第40話 禁書庫の囁きと、動き出す仲間たち

 父である公爵にも気づかれぬよう、私は屋敷の地下深く、時の流れから忘れ去られたかのような書庫の扉を開けた。インクと、乾いた羊皮紙の匂い。そして、濃密なまでの静寂。ヴィルヘルム家に代々伝わる、ごく一部の者しかその存在を知らない「禁書庫」。ここには、表の歴史には記されなかった、王国の真実が眠っているはずだ。


 無数の書棚に並べられた、背表紙も擦り切れた古文書の山。常人ならば、どこから手をつけていいかさえ分からずに途方に暮れるだろう。しかし、こういう場所こそ、私の真骨頂だった。前世で培った情報分析官としてのスキルが、全身の血を駆け巡るのを感じる。


(まずは、時系列での整理。そして、公式の歴史書と記述が食い違う部分、あるいは意図的にぼかされている箇所を洗い出す…)


 私は数時間、我を忘れて作業に没頭した。やがて、いくつかのキーワードが浮かび上がる。「建国王アルトリウス」「大盟約」「天降(てんこう)の星」、そして「枷」。これらの言葉は、王家の歴史の中でも、特に初代国王の治世に集中して、しかし、まるで何かを隠すかのように断片的に記されていた。


 私は、特に解読が困難な、古代錬金術の記号で書かれた文献を『瞬間記憶カメラ』に収め、仲間たちに指示を飛ばした。この戦いは、もはや私一人では手に負えない。


『ひぃぃぃ! な、なんですか、このおどろおどろしい文字は! 見てるだけで呪われそうですぅ!』

 魔導通信機から聞こえてくるミラベルの悲鳴。私は彼女に、古代文献の解読を依頼した。

「怖がっている暇はないわよ、ミラベル。これは、あなたの錬金術の知識が不可欠な任務よ。お願いね、王宮筆頭錬金術師様?」

『うぅ…わ、分かりました! やってみせます! でも! でもでも、もし私が呪われたら、花季様が責任取ってくださいね!』

 彼女はそう言いながらも、その声の奥には、未知の術式に対する錬金術師としての好奇心が燃え上がっているのが分かった。


 次に、私は紅灯区の隠れ家で、カレルに接触した。彼には、「ノア」と名乗る謎の青年の調査を依頼する。

「…灰色の瞳で、幽霊みてぇな男、ねぇ。そいつはまた、とんでもなく厄介な案件を押し付けてくれるじゃねぇか」

 カレルは、テーブルの脚に椅子を傾けて座りながら、面倒くさそうに言う。

「もちろん、報酬は弾むわ。あなたが満足するだけのものを、必ず用意する」

「へっ、景気のいいこった。…だがな、リアナ」

 カレルの瞳が、初めて真剣な光を宿した。

「こいつは、これまでの奴らとはモノが違うぜ。金の匂いじゃねぇ…死人みてぇな、空っぽの匂いがプンプンする。深入りしすぎるなよ。お前まで、そっち側に引きずり込まれる」

 それは、彼なりの、最大限の警告だった。

「…分かってるわ。でも、行かなければならないのよ」

 私の覚悟を悟ったのか、カレルは「やれやれ」と肩をすくめ、依頼を引き受けてくれた。


 ヴォルフガング中佐との定時連絡では、王宮の不穏な情勢が伝えられた。

『リアナ嬢、国王陛下のご病状を好機と見た、いくつかの貴族派閥が水面下で動き始めている。今はまだ牽制しあっているが、いつ火が吹いてもおかしくない。君の動きを嗅ぎつけようとする者もいる。くれぐれも気をつけてくれ』

「ええ、分かっているわ。中佐こそ、一人で抱え込まないでちょうだい。あなたまで倒れられたら、元も子もないのだから」

『…善処しよう』

 通信機の向こうで、彼が少しだけ、不器用に口元を緩めたような気がした。


 それぞれの場所で、仲間たちが動き出す。私は再び禁書庫の闇と静寂の中へと戻った。

 古文書をめくる、乾いた音だけが響く。集中していた私の背後で、ふと、ありえない物音がした。


 ――カサリ。


 それは、まるで誰かが隣の棚から本を一冊、抜き取ったかのような音だった。

 私は息を殺し、ゆっくりと振り返る。そこには、誰もいない。ただ、薄暗い書庫の闇が、どこまでも続いているだけだ。

 気のせい…? いや、違う。気配がする。見られている。

 それは、あの青年、ノアの気配だった。彼は、この禁書庫にさえ、自由に出入りできるというの…? 無言のプレッシャーが、私の背筋を冷たく濡らした。


 その夜、ミラベルから、興奮した様子の通信が入った。

『花季様! 分かりました! 古代文献の解読に成功です! 王家の呪いは、初代国王アルトリウスが、空から堕ちてきたという『天降の星』と交わした、『大盟約』の代償らしいです! 王家が、この世界の歪みや矛盾を全てその身に引き受ける“枷”となる代わりに、星の力でこの国は未曾有の繁栄を得た…と書かれています!』

「星との契約…それが、呪いの正体…」


 私がその事実に愕然としていると、今度はカレルから、緊急の連絡が入った。

『おい、リアナ! お前の言ってた『星』とやらに関係あるか知らねぇが、王都郊外にある『星見の古代遺跡』で、妙な魔力の残滓が観測されてるらしい。俺の仲間(ネズミ)が何人か見に行ったが、気配を察知されてやられた。ギルドの連中も、その遺跡を嗅ぎ回ってるみてぇだ!』

「星見の遺跡…ですって!?」


『天降の星』。『大盟約』。そして、『星見の古代遺跡』。

 全てのキーワードが、一つの場所を示していた。

 呪いを解くための鍵が、そして、この世界の真実へと続く扉が、そこにある!


 私は仲間たちに、次なる作戦を告げた。

 目的地は、星見の古代遺跡。

 今度こそ、あのノアという男と、そして、この世界の理そのものと、直接対峙する時が来たのだ。

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