働いてください、神父様! 〜かつて滅ぼされた邪神、百年後の世界で他宗教の神父となって再起を狙う〜
彼方こなた
第1話 かつて邪神と恐れられた神父
人間と魔族が敵対する、とある世界。
その中にある小さな街に、教会が一つありました。
その教会には若くて優秀な神父が一人。
今日もまた、教会に迷える子羊が――。
「妻が浮気をしてるんですっ!」
「欲深くて結構なことではないですか」
「はい?」
「失礼。口が滑りました」
怪訝な顔をする子羊に、神父は「ミルクをどうぞ」と勧める。子羊はおずおずとミルクを口に流し込んだ。
「子羊さん。貴方の話をまとめると、最近、奥さんが自分に隠れて友達に会うようになったと」
「あの、僕は子羊という名前では無いのですが……」
「私が思うにそれは以前、貴方が友達と会うのをやめろと怒ったからではないでしょうか」
「えっと、その話、神父様にしましたっけ?」
「神はすべてを知っています」
聡明な神父は、首を傾げる子羊に再びミルクを勧める。
子羊がミルクを飲んだのを確認すると、続きを話した。
「奥さんは友達に会うことを楽しみにしていた。けれど、それを貴方に咎められた。だから隠すようになった。そうは考えられませんか?」
「そ、そうだとしたら、疚しいことがあるから隠すのでは――!」
「そうとも限りません。人の縁は色恋だけではありませんから。実際、子羊さんの奥さんは必ず複数人の男女で会うようにしているようですよ」
「ど、どうしてそこまで」
「ミルクをどうぞ」
子羊が直前の疑問を何も思わなくなった頃、文武両道の神父は口を開く。
「一度きちんと話してみてはどうでしょうか。自分の気持ちを伝えて、相手の気持ちを聞く。そうすれば、今と違った見方が生まれるかもしれません」
「な、なるほど……」
「会話のコツとして感情的にならずに相手の話を一度最後まで聞いてみる、というものがあります。ぜひ、実践してみてください」
……さて、茶番は終わりだ。
慈悲深い神父――否、俺は懐にしまっていた紙を取りだし勢いよく立ち上がっ――
「ですが今、ゼルス教に入信すればその悩みごと消えて――」
「ありがとうございます! これから妻と話をしてみます!」
思い立ったが吉日と言わんばかりに、勢いよく教会を飛び出していく子羊――否、男。
「……そうですか。それはよかった」
俺は中途半端に腰を上げた体勢で、引き攣った笑みを浮かべながらそう言った。
☆ ☆ ☆
「はぁ……」
薄暗い教会の中は、俺の心も暗くする。
本日の入信者はなし。同じ数字が並ぶカレンダーに、今日もまた0と書き記す。
「何がダメだったんだ……俺の勧誘の仕方は完璧だったはずなのに!」
「本気でそう思ってるのなら、キミの目は節穴だよ」
「あ?」
不愉快な言葉を投げかけてきたのは、まるで我が家に帰るかのように教会に入ってきた女。
まるで月の光のような長髪を持つ女は、馴れ馴れしく俺に手を振る。
「いやぁ、神父も板についてきたね。天職なんじゃないかな?」
「……何の用だ。ここは暇人の遊び場じゃないんだそ」
「同僚がちゃんと罪を償っているのかを確認に来たんだよ。それに、ここは私を崇める教会なんだから。いつ来たっていいじゃない?」
彼女の名前はセレス・エレナ・リアン。
慈愛と真実の女神、セレシアが人間になった姿。
「帰れ。俺は仕事で忙しい」
「神父の仕事で? あっはは! キミ、随分と染まっちゃってまあ。神様だった頃の面影もないね」
「今でも神だ」
「形式上はね」
俺の名前はルシアン・ノークス。
この教会唯一の神父で、かつて世界を脅かした邪神ゼルグ=ノークスの人間の姿。
今は、かつての罰としてこの忌々しい女神の神父となっている。
「神父としての役割を全うしなければならない。そんな制約がなければ、今にもこの教会を燃やして焼肉パーティーでも開いているところだ」
「さっきのが全うしてたかは微妙だけどね」
そう言って、セレスはさっきまで男が使っていたコップを手に取り、その中身をじっくりと見た。
「これ、記憶を混濁させる薬を入れてるよね。副作用や障害が出ないように注意しているみたいだけど、仮にも神父としてどうなの、これ」
「神っぽくていいだろ。信仰という毒で判断力を鈍らせ、お告げやらご利益やら甘言で騙す。これが神父としての仕事だ」
「ぜんっぜん違うから! え、キミ、私たちのことずっとそういう目で見てたの!?」
あったりまえじゃん何言ってんのこの人。
「あったりまえじゃん何言ってんのこの人」
「そこは口に出さないところじゃないのかなぁ? かなぁ!」
元気だなぁこの人。同期が俺だけだからきっと友達がいないんだろう。
「可哀想」
「それだけでものすっごい失礼なことを考えてることが伝わってくるよ!」
まったくもう。まったくもうったらまったくもう。
そう言ってぷりぷりと怒るセレス。と、その時、ふと彼女の顔が物憂げに沈んだ。
「……どうしてキミは、邪神なんかになっちゃったのさ」
「……すれ違いによる悲劇ってのは、いつの時代もあるものさ」
ふっと、自嘲気味に笑ってみせる。
あの頃に戻ったらどうするかと、考えてみたことは何度もある。だけどきっと、俺は何度でも同じ選択を繰り返すだろう。
「そう、豊満な胸こそが正義だと!」
「本当に何でそんな理由で邪神になったのさ!?」
「性癖の神として、解釈違いが許せなかっただけだ!」
「キミは欲望を司る神だよね!? 勝手に司るものを変えたらダメだよ!」
「黙れぺったんこ!」
「誰がぺったんこだ!」
クワッと噛み付いてくるセレス。
だが俺はかつてのことを思い返し、わなわなと震えていた。
「何が『ペちゃぱいこそ至高!』だ、何が『女性の魅力に胸の大小は関係ない!』だ。訳の分からないことを言いやがって……!」
「訳が分からないのはキミの方だよ」
誰にも理解されないことは知っている。俺を打ち倒した勇者でさえ、「そんなことで!?」と驚いていた。
懐かしい。……今でも勇者の姿を思い出すと、全身から拒絶反応が出てくる。早く忘れたい。
「ま、ぺちゃぱい信仰は今も変わってないみたいだけどな。どうにかしろよ、お前の信者だろ」
「私の大事な大事な信者に不名誉なことを言わないで!」
「だって事実だろ。ぺちゃぱいと偽乳を司る女神を信仰してるんだから」
「慈愛と真実ね? 次、言ったら"これ"だから」
「痛い痛いっ! もうすでにアイアンクローをしてるじゃねぇか!」
しばらくすると、苦しむ俺の姿を見て溜飲が下がったのか手を離してくれた。
そして、何を思ったのか自分の体を見せびらかすようにバッと手を広げる。
「っていうかさ、この姿を見てよ。これのどこがぺったんこだって言うのさ」
そう言ってクルリと回ると、彼女の身体にくっ付いている二つの肉塊がぽよんと跳ねた。
それは、ぺちゃぱいと偽乳のめが――失礼。慈愛と真実の女神に相応しくない、母性の象徴。即ち、おっぱいである。
神が人間の姿になる時、どのような姿になるかはある程度決めることが出来る。
多くの神は出来るだけ自分が神だと気づかれないように、まったく違う姿にする。だが、時には別人になるために使うべきリソースよりも理想の自分になれるようにリソースを使う神もいるのだ。
そして、彼女はその最たる例だった。
「ほら見てよ、この大きな膨らみを。キミの理想の姿なんじゃない?」
「でも偽乳だしなぁ」
「偽乳じゃないやい! そ、そんなに言うなら触ってみれば? これが本物だって痛感するからさ!」
「うん。そうする」
「あっはは! さすがのキミでも――え、なんだって?」
「揉みしだくって言ったんだよ。ほら、手を広げて」
そう言うと、セレスの顔がカァッと赤くなった。
そして、じりじりと後退り距離を取ろうとする。俺はそれを許さず、離れた分だけ距離を詰めた。
「え、ちょっと待って。私にはまだ早いって言うか、手順ってものがあるというか。もっとこう、ロマンチックに、ね?」
「ハリーハリーチャンスは待ってくれないよ。お前から言い出したことなんだから、暴力はナシな」
「そ、それは冗談で――ぁんっ!」
布越しでも柔らかい感触が伝わってくる。
体温が上昇しているのか、どこが温かい。俺はじっくりと検証するべく、胸をそっと撫でたり持ち上げたりしてみる。
「ちょ、なんかくすぐった――ひゃんっ!」
耳を真っ赤にして悶えるセレス。
手全体から伝わってくる胸のしっかりとした肉感は、そこに存在していると主張している。だが――。
「……あ、あれ、終わった……?」
潤んだ瞳で俺を見上げてくるセレスに、俺ははっきりと首を横に振った。
「デカイからDカップか。安直すぎる。三十点」
「何の話!?」
「お前の胸の総評。ちなみにDカップだから三十点は付けた」
「そ、それって大きい以外に取り柄がないって……じゃなくて! 人の胸触っておいて、その言い草はどうなわけ!?」
そうは言われても、触っていいと言われたから触っただけなので責められても困る。
責めるのなら、安易に許可を出した自分を責めろ、と言ってやりたい。言ったら殴られるので言わないが。
「所詮は偽乳だった。がっかりだ。俺の欲望の琴線に掠りもしなかった」
「少しは言葉を選びなさいよっ!」
怒られた。言葉を選べと言われたが、俺は選んだつもりだったんだが。
「大体、迂闊すぎるんだよ。男の前で胸を触ってもいいって言うのはどうかと思うぞ?」
「そ、それは……キミ以外には、絶対言わないし……」
「なんて? 言いたいことはハッキリ言わないと。俺みたいに」
「キミは言いたいことを我慢してみたらどうかなぁ? かなぁ!」
何やらよく分からない理由で怒り出すセレス。
俺は彼女にどう言い返してやろうか考えながら、ぐるりと首を巡らせると――不意に、目が合った。
「ひっ!?」
気づいたら俺は声にならない悲鳴をあげていた。
それを聞いたセレスが何事かと振り返ると、ピタリと固まる。
俺たちの視線の先には、一人の少女が居た。
教会の扉の前に、いつから居たのか光を宿していない目でこちらを見ている。
俺たちが気づいたことに気づいたのか、彼女はこてっと首を傾ける。
「ああ、ごめんね。邪魔しちゃったみたいで」
抑揚のない平坦な声で、少女はそう言った。
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