


「……見間違いだ」


 アリアンは何も言わなかった。

  ただ、後ろから聞こえる笑い声は、まるで――


  “全部お見通しだよ”とでも言っているようだった。


 ◆ ◆ ◆ 


 放課後―― 夕陽が校舎を赤く染める頃、ノックスは人気のない教室に独り立っていた。

  スマホを握り、迷いを押し殺しながら、母に電話をかけるべきか逡巡する。


 父のルールは厳格だ。

「放課後はまっすぐ帰れ。余計な疑いは招くな。」


 だが――あの符紋室の紫光の揺らめきが、どうしても頭から離れなかった。

 まるで、心に刺さった小さな棘のように。


「……かけてみるか」

 小さく呟いて、通話ボタンを押す。


「もしもし、ヨルちゃん? どうしたの?」

 母――カルマの軽やかな声が、耳元に届いた。


「……その呼び方、やめてくれ」

  ノックスは眉をひそめ、やれやれといった声で返す。


「え~? “ヨルちゃん”って可愛いじゃない。“ナイト”って感じで、あんたにぴったりでしょ?」

 くすくすと笑うその声は、いつも通りの気まぐれな調子だった。


 ノックスはため息をつき、要件を切り出す。

「今日、ちょっと帰るの遅くなる。学校で、用事ができた」


「ふーん?」

  カルマの声色が少し上がる。

  「どんな用事?」


「……符紋結界に問題があって、先生に手伝うよう頼まれた。

 チェックだけだから、大したことない」

 なるべく自然に、何気ないことのように言う。


 一瞬の沈黙。

  そのあと、カルマはくすっと笑った。


「で、パパにはもう報告済み?」


「……まだ」


 素直に認めると、電話の向こうで母があっけらかんと笑った。

「やっぱりね、うちの子は賢いわ」

「……今回は特別に許すけど、トラブルは起こさないようにね?」


「わかってる。ありがと」

 ノックスはほっと息を吐き、通話を切った。


 窓の外へ、ノックスは無意識に目を奪われる。

 校舎の向こう、木々の奥にひっそりと佇む符紋室の方向で、紫色の光が一瞬、妖しく脈動した。


  ……まるで、何かが彼を“呼んでいる”ように。

 ノックスは無意識に拳を握り、その光を見つめた。

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