第2話 新しい生きがい

「――香澄クラウディアです。よろしくお願いします」


 入学式あとのホームルームで端的に名前だけで自己紹介した香澄さん。

 しかし、それだけでクラスメイトは盛り上がり、興味を持った女子生徒が手を挙げて質問をした。


「あの! 香澄さんって、ハーフなんですか?」

「…………ドイツ人と日本人のハーフです」


 やっぱりか。

 これは俺も知りたかったことだった。

 ドイツって珍しいな……そうかそうか。ドイツ人と日本人のハーフはこうなるのかぁ……やっぱ美人になるよなぁ。


 ――そうそう、確か『シュニッツェル』っていうドイツの家庭料理が好きなんだよな。


 ………………っ。


 その瞬間、少しだけ俺の頭に痛みが走った。

『シュニッツェル』ってなんだよ。聞いたこともない料理だぞ。どんな料理かもわからないのに、なんで俺は…………。


 と、俺が不思議な感覚に頭を悩ませている中、他のクラスメイトは声に出して騒いでいた。

 ただ、香澄さんはあまり騒がしいことが好きではないようで、質問に答えるとすぐに着席して、窓の方を向いてしまった。



 もうそろそろ帰りのホームルームも終わりだ。

 本格的な授業は明日から始まる。


「置き勉はしてもいいが、なくなっても責任は取れないからなー」


 タバコの煙が似合いそうな、どこか渋い空気を纏っているのが、俺たちの担任――京本麻世理きょうもとまより先生だ。


 長い茶髪を無造作にヘアゴムでまとめ、ポニーテールにしている姿は飾り気がないのに妙にサマになっていた。二十代後半に見える彼女は結婚していないのか左手薬指には指輪がなかった。


 そんな京本先生は、最後に生徒に責任を押し付けるような一言をぽつりと残し、さっさとホームルームを切り上げた。

 というか、置き勉はいいんだ……。


 軽そうな担任になってしまったと、一抹の不安を覚えながらも、厳しい教師よりは良かったと俺は思うのだった。


 ◇ ◇ ◇


「ってことで、明日から本格的にバイトはじめまーす!」

「そうか」

「反応うすーい!」


 下校の途中、待ち合わせをしていた真幌と二人で並んで歩いていると、彼女は唐突にそんな話題をふってきた。


 俺の反応が薄いのも当然だ。

 真幌はずっと前から「高校生になったら絶対バイトする!」と豪語していたし、すでに面接も受かったと聞いていたからだ。


「で、どこでやるんだ?」

「駅前の山林堂書店!」

「まあ、納得だ。学校から近いし、このあたりじゃ一番大きいからな」


 真幌のバイト先は全国に店舗を展開する大型書店だ。

 彼女は以前から「大きな本屋で働きたい!」と語っており、その夢がようやく実現したのだ。


「親父さん、何か言ってたか?」

「『うちの書店を見捨てるなぁ〜っ!』って泣いてた」

「はは、それはそうだろうな」


 真幌の実家は小さな町の本屋を営んでいる。

 祖父の代から続く古い書店でマニアックな文学作品も揃ってはいるが、若者にとっては正直、品揃えが良いとは言えない。


 真幌は子供の頃から店を手伝っており接客は慣れたものだ。

 しかし、本人は「別の本屋で働きたい」とずっと口にしていた。


「だって、漫画もラノベもほとんど置いてないんだもん! 家で働いてても全然楽しくないよ!」

「そっか。じゃあこれからは真幌のお勧め楽しみにしてるよ」

「うん! 期待してて! お店に来たら私のお勧め紹介してあげるね!」


 こんなやり取りを交わす俺と真幌が仲良くなったのには理由がある。

 ただの幼なじみというだけではなかった。


 アニメ、漫画、ラノベ、ゲーム――そういった趣味を通じて、自然と気が合ったのだ。


「それで、素直は部活どうするの? サッカー部は……」

「いや、もうサッカーはやらない。それに、入る部活は他に決めてあるから」

「そっか。……じゃあ心機一転、これからが楽しみだねっ!」


 中学三年生のある日、俺は交通事故に遭った。


 下校中、横断歩道を渡っていた時、信号無視の乗用車が突っ込んできて、俺は道路の上に跳ね飛ばされた。

 幸い死にはしなかったが、脚を骨折し、頭も少しだけ打ってしまい、その衝撃のせいか、いくつかの記憶が曖昧になってしまった。


 脚の怪我は完治した。ただ――俺が治療に専念している間に中学最後の大会は終わってしまい、燃え上がっていた闘志は不完全燃焼のまま静かに灰になっていった。


 小学生の頃からジュニアスクールでサッカーをし、中学でも部活で続けていたが、高校では別の道に進もうと決めていた。

 それは、昔からの趣味であり、入院中に改めてのめり込んだ、新しい生きがいでもあった。


「あ、そうだそうだ。あの子どうだった? 同じクラスだったんでしょ?」

「香澄さんのことか」

「香澄さん?」

「うん。香澄クラウディアって言って、ドイツ人のハーフなんだって。しかも俺の隣の席でさ……色々と驚いちゃった」

「…………そう」


 香澄さんのことを説明すると、真幌はその場で何かを考え込むように固まった。


 俺たちオタクにとっては、香澄さんは気になっても仕方ないような存在。

 しかもドイツ人とくれば、こんな反応にもなるだろう。


「やっぱり主食はソーセージなのかな?」

「ドイツだからって安直すぎだろ。てか、会話はほぼしてないというか……ワンチャン嫌われたし」

「ちょっと君、いきなり何したわけー? あ、今度私にもちゃんと紹介してねー!」

「いや、俺が紹介できるわけないだろ。しかも、クラスメイトに取り囲まれてたし……まあ、本人はああいうの苦手みたいだったけど」


 入学式が終わったあと、香澄さんの周りにはすぐに人だかりができた。

 俺は近くにいると邪魔だと思い、すぐに席から立ってその場を去ったのだが、遠目で見た感じだと、香澄さんはあたふたしていて、大勢に取り囲まれるようなことは苦手だと感じた。


「私もドイツの話聞きたいなー!」

「でも日本語ペラペラだったからどうなんだろう。日本で育ったからドイツのことほぼ知らないってパターンもあるかもよ」

「ちょっとつまんないこと言わないでよー! 私の楽しみ奪わないで!」

「いつか話せばわかるだろ」

「まあ、そうだけどー」


 真幌は人が好きだ。

 コミュ力も高いし、新しいクラスでもすぐに友達を作るだろう。

 だから、俺が何かするまでもなく、いつの間にか香澄さんと仲良くなっているのが想像できる。


 俺たちは帰る家の方向が分岐するまで一緒に歩き、「じゃあね」と言って別れた。


 そうして、俺は気づかなかった。

 真幌が去っていく俺の背中に向かって小さく呟いていたことを――。


「やっぱり、本当に覚えていないんだ…………」







―――――――


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