第12話 第十一章 終わり・始まり (後)

 早口で言いながら、レイはあちこちの引き出しやら本棚やらに顔を突っ込んで部屋の中を探し回っている。

「それなのに、なんでドッグフード?」

「一体、それがなんだって言うのよ!」

「いいから、とにかくなんか怪しい物を探せって!」

 自分が何を探しているのかも分からないまま、亜矢は机の引き出しを空けた。その勢いで中に入っていたペンや定規が床に飛び散った。

 部屋の扉が開く。毛足の長いジュウタンの上でボスボスと鈍い足音を立てて、男達がなだれ込んでくる。皆ドラマの銀行強盗のように、目、鼻、口に穴の開いた毛糸のマスクをしているのが不気味だ。

 失神から目覚めた宮波が、男の一人に支えられて立っていた。怒りで全身が震えている。

「来なさい」

 宮波が二人に命じる。

「はん、誰があんたの言う事なんか……」

 ピタッと亜矢の言葉が止まった。気付いたのだ。宮波の言葉が、自分にかけられたのではない事に。

 宮波の隣に、白い霧のようなものが浮かび始めた。その霧は、少しずつ固まって、もう二度と見たくない形になっていった。連なる鋭い牙、針金のような毛。ただし、胴体はなく、完全な生首状態だ。

 目の前の視界がじわじわと歪んで、自分が涙目になっているのが分かる。

「あのお守りじゃ浄化しきれなかったんだ!」

「ノーラはそんじょそこらの悪霊じゃないもの」

 ノーラというらしい犬は主人の隣におとなしく控えている。だが、宮波の命令があれば襲いかかってくるのは明白だ。

「よくも暴れてくれたわね」

 失神から目が覚めたばかりで痛いのか、頭を押さえて宮波はうめいた。

「『よくも』?それはこっちのセリフだよ」

 牙をむくノーラの事が目に入っていないような、低く落ち着いた声でレイが言った。

「あの泥棒は、あの日ヒメカが一人だった事を知ってた。お前は、顧客情報を犯罪者に売り払ってたな」

「ええ。そうよ」

 宮波はまるで誉められたように得意気に笑った。

「売り払ってたって、まさか……」

 亜矢は、手の中に丸めて持ったままだった書類を広げた。

『十(もぎき)ヨウイチ 平日は午前十字から十二時まで在宅。金庫の暗証番号不明。当人から聞き出す必要あり』

 ドクンと心臓が高鳴る。この珍しい名字、どこかで聞いた事がある。そうだ、前にニュースでやってた行方不明の人じゃなかったか? 確か、金庫が誰かに開けられていて…… 

 なんだか急に持っているこの紙が、気持ちの悪い虫かなんかのように忌まわしい物に見えた。

 金庫が開いているということは、たぶんこの人は金庫の暗証番号を聞き出されてもう殺されているだろう。犯人達が秘密を聞き出すのにどういう方法を取ったのかは知りたくもない。

「何せ骨董品屋ですからね。相手はある程度の金持ちばかりだし、『クリオ』はインテリアのコーディネートもやっている。家に上がり込むから間取りなんかもすぐに調べられるし、それとなく聞けば家族構成や普段の生活スタイルだって。仕事が安全にできると皆さんに好評ですのよ」 

 宮波の言葉に吐き気を押さえながら、亜矢は考える。

「じゃあ公園でレイが獣の匂いを嗅いだのって」

「そう。この犬にターゲットの家の娘(コ)をつけさせてたの」

 つまり、あの時ヒメカは二人と一匹につけられていたわけだ。ヒメカを守ろうとしていた亜矢とレイ、それにヒメカの家の情報を調べていた犬と。

「つけてたのはあの泥棒だと思ってたわ」

「そうそう、あの客にはまいったわ」

 宮波が忌ま忌ましそうに吐き捨てた。

「こっちも、あなた方がターゲットの周りをうろついていた事は気付いたからね。念のために押し入るのはもう少し待てって言ったのに。どうしても金がいるとかなんとかで強行しちゃって……おかげでこっちはこんな風にメンドクサイ事になっちゃった」

「俺の時は、うまく行ったみたいだけどな」

 レイが、低く、うめくように言った。

「思い出したよ。俺の家も強盗に襲われたんだ」

 亜矢は、びっくりしてレイの顔を見つめた。

「親父があんたから絵を買った数カ月後にな。そして俺は殺された……道理で、あんたの顔を見たとき殺意がわいたはずだよ」

「あら、そうだったの。まあ、顧客が殺した人間なんて、私は一々覚えてないし、興味もないから」

 そんな事はどうでもいい、と言うように宮波は肩をすくめた。

「あんた……最っ低ね」

 押さえようとしても、声が震えている。自分がこんなに人を憎めるなんて自分でも知らなかった。

「怒った所で、あなたに何ができるのよ」

 くすくすと一しきり笑うと、宮波は表情を引き締めた。

「捕らえなさい!」

 大軍を率いる将軍のように、宮波はビシッと亜矢を指差す。

(冗談じゃない!)

 亜矢は机に飛び付いた。今捕まったら、腹いせに拷問されて殺される!

 亜矢は最後の引き出しを開けた。その中に、あった。探していた物が。

 それは大きなストラップほどの大きさの、犬のぬいぐるみ。その背中に突き刺さった銀色の針が、かわいがるための物でない事を告げている。その前にはお供えしてあるようにドックフードと、杯に入った水が置いてある。下には赤い魔方陣が描かれた紙が敷かれていた。

 男の一人が手を伸ばして、亜矢の肩をつかもうとする。

 亜矢は体をひねってその手をよけると、ぬいぐるみを掴み取った。その瞬間背中に寒気が走った。

(これ、布ではなく本物の犬の毛皮でできてる。たぶん、ノーラの死体から……)

 亜矢がぬいぐるみをつかみ取った勢いでドッグフードと水の入った小さな杯がひっくり返った。

『幽霊を操る方法はたくさんあるのよ』

 宮波は言っていた。だとしたら、当然何かの方法であの犬を縛り付けているはずだ。そして何か仕掛けがあるのなら、これしかない。

 亜矢はぬいぐるみの針を引き抜いた。

 ちょうどその時男に思い切り足を払われ、床にぶっ倒れる。犬のぬいぐるみと針が地面に落ちた。

「この小娘!」

 宮波がヒールの踵で亜矢の背中を踏みつけた。

 痛みのあまり息が詰まる。今度は亜矢の顔面を蹴り飛ばそうと足を上げる。とっさに顔をかばおうとしても、背中が痛んで腕を上げることもできない。思わず目を閉じた。

(……て、あれ?)

 いつまでたっても覚悟していた痛みはない。

「ぎゃああ!」

 宮波の悲鳴に、亜矢は目を開いた。

 誰かに投げ付けられたように犬の生首が宮波に飛び掛かった。

「う、うっわ……」

 目の前で繰り広げられている3Dのファンタジー映画のような光景にびっくりしながら、亜矢はよろよろと立ち上がった。

 きっと、あの針はあの犬を押さえつけておく物だったのだろう。それを亜矢が抜き取ったから、自由になったノーラは自分を今までこき使ってくれた宮波に牙をむいたのだ。

(私、結構怖い事したのかも。ま、でも後悔はしないけどね)

 ノーラは半透明の口を開け、宮波の胴体に噛み付いた。立体映像のように犬は宮波の体をすりぬけていく。血は一滴もでない代わりに、ノーラの牙の間から水のようにきらきらと輝く物がこぼれ落ちていた。

 何か、宮波から生命力のような物を咬みちぎったのは間違いないようだ。宮波がくずおれた。せっかく目が覚めたばかりだと言うのに。不気味なぐらい顔が蒼くなっている。

 部下達は倒れたままの主と亜矢をおいて出口へ駆け出した。ノーラが見えているのかどうか知らないが、とにかく異常で危険な事態だという事は分かったようだ。

「ヴヴヴ……」

 ノーラの喉から、唸り声が沸き上がる。聞いた物の心臓が恐怖で冷たくなるような、そんな声だった。

 白い影がひるがえり、男達の体を通り抜けて行く。振り払われた積み木のように、男達はバタバタと倒れていく。背中に刺された針が無くなった今、ノーラは完全に暴走していた。

「今まで散々利用されてたんだ。そりゃストレス溜まっているだろうよ」

 哀れむようにレイが言った。

「何? なんだかずいぶん同情してるみたいだけど」

「理由がわからないのかい、愛するご主人様」

 白い霧をたなびかせながら、ノーラは飛び回る。白い帯が長く伸びていくに連れ、白い犬が少しずつ小さくなっていく。まるで空気中に溶けていくようだった。男達が倒れていくたび、ノーラの恨みが晴らされていっているのだろう。男が全員倒れたら消えるはずだ。

 ふわりと亜矢の肩近くをノーラが通りすぎていった。氷を近付けたようにひやりとした空気が肌をなででいく。

「もたもたしている場合じゃないわ! 逃げないと!」

 亜矢はノーラに恨みを買う事なんてしていないから、理屈で言えば襲われる事はないはずだ。しかし、相手は怒れる亡霊だ。いつまでも同じ部屋に居たい相手ではない。亜矢達は、だんだん静かになって行く部屋を飛び出した。


 玄関のガラス戸が見えて来た。ここまで来れば大丈夫だろう。レイは何だかホッとした。体があったら力が抜けてしゃがみこんでいる所だ。ようやく分かった自分の本名を呪文のように何度も繰り返す。妹は元気かな? 母さんも父さんもどうしてるだろ。

 色々な考えと記憶が無数の泡のように浮かんできて、まとまらない。

 それにしても、さっき亜矢が信じてくれたのは嬉しかったな。彼女も守りきる事ができた。

 自分の手から白い煙が漂っているのに気がついた。光の帯を引きながら小さくなっていったノーラのように。レイの体が少しずつほどけ、空へ漂っていく。自分の体が消えて行くのを見ているのに、不思議と恐怖はなかった。

(そうか。記憶も戻ったし、仇も討ったし……もうそろそろいいだろ、ってわけね)

 亜矢は、何も知らずに走っていく。レイはその姿を目に焼き付けようとした。

「これから、警察に電話しよう、レイ」

 背をむけたまま、亜矢が話し掛けてくる。

 レイは呼び止めようと手を伸ばした。もうあまり時間がない。なんて言おう? 好きだ、楽しかった、もう逝く? それとも――

 かけるべき言葉が見つからない。いや、そうじゃなくて、言いたい言葉が多すぎてどれから先に言えばいいのか決められない。

 亜矢は、まだしゃべり続けていた。

「もちろんバカ正直に言うつもりはないけどね。『何か騒がしい』とでも言えば十分なんじゃない?」

 もう一度だけ、亜矢の瞳が見たいな。そう思ったけれど、口を開く事もできないまま、レイの意識は白く薄れていった。

「きっと、大騒ぎになるでしょうね。見るからに怪しい奴がバタバタ倒れているんだから」

 亜矢は「ねえ」と同意を求めて振り返った。

「あれ、レイ?」

 亜矢の少し後、レイのいつもの指定席。そこに彼の姿がない。

 広い通りを車が通り過ぎていく。通りの隅で、ネコが不審そうに亜矢を見ている。通り過ぎる人達は、亜矢の事など気にも止めないで歩いていく。いつもの光景。ただ、そこにレイの姿がない。

「レイ?」

 キョロキョロと見回しても、おもしろがるような笑顔はやっぱりどこにもなかった。

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