ドラゴンゲイル

K

第一話 雇われ騎士の受難

 戦乱の世など知らぬげに、風は木々を渡り、雲を運ぶのだった。そして今日もまた、胸のすくような青空が遠い山並みの彼方まで拡がっていた。


 カリスがようやく空いた井戸の前で行水をしていると、真新しい綿のタオルが差し出された。


 彼は少し驚き、長い金髪を絞ってから受け取った。


 レクスか、とカリスは体を拭き、首にかけてから礼を言った。


「悪いな、みんな悪い奴じゃないんだが」

「いや。騎士は万人の守護者だ。昨日今日雇われた男に心を開くようではな。むしろ君の寛大さに敬服するよ」


 カリスが“暁鐘ぎょうしょうの騎士団”の門を叩いたのは、二日前の昼過ぎだった。


 ちょうど今のように訓練を終え、皆、汗を流していたところに彼はやってきて、その場に居合わせた団長に直談判したのだ。


 その結果は見て通りだが、カリスの名前といい端正な顔立ちといい、女と見紛みまがうほどに美しく、サーコートを脱ぐまで誰も男と信じなかったほどで、これがまた皆の不興を買った。


 もっともそれくらいのことで、貴重な志願者を逃す手はなかった。


 カリスの試験官として組手に応じたのが、団内でも五本の指に入るレクスだった。


 二人の実力は伯仲はくちゅうしていて、ほとんど相討ちとなった。互いに敗北を申し出たところで、カリスは合格となった。


 だから余計に騎士らは面白くなかったのだ。皆、新参の彼と打ち解けようとはせず、せこい嫌がらせすら始まっていた。


 それなのに、カリスはむしろ好ましいものとして受け入れている。


 レクスは艶やかな黒髪を掻き上げ、嘆息たんそくした。


「人が好すぎる。その高潔さは見習うが、かえって胸が痛いぜ」


 カリスは苦笑した。

 裸の上半身は鍛え抜かれていた。

 隆起した筋肉を包む肌には、古傷がいくつも刻まれていた。しかしそのどれもが適切な処置をされたらしく、醜いどころか美しかった。


「まあ、自分と違うものは皆、受け入れがたいのさ」

「違いを言うなら、おれの方がよほど妙なのにな」


 レクスはその左肩から伸びる柄を見やって言うと、カリスは替えのシャツに袖を通しながら、


「確かに。ここらじゃ刀は珍しいようだしな」

「刀を知ってるのか、カリス」

「さて、どうだろうな。実際に帯びてる奴の前じゃ、畏れ多い」


 わざとらしい物言いに、手の内を明かすつもりはないという意を読み、レクスはほくそ笑みながらカリスを軽く小突いた。


 カリスもまんざらでもなさそうに微笑むと、


「なあに? 二人とも。男同士でニコニコして気持ち悪いじゃない」


 レクスが振り返ると、オレンジの三角巾をした女が立っていた。


 細長いリボンの付いたアイボリーのブラウスにベージュのコルセットスカート――騎士団最強と名高い、炊事騎士のリオーネに違いなかった。


「お疲れ様であります、リオーネ卿」


 階級では上のレクスだが、団ではたとえ団長だろうが聖騎士の称号持ちだろうがリオーネには最敬礼しなくてはならない。むろん、カリスもだ。


「よし、なおれっ」


 レクスとカリスは手を下ろし、直立不動。


「やすめっ。楽にやすめっ」


 レクスが肩幅に足を開き、後ろ手を組むと、カリスはチラチラとレクスを見、見よう見まねで楽に休めの姿勢をとった。


 リオーネはくすくすと笑ってから、カリスの方に寄った。


「ね、カリス。今日のランチ、スープしか飲めなかったでしょ。ちゃんと団長許可は取ったから。──これ、食べて」


 リオーネが肘にかけたバスケットのナプキンを取ると、三色のリーフサラダと若鶏の香草パン粉焼きにシャーロット・チーズを具材とした、いわゆる“プロムナードサンド“が皿に載せられ、その傍らに瓶入りの湧き水が添えられていた。


 カリスは目を丸くした。まさかこんな補償があるなど想像もしていなかった。それに出来たてで旨そうだ。


 そそくさとプロムナードサンドを手に取り、額の高さに掲げてこうつぶやいた。


「マトレ、ロッサカーラ、リオーネ(リオーネに感謝を。いただきますの意)」

「アスァクゥーレ、カリス(カリスに祝福あれ。召し上がれの意)」


 次に目を丸くしたのは、レクスとリオーネだった。カリスの食べっぷりにだ。


 ――ランチの際、食べ始めたカリスに用事を頼み、席を立っている隙に料理を食べ尽くすという嫌がらせがあった。


 戻ってきたカリスは当然のように嘲笑われたが、


「床に捨てられた方が堪えたがね。そうしないのは、リオーネ卿がよほど怖いと見える」


 と言ったので、食堂が凍りついた。

 一触即発、ではなく、カリスの指摘があまりにもっともで、この嫌がらせがとんでもないリスクを抱えているとようよう気付いたからだった。


 それから事情を知ったレクスがスープを運んだが、皆に行き渡った後では実も少なかったのだ。


「すまない。この後、合同訓練だが、大丈夫か?」

「なんのこれしき」


 ――と、さわやかに笑う歯が眩しかったのをレクスは憶えているので、


「ぜんぜん大丈夫じゃないじゃないか。カリス、痩せ我慢はやめろ。信用に響くからな」

「いやっ、んもっ。これは……オォ、チーズがまだ熱い……むぉほんっ。団長とリオーネ卿のご厚意だ……あぁ。じつに旨いサンドだ……うん、しかしその通りだ。以後、痩せ我慢はしません」

「よし。まあ、リオーネ卿の耳にも入ったから、食事の嫌がらせはもう無いと思うが」

「アァ、旨い。嫌がらせも悪いもんじゃないなぁ……」

「いや悪いだろ。古今東西、悪いぞ」

「時代は……常に変わって……んもっ、んもんも……」

「先に食え」


 うんうんとカリスは頷いた。

 こんなに旨い旨いと食べてくれたら炊事騎士冥利に尽きると嬉しかったリオーネだが、その実、二人のやり取りが面白くて笑いを噛み殺していた。


 カリスは両頬をリスみたいにパンパンにして、 


「み、水を」

「ぶぷ……っ。ど、どうぞ……」


 リオーネは吹き出しかけた。 

 瓶を開けて手渡すと、カリスはぐっと湧き水をあおった。みるみる頬がしぼんでいくのは喜劇的だった。


 また二口ほどあおってから、


「時代は常に変わっていくものだ、レクス」

「パン粉まみれの口で言われてもな」


 ついにリオーネは我慢の限界とばかり大声で笑い出し、あやうくバスケットを落としかけ、あわてて胸に抱き留めて、


「もうっ、やだ。お腹痛い、可笑しいったらないわ! ねね、いっそ芸人やりなさいよ、そこのストリートでやれば儲かるって、あはははっ、ひいぃ」

「第一回はいつだ、レクス?」

「おまえだ、芸人は」

「うわははははははっ!」


 バスケットごと腹を抱えて笑いまくるリオーネを見、カリスもレクスも笑いの渦に巻き込まれた。


 暖かく幸せな空気が三人のあいだを流れ始め、特に流れ者のカリスは久しく忘れていた平穏を思い出していた。


 さしずめ生きていくのに理由が必要なら、こういう事のために違いない――そう思ったときだった。


 突如、サイレンが鳴り響いた。

 平穏な空気は一変し、緊張が稲妻のごとく走った。

 騎士らは皆、監視塔の見張りにチャネリングして、その声を念として聞いた。


「監視塔より、西の空に敵性反応アリ! 直ちに臨戦態勢を取れ!」

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