第119話 静かなる戦い、秋風が運ぶ不吉な知らせ

北の尾根での、龍脈への静かなる攻撃。その一件は、私たちの心に、見えざる敵の狡猾さと、その力の不気味さを、深く刻み込んだ。村は、表面上は、豊かな収穫を終えた、穏やかな秋の日々を過ごしている。しかし、その水面下では、私たちの「守り手たちの同盟」による、静かなる戦いが、休むことなく続けられていた。


​レオンが鍛える「里守」たちは、今や、村の頼もしい盾となっていた。彼らは、レオンの指導のもと、剣の訓練だけでなく、森での隠密行動や、互いに連携して、村の防衛線を維持する術を学んでいる。その腰に下げられた「穢れ探知のお守り」は、彼らにとって、誇り高き任の象徴となっていた。


​そして、私は、私の「畑」を耕すことに、全ての時間を注いでいた。それは、癒やし手としての、私の戦い方だった。

薬草園の、最も清浄な一画。私は、そこに、来たるべき春に「月の種」を蒔くための、聖なる苗床を、作り始めていた。冬の間に、心を込めて砕いた「星屑の土」を、栄養豊かな腐葉土と、丁寧に混ぜ合わせていく。それは、ただの土仕事ではない。この土地の未来と、世界のどこかで失われつつある、古の癒やしの知恵を、再び、この地に根付かせるための、神聖な儀式だった。


​そんな、地道な作業を続けていた、ある日の夕暮れ時。

森の偵察から戻ったギンジさんが、厳しい顔で、私の元を訪れた。彼は、何も言わずに、布に包んだ、小さな何かを、私の前に差し出した。


包みを開くと、そこには、一羽の、美しい瑠璃色の羽を持つ、小鳥の亡骸が横たわっていた。


「…この子は…」


「森の、ずっと奥深く、穢れの気配など、全くないはずの場所で見つけた」


ギンジさんは、低い声で言った。「外傷は、一切ない。だが、この子の体からは、生命の温もりが、完全に、抜け落ちていた。まるで、魂だけを、抜き取られたかのように…。わしが持っていたお守りが、この子に近づいた時、ほんの一瞬だけ、淡く、色を変えた」


​その言葉に、私の背筋が、ぞくりと冷たくなる。

敵の攻撃は、より、巧妙に、そして、広範囲になっているのだ。龍脈を直接攻撃するだけでなく、こうして、森の小さな命を、少しずつ、蝕んでいくことで、谷全体の生命力を、内側から、弱らせようとしているのかもしれない。


​「リナちゃん。わしらは、敵の顔も、その目的も、まだ、何も知らん。このまま、守りを固めるだけで、本当に、この村を守りきれるのか…」


ギンジさんのその声には、これまでになかった、深い憂いが滲んでいた。


​その時だった。

村の入り口の方から、チリン、チリン、という、聞き覚えのある鈴の音が、秋風に乗って、運ばれてきた。行商人のマルコさんだ。


しかし、その音は、いつものような、陽気で、軽やかなものではない。どこか、力なく、そして、ひどく、疲弊しきっているように聞こえた。


村人たちが、何事かと、広場へと集まっていく。私も、ギンジさんと共に、薬草園を駆け下りた。

​そこに現れたマルコさんの姿は、私たちの不安を、さらに大きなものへと変えた。

彼の顔は、長旅の疲れ以上に、深い絶望の色に覆われ、その服は、あちこちが、泥に汚れ、破れている。


「マルコさん! いったい、何が…!」

村長さんが駆け寄ると、マルコさんは、まるで、悪夢から逃げてきたかのように、震える声で、言った。


​「…穢れが…『立ち枯れの病』が、もう、すぐそこまで…! 西の街道は、完全に、封鎖された…。王都へ続く道も、いつまで持つか…」


彼は、そこで、言葉を切ると、私の顔を、まるで、最後の希望を見出したかのように、見つめた。


「リナちゃん…。頼む…。あんたの薬を、分けてくれ…。いや、薬だけじゃ、もう、駄目かもしれん…。あんたの、その『力』が、必要なんだ…!」


​マルコさんの、その悲痛な叫びが、秋の夕暮れの、静かな村に、重く、響き渡った。

私たちの、静かなる戦いは、もう、終わったのだ。

敵は、もう、私たちのすぐそばまで、その姿を現している。


私の手の中にある、癒やしの力。そして、囲炉裏の奥で眠る、聖なる「銀の雫」。

それらを、どう使うのか。

その、あまりにも重い選択が、今、この瞬間に、私に、突きつけられようとしていた。

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