追放令嬢(20)、お忍び遊郭で最強スパイに成り上がり、私を陥れたクズ貴族どもに地獄を見せます 〜前世はエリート諜報員なので、情報操作も潜入もお手の物です〜
第7話:情報屋の誘いと錬金術師の分析(と迫る危機)
第7話:情報屋の誘いと錬金術師の分析(と迫る危機)
「よう、新人。ちょっとツラ貸せや」
低い、揶揄するような声。洗濯場の隅の壁に寄りかかり、情報屋カレルが私を待ち構えていた。ニヤリと笑うその顔は、整ってはいるが、どこか信用ならない雰囲気が漂っている。
(来たわね…! まさか、こんなに早く直接来るとは…!)
私は内心の動揺を悟られぬよう、平静を装って振り返った。洗濯桶を持つ手に、無意識に力が入る。
「…私に何か御用でしょうか? 先輩」
とりあえず、下手に出てみる。相手の出方を探らないと。
カレルは面白そうに私を上から下まで眺めると、一歩近づき、壁際に追い詰めるように手を置いた。…いわゆる、壁ドンってやつ!? ちょっと、距離が近すぎるんだけど!
「へぇ。威勢のいい口きく割には、殊勝な態度じゃねえか」
カレルの吐息が顔にかかりそうだ。思わず身を引きたくなるのを、ぐっと堪える。
「お前、ただの洗濯係じゃねぇだろ?」
核心を突くような言葉。心臓がドクリと跳ねる。まさか、気づかれている…?
「何のことだか、さっぱり分かりませんわ。私は真面目に働いているただの洗濯係ですけれど?」
咄嗟に令嬢時代の口調で(少し丁寧すぎるくらいに)返しつつ、澄ました顔でカレルを見上げる。動揺は顔に出さない。これが基本よ。
カレルは私の反応を見て、さらに笑みを深めた。
「『ですわ』ねぇ…。その喋り方、どっかのお貴族様みてぇだな。ま、いいさ。使える奴なら過去は問わねぇ主義でな」
彼はあっさりと追及をやめ、本題に入った。…助かった、のかしら? それとも、泳がされている?
「実は、ちょっとした『お使い』頼まれてくれねぇか? 新入りにはちょうどいい仕事だぜ。もちろん、報酬は弾む」
カレルが人差し指と親指で輪を作る。内容は聞かなくても、きな臭い匂いがプンプンする。
「お使い、ですか? 私のような新人に務まるでしょうかしら…」
「謙遜すんなって。お前さん、結構目がいいだろ? それに、度胸もある」
カレルは私の目を見て言った。どこまで見抜いているの…?
「それで、どのようなお使いでしょう?」
探りを入れてみる。もし、彼の仕事内容が分かれば…。
「簡単な『伝言』さ。相手にこれを渡して、決まった言葉を伝えるだけ。簡単だろ?」
カレルは小さな封筒をちらつかせた。簡単…には見えないわね。罠の可能性もある。
「申し訳ありませんが、私には洗濯係の仕事がありますので。他の方を当たっていただけますか?」
丁重に(しかし、きっぱりと)断る。今は余計なリスクを負うわけにはいかない。
「…ちぇっ、つれねぇな。まあいいさ」
カレルは意外にもあっさり引き下がった。そして、私の耳元で囁いた。
「だがな、花季。この紅灯区じゃ、情報は金だ。金が無けりゃ、何もできねぇ。…覚えとけよ」
彼はそう言い残すと、ひらりと身を翻し、鼻歌混じりに去っていった。
(…脅し、かしら? それとも、忠告?)
カレルの真意が読めない。ますます警戒を強めなければ。
その夜、仕事を終えた私は、足早にミラベルの隠れ家へと向かった。あの紙片と薬品の匂いについて、一刻も早く分析してもらわなければ。
「ミラベル、お願いがあるの!」
隠れ家に飛び込むと、ミラベルは案の定、何かの実験に没頭していた。部屋には、虹色の煙がうっすらと漂っている。…また何かやらかしたのね?
「花季様! おかえりなさい! 例の分析ですね! お任せください!」
私の報告を聞くと、ミラベルは目を輝かせ、早速、私が持ち帰った紙片(と匂いのついた布切れ)の分析に取り掛かった。見たこともないような器具を動かし、色の変わる液体を混ぜ合わせ、時折「ふむふむ」「なるほど!」と一人で頷いている。
「…どう? 何か分かった?」
待ちきれずに尋ねると、ミラベルは興奮した様子で振り返った。
「分かりましたよ! この薬品の匂いは、やっぱり希少な錬金触媒です! これは…『忘却の香(ぼうきゃくのかおり)』を精製する際に少量だけ使われるもので…!」
「忘却の香?」
「はい! 微量なら記憶を曖昧にさせる効果があって、高濃度だと一時的な記憶障害を引き起こすとか…! 貴族の間で、裏取引や密会に使われることがあるって、古文書で読んだことがあります!」
記憶を曖昧に…? あの子爵、何かやましいことでも隠蔽しようとしていたのかしら。
「それで、この紙片は?」
「こっちはですね…文字自体は簡単な換字式暗号なんですけど、使われているインクに特殊な植物染料が! これは、〇〇侯爵家(ジャルジェ侯爵とは別の、父の政敵派閥)に仕える者だけが使う、秘伝のインクです!」
「なんですって!?」
間違いないわ。これは、私の追放にも関わったであろう、あの派閥の連中の動きだ!
「それで、暗号の内容は!?」
「はい! 解読できました! 『月満つる夜、紅玉の間にて。例の件、最終確認』と!」
「紅玉の間…? それって、艶楼の!?」
艶楼の中でも、最高級のVIPルームの一つだ。そこで、何を企んでいるの…?
「花季様、どうしましょう…!?」
ミラベルが不安そうに私を見る。どうするもこうするも、潜入するしかないわ!
「ミラベル、盗聴器の改良と、もっと強力な変装薬を…!」
私が指示を出し始めた、その時だった。隠れ家の扉が、遠慮がちにコンコン、と叩かれた。
「…リナ?」
扉を開けると、そこには青ざめた顔のリナが立っていた。
「花季さん…! た、助けてください…!」
リナは震える声で訴えてきた。聞けば、やはり妹の薬代がどうしても工面できず、今日、カレルに紹介された「運び屋」の仕事の詳細を聞きに行ったらしい。しかし、運ぶ荷物の中身も届け先も教えてもらえず、「もししくじったらどうなるか分かってるんだろうな」と脅されたというのだ。断れば妹の命が…。
「それで、引き受けてしまったの?」
リナは小さく頷いた。ああ、なんてこと…。
「…分かったわ。その仕事、私が代わりに行く」
私は即座に決断した。危険なのは承知の上だ。でも、リナを見捨てるわけにはいかない。それに、カレルの仕事の内容を探る絶好の機会でもある。
(ああもう、面倒事が渋滞してるわ! でも、やるしかない!)
カレルの怪しい運び屋の仕事。艶楼のVIPルームでの秘密会合。二つの潜入ミッションが、同時に動き出すことになった。
「ミラベル、大至急! 『運び屋』用の変装と、VIPルーム潜入用の装備を!」
「は、はいぃぃ!」
私の号令に、ミラベルは悲鳴のような返事を返し、再び錬金術の道具に向かった。部屋には、虹色の煙と共に、私の決意と、そしてすぐそこまで迫る新たな危機(王都守備隊の影もちらつく)の気配が満ちていた。
(第7話 了)
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