第26話 新聖女アイリーン

「聖女アイリーン様、こちらのネックレスはいかがでしょう?」

「まぁっ、なんて素敵なダイヤなの! デザインも可愛らしいお花だわ!」

「ではそちらのネックレスに合わせてこちらの髪飾りなどもよろしいですよ。同じ作家のものなので合わせて身につけると見栄えがします」

「素敵だわっ! こっちは花に蝶々が留まっているデザインなのね!」

「それでしたらドレスに使うレースはこちらでいかがです? 宝石の花と合わせて葉の形を模した物になります」

 その提案にアイリーンはその紫色の瞳をすぅと細めた。

「あら嫌だわ。あたし葉っぱなんて」

「え?」

 提案した仕立屋は顔を真っ青に染めて動きを止めた。

 場所は王宮の一角、アイリーンにあてがわれた部屋のうちの一室である。彼女は『聖女』を賜ったもののその経緯から教会よりも王家側の立場に寄った位置に立っていた。

 『聖女』よりも『王太子の婚約者』としての側面の方が強いのだ。

 部屋中に広げられた色とりどりな宝飾品にドレスのデザイン画、そしてそのドレスに使う布やリボンが所狭しとその広いはずの部屋に広げられていた。

 気に入らない提案をした仕立て人へと彼女はゆっくりと歩み寄る。周囲の人間は彼女の逆鱗を恐れて身動き取れずにその様子を伺うしかない。

「あたしは美しい花なの」

 じぃと見つめて彼女は言う。

「もっ、もちろんでございますっ」

 詰め寄られた仕立て屋の女性はこくこくと首を縦に振った。

「美しい花はすべて綺麗な花弁でできていないと。地味な葉っぱなんていらないのよ?」

 瞳だけは笑わないまま、彼女は唇をつり上げて可愛らしく小首をかしげてみせる。仕立て人は「おっ、おっしゃる通りですっ、申し訳ありませんでした!」と勢いよく頭を下げた。

 その深々と下げられた頭を見下ろして、満足したのか彼女は花のようににっこりと満面の笑みを浮かべた。

「わかればいいのよ、わかれば」

「ほ、本当に申し訳ありませんでしたっ」

「あー、疲れちゃった。ちょっと休憩!」

 アイリーンのその鶴の一声に仕立屋達はぞろぞろと部屋を退出していった。すぐに側に控えていた侍女が飛んできたアイリーンの目の前にハーブティーを差し出す。

「ありがとうっ」

 にこっ、と可愛らしく微笑んで彼女はお礼を言った。

「身に余るお言葉でございます」

 侍女はそう恐縮したように言うとすぐに下がり壁際へと控える。

(ああ、最っ高!)

 最近流行りのハーブティーを飲みながらアイリーンは心の中で歓声を上げた。

 なにせただのしがない子爵令嬢がいまや王太子の婚約者だ。その上『聖女』の称号まで得てしまった。

 いままでアイリーンのことなど鼻にも引っかけなかった高位貴族達はいまやへこへこと頭を下げ、アイリーンを敬う美辞麗句を並べ立てる。

 これほど愉快なことはない。

(あの女も追い出せたし!)

 あの女とは当然、以前の聖女でありジャックの婚約者でもあったエレノア・ホワイトのことである。

(立場を鼻にかけた嫌な女!)

 学園には欠席ばかりで半分も通っていないのではないだろうか? そのくせテストや行事になるとしゃしゃり出てきていつも学園内の話題をさらうのだ。やれ成績優秀だのやれドレスのデザインが斬新で素敵だだのうるさいことこの上ない。

 けれど選ばれたのはアイリーンなのだ。

 伯爵令嬢ではなく、子爵令嬢のアイリーンが選ばれた。

(今はあたしが聖女で時期王妃!)

 だから公費を使って高価なドレスもそろえられるし豪華な食事も流行りの舞台を見に行くのも思いのままだ。

(王妃教育がわずらわしいけど……)

 そこは我慢しなくてはならないだろう。歴史や内政の知識は聞き流しているが、礼儀作法などはさすがに習わないと恥をかく。

(恥をかくのは嫌だわ)

 いつだってアイリーンは一番輝いて賞賛されていなくては我慢がならないのだから。

「アイリーン?」

 その時聞き慣れた声が優しく名前を呼んだ。彼女はそれにぱっと顔を輝かせる。

「ジャック!!」

 アイリーンの部屋の扉を開き、彼は遠慮がちにそこに立っていた。

 金色の髪に緑の瞳をして整った顔立ちをした彼はまるで絵に描いた王子様そのものだ。

 アイリーンはソファから立ち上がると勢いよく彼に抱きついた。

「会いに来てくれたのねっ!」

「ああ」

 彼は優しい微笑みでアイリーンの頭を撫でた。

 この『理想の王子様』もいまはアイリーンのものなのだ。

「すごいドレスだね。この間も仕立ててなかった?」

「ええ、そうよ? だってまたお披露目パーティーがあるんだもの」

 ここのところアイリーンは大忙しだ。『王太子の婚約者』としての集まりや『聖女』としてセレモニーに参加したりなどお呼ばれが多くてしょうがない。

 そのことにジャックも思い至ったのだろう。彼は軽くひとつうなずいた。

「そうだったね。また舞踏会で一番に踊らなくてはならない予定だし……。きみには負担をかけてしまって済まないね」

「いいの、あたし頑張るわ!」

 アイリーンはけなげに微笑んでみせた。それにジャックも笑いかけてくれる。

「僕は公務があるからもう行くよ。そうそう、教会の運用している治療院への補助金なんだけど、もう少し減額してもかまわないかな? 『聖女』であるきみの許可がもらえると助かるんだけど」

「ええ、かまわないわ」

 アイリーンは笑顔でうなずいた。今の治療院には無駄が多いと大臣達がよく話していた。

 なんでも酒を大量に購入してそれを患者に振る舞うなどという意味不明なことをしているらしい。

 しかもその購入した酒の濃度を高めるための道具を使用するために、大量の薪が必要とかで人件費もかかっているという噂だ。

(ばっかみたい!)

 治療院など金のない人が尋ねる場所だ。金のある貴族や商人はみなお抱えの治癒術師を雇っている。

 治療院では治癒術以外の怪しい治療を優先して行っていると貴族の間では噂だった。なんでも知識も金もない市民達はありがたがってその『怪しい治療』を受けているらしい。治癒術以外のろくでもない治療法を広めるなど害悪でしかない。

(平民達も騙されてかわいそうに)

 そんな場所に無駄な金をばらまくなど無駄もいいところだ。

(確かそれって全部エレノアの発案なのよね)

 ますます続ける必要性を感じない。

 アイリーンは自信満々に言い放った。

「治癒術師がいれば問題ないのよ。あとの人員は全員クビにして、その分治癒術師の給料をあげればいいんだわ!」

「ああ、提案してみるよ」

 ジャックは優しくその額にキスを落とすと部屋を出て行った。


「あ、出て行ったわ」

「じゃあ私たちまたすぐ呼ばれるかしら」

 その様子を隣の控えの部屋で覗いていた仕立て人達は嫌そうにため息をついた。

「アイリーン様って子爵令嬢なんでしょう?」

「いやよねぇ、あの下品な態度」

「たしかに参加する行事はたくさんあるでしょうけど、その倍はドレスを仕立てているわよ」

「あらぁ、倍以上よぉ」

「彼女、これまで清貧に甘んじていたからタガが外れているんじゃなくて? あのがっつきっぷりを見なさいよ」

「前の『聖女様』はこんな浪費はなさらなかったのにねぇ。ドレスも宝石も本当にセンスがよろしくて。こんなとにかく派手で目立てばいいみたいな格好なさらなかったのに……」

「やっぱり品位って出るのね。育ちが悪いのよ」

「まぁでも……」

 一人が声をひそめて言う。

「どっちもどっちじゃない?」

「……言えてる」

 彼女達はうんうんとうなずきあった。

「エレノア様は上品でセンスのよろしい方だったけど、内心が全然読めない方だったもの」

「民のために尽くしてくださるのは本当に素晴らしかったけど」

「ちょっと感情が読めなさすぎて不気味だったわよねぇ」

「戦争にも嫌な顔ひとつせず行かれるし」

「地面に膝をついて貧民の怪我を治されることもあったそうよ」

「いやだわぁ、わたしだったらとてもそんなことできないわ。お洋服が汚れてしまうじゃない」

「『真の聖女だ』なんて褒めそやす輩もいたけれど、ちょっと『良い子ちゃん』すぎてわたし嫌いだったわぁ」

「わかるー」

 その時隣室から声がした。アイリーンだ。

 どうやらドレスの仕立て再開らしい。

「はーい! 今参ります!」

 彼女達はすばやく服装を整えると道具を抱えて隣室へと急いだ。

 少しでも遅れるとどやされることは経験上わかっていたからだ。

 控え室のドアは慌ただしくばたん、と閉じた。

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