第32話 紅蔦病(こうちょうびょう)
治療院はそれなりに広い。元々それなりに金のある商人が建てたらしい屋敷をそのまま買い取ったとロランは言っていた。
どうやら帝国戦争時に疎開してきた商人一家が平和になったと同時に出て行ったそうだ。帝国側からは離れているとはいえリジェル王国寄りのこの場所にわざわざ居を構えていたということはいざとなったら国外脱出も考えていたのかも知れない。
本邸の一階の部屋を外来患者の対応に使用し、二階が主な入院病棟、そして同じ敷地内にある離れを第二の入院病棟としている。今のところ入院患者は多くないため使えるように設備だけ整えて離れは使用してはいない。
つまり花子達が来たのは二階である。それなりの部屋数のあるそこを花子はレンとケイト、そしてサンドラを引き連れて回った。
「うん、経過は順調だな。この分なら明日、あさってにも退院できるんじゃないか?」
「本当ですか! ありがとうございます! 魔女様!」
ベッドに横たわっていた女性は嬉しそうに手を合わせた。その白い肌にはもうなんの痕跡もないが、ここに入院した当初は赤い蔦のような文様が絡みついていた。
紅蔦病こうちょうびょうである。
初めて出会った時のロランと同じ病に彼女はおかされていたのだ。そしてそれは彼女だけではなく、この治療院に入院している内の五人ほどが同じ紅蔦病の患者だった。
(……多すぎる)
もちろん、それはこの病気が根源的な治療は花子の治癒術で可能でも、それまでに消耗した魔力と体力の回復に時間を要する病であるため念のため入院させているという事情もある。しかしそれにしても紅蔦病の患者が多いように思われた。
少なくとも、花子の知る限りリジェル王国で紅蔦病を見たことはない。
戦時中に見かけて治したことはあるが、それも確かリジェル王国ではなくアゼリア王国の兵士だったように思う。リジェル王国では花子は文献でしかこの病を見たことはなかった。
(遺伝的なものなのか……?)
幼い時に見た文献では、その真っ赤な蔦が絡まるようなおどろおどろしい見た目と最終的に魔力が暴発して周囲に損害を与えてしまうという被害の大きさから『悪魔病』という俗称があると書いてあった。
今のところ、この病の治療法は花子の治癒術のみだ。
ほかの治癒術師が治療しているところはリジェル王国の治癒術師しか知らない花子には見たことがない。しかし文献で『不治の病』と書かれている以上、おそらく治癒術による治療も本来はできないのだろう。
女神アリアから授かった聖女の治癒術による治療でしか治せない病。
(感覚的には、治癒というよりも解呪に近い感覚なんだよな……)
花子が女神から授かっている能力は治癒術と解呪術の二つである。
この世界での魔法の属性は皆一つであることが普通で、二つ以上の属性を持っている者は天才と呼ばれる一握りの人間だけだ。
類似しているものの治癒と解呪二つを持つ花子はまさしく女神の祝福を受けていると言えるだろう。
そして紅蔦病を治そうと意識する時、花子の中の感覚としては治癒だけでなく解呪のほうの力も作用している気がするのだ。
(呪いにしては、無作為すぎる気がするが……)
うーん、と花子は首をひねる。
「この紅蔦病はこの辺では多いのか?」
「え? 多いってほどじゃないだろ。まぁ、そこそこだよ」
レンの返答にますます花子の首は角度をつけて曲がった。
(これで多くないのか……)
このエリスフィアだけでロランも含めると七人も紅蔦病患者がいたわけである。
アゼリア王国内で七人ではなく、アゼリア王国内の一部領地内で七人。これを『そこそこ』と言える程度の人数が紅蔦病にかかっているわけである。
「なにかかかった人に共通点とかはあるんだろうか。身体的な部分だけではなく生活習慣とか、食べ物とか、どこかに出入りすることが多いとか……」
花子の質問にサンドラとレンは顔を見合わせた。そしてレンがため息をつく。
「原因がわかってたらとっくに取り除いているに決まってるだろ」
「……そうだな」
「まぁよく言われるのは魔力量が多い人がなりやすいって言われてるわねぇ、実際あたしの知る範囲でかかった人は確かに魔力量が多い人ばかりだし……」
サンドラがなだめるようにそう口にする。それからふと思い出したように告げた。
「そういえば変な噂はあったかしらねぇ、ほらうちの領、『精霊の住み家』があるじゃない?」
「『精霊の住み家』?」
「ああ、ハナコ様はご存じじゃなかったわね。ほら、洞窟みたいなのあるじゃない。あの洞窟の向こうに塔があるのよ」
(『試練の塔』か)
乙女ゲームの中ではそれは『試練の塔』と呼ばれ、クリアすることで女神からの祝福の得られる塔だった。しかし今はそうは呼ばれていないようだ。
「なにかの遺跡らしくってね、大精霊様が住まわれてるとかなんとか。この国には七つあるんだけど、不気味だからだれも中に入らないのよ。なんでも過去に入った人間が出てこなかったとか、恐怖に顔を引きつらせて出てきたとか、そんな怖い逸話ばっかりでねぇ。その中に『精霊の住み家に入ると大精霊様の怒りをかって病におかされる』なんてのがあってね。その病が実は紅蔦病なんじゃないかって言われてるのよ」
「へぇ」
「おいいい加減なこというなよ。ロラン様はそんなところに入ったりなんかしてないぞ」
サンドラの説明にレンは不愉快そうにそう指摘した。それにはサンドラも同意だったのか苦笑する。
「やぁねぇ、噂よ、噂。紅蔦病にかかった子もかかってない子も含め、あんなところに出入りしてないことなんてわかってるわよ」
「なぜだい? 人知れず出入りしているかもしれないじゃないか」
きょとん、と花子が尋ねるとサンドラはからからと笑った。
「洞窟が真っ暗すぎて一人で出入りするなんて無理なのよ。岩肌をよじ登って行く手もあるにはあるけど、わざわざそこまで時間と労力をかけてあんなところ行かないわよ」
「なるほど」
確かに屋敷からも高い崖が見えるのみでその向こうにある塔の姿は見えなかった。花子がゲーム知識で知っているからあそこにあるんだな、と洞窟と崖から連想したのである。
(そういえば……)
ふと思い出す。ロランといえば、戦場でのロランは通常とは違い瞳の色が紅くなっていた。
あれはゲームでは確か『狂化』と呼ばれる現象でゲームに出てくる主人公にやられる敵キャラがそうなっている描写があった。
(確か気が狂う代わりに力が増強されるとかそういうアレだったと思うが……)
「ロランの目が赤いのは紅蔦病と何か関係はあるのか?」
もしも『狂化』による副作用が紅蔦病なのだとしたら。
そう思って問いかけた言葉はしかし、
「え? ああ、『聖騎士の祝福』のことか? あれは無関係だろ」
とあっさりとレンに否定された。
「『聖騎士の祝福』?」
『狂化』とはあまりに印象の違う言葉が飛び出してきたことに花子は驚く。それにレンは「そんなこともおまえ知らないのかよ」と得意げにため息をついた。
「あれは大精霊様の祝福だ。強い意志によって授けられる力で紅の瞳を手に入れた戦士は敬意をもって『聖騎士』と呼ばれる。今この国で確認されている『聖騎士』はロラン様だけなんだぞ!」
えっへん、と彼は胸を張る。
それに花子とケイトは顔を見合わせた。
『紅の瞳』といえば、リジェル王国では『女神への反抗』、『悪魔の瞳』といわれ、差別の対象だ。
薄桃色の瞳をしたケイトなど、瞳の色が紅に近いというだけで差別を受けていたほどである。
「そちらのお嬢さんなんか、とても綺麗な薄桃色の瞳をしているわ。きっと大精霊様のご寵愛を受けているのかしら?」
そんなケイトのことを見てサンドラがそうにこにこと告げた。
それにますます花子とケイトは顔を見合わせる。
「『狂戦士』の間違いじゃなくてか?」
花子がゲームで知る『狂化』は少なくともそういった雰囲気の意味合いだった。
「誰が『狂戦士』だ!」
それをレンは鼻息荒く否定する。
「『聖騎士』は大精霊様に認められ、最強と名高い騎士に与えられる呼び名だぞ! ロラン様は帝国戦争でもその強さから『迅雷の聖騎士』と名を馳せたお方なのだ!!」
『アゼリアの悪魔』というリジェル王国での呼び名とはまるで違う称号だ。
(いや、まぁそうか……)
アゼリア王国に思うところのあるリジェル王国内での呼び名が不穏なものになるのは当然、そして自らの国を守った将軍の呼び名がアゼリア王国内で賞賛の言葉になるのもまた当然だ。
客観的なつもりで、結局も花子もリジェル王国の考え方に染まってしまっているということなのだろう。
(『悪魔』……)
ふと思い立って花子は懐から本を取り出した。それはリジェル王国ではよく知られる女神教の聖書である。
確かその中に『紅い目の悪魔』の一説があったはずだ。
聖女ではあったものの女神教にそこまでの思い入れのない日本人の花子である。聖書はさらりと流し読みをする程度にしか知らなかったが、繰り返し教会で朗読を聞かされているだけあっておぼろげな記憶はあった。
(『紅い目の悪魔。その者は強い憎しみの意思を宿し理を失いすべてを破壊する力を邪教より授けられし使徒なり』)
その恐ろしさとまがまがしさが聖書には抽象的に書かれている。
(もしかしてこれ、アゼリア王国と戦争していた時の逸話か?)
ジェダイト帝国の侵攻により今はリジェル王国とアゼリア王国は同盟関係にあるものの、その昔はよく争っていた両国である。その当時の『聖騎士』のことを女神教以外の祝福を受けた『悪魔』として聖書には書いてあるのかも知れない。
(確かに脅威だよなぁ……)
戦場でのロラン、そして盗賊を一掃した際や高利貸しの事務所に乗り込んだ時のロランのことを思い出す。
あれが敵だったらと思うだけでぞっとする。
(ゲームでの『聖騎士』は確か『最強の精霊騎士』に対する称号だったと思うが……)
ゲーム内に登場する聖騎士レオンハルトも「実は狂化してました」という落ちが二周目で判明するのだが、しかし確か彼はその事実を隠していたはずだ。
(ゲーム、つまり未来では『狂化』は取り締まりの対象だった)
ということは長い年月をかけてなにかしらの理由により『大精霊の祝福』は『狂化』という扱いになっていくということだろう。
(確かゲームでの『狂化』のトリガーは強い絶望や憎しみの感情だったはずだが……)
ということはあの穏やかなロランがそれほど強い感情を抱いたことがあったということである。そして、
(どうしてわたしは『狂化』していないのだろう)
花子の瞳が紅くなったことなどいままで一度もない。ずっと青いままだ。
(憎しみが足りないのか……)
それともそれ以外の理由か。
(リジェル王国では『狂化』の現象が見られたことはない。ということはやはり信仰の問題なんだろうか)
女神教の人間には発生しないのか。それともアゼリア王国の精霊信仰をしている人間にだけ生じる現象なのか。
(後者の可能性のほうが高そうだな)
アゼリア王国にだけ生じる『紅蔦病』に『狂化』。
(偶然か?)
しかし話を聞く限りロラン以外の紅蔦病患者は『狂化』してはいないようだ。
(わからないな……)
いまのところ花子にしか紅蔦病は治せない。治せる手段があればいいじゃないかと思われるかもしれないが、それではいけないのだ。
それでは花子がいなくなったら解決手段がなくなってしまう。
(代替手段が見つからないならせめて予防できれば……)
そもそも病気にかからなければ治す必要もない。リジェル王国でかかる人間がいないということはなんらかの条件をそろえればアゼリア王国でもゼロを目指せるはずなのだ。
(とりあえず、リジェルとアゼリアの一番の大きな違いは精霊信仰が……)
あるかどうかだな、と考えたところで、
「ハナコ様! 急患です……っ!!」
階下から声が響いた。その言葉に周囲に一気に緊張が走り、みんな一斉に一階へと駆け出す。
一階のエントランスには治療院のスタッフとともに、運ばれるのに使われたのだろう荷台の上にぐったりと横たわる男性の姿があった。
「紅蔦病ですっ! もう末期だっ!!」
その身体には真っ赤な痣がとぐろをまくように全身を覆い尽くしていた。
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