第7話:情報屋の誘いと錬金術師の分析(と迫る危機)

「よう、新人。ちょっとツラ貸せや」


 低い、揶揄するような声。洗濯場の隅の壁に寄りかかり、情報屋カレルが私を待ち構えていた。ニヤリと笑うその顔は、整ってはいるが、どこか信用ならない雰囲気が漂っている。


(来たわね…! まさか、こんなに早く直接来るとは…!)


 私は内心の動揺を悟られぬよう、平静を装って振り返った。洗濯桶を持つ手に、無意識に力が入る。


「…私に何か御用でしょうか? 先輩」

 とりあえず、下手に出てみる。相手の出方を探らないと。


 カレルは面白そうに私を上から下まで眺めると、一歩近づき、壁際に追い詰めるように手を置いた。…いわゆる、壁ドンってやつ!? ちょっと、距離が近すぎるんだけど!


「へぇ。威勢のいい口きく割には、殊勝な態度じゃねえか」

 カレルの吐息が顔にかかりそうだ。思わず身を引きたくなるのを、ぐっと堪える。


「お前、ただの洗濯係じゃねぇだろ?」

 核心を突くような言葉。心臓がドクリと跳ねる。まさか、気づかれている…?


「何のことだか、さっぱり分かりませんわ。私は真面目に働いているただの洗濯係ですけれど?」

 咄嗟に令嬢時代の口調で(少し丁寧すぎるくらいに)返しつつ、澄ました顔でカレルを見上げる。動揺は顔に出さない。これが基本よ。


 カレルは私の反応を見て、さらに笑みを深めた。

「『ですわ』ねぇ…。その喋り方、どっかのお貴族様みてぇだな。ま、いいさ。使える奴なら過去は問わねぇ主義でな」

 彼はあっさりと追及をやめ、本題に入った。…助かった、のかしら? それとも、泳がされている?


「実は、ちょっとした『お使い』頼まれてくれねぇか? 新入りにはちょうどいい仕事だぜ。もちろん、報酬は弾む」

 カレルが人差し指と親指で輪を作る。内容は聞かなくても、きな臭い匂いがプンプンする。


「お使い、ですか? 私のような新人に務まるでしょうかしら…」

「謙遜すんなって。お前さん、結構目がいいだろ? それに、度胸もある」

 カレルは私の目を見て言った。どこまで見抜いているの…?


「それで、どのようなお使いでしょう?」

 探りを入れてみる。もし、彼の仕事内容が分かれば…。


「簡単な『伝言』さ。相手にこれを渡して、決まった言葉を伝えるだけ。簡単だろ?」

 カレルは小さな封筒をちらつかせた。簡単…には見えないわね。罠の可能性もある。


「申し訳ありませんが、私には洗濯係の仕事がありますので。他の方を当たっていただけますか?」

 丁重に(しかし、きっぱりと)断る。今は余計なリスクを負うわけにはいかない。


「…ちぇっ、つれねぇな。まあいいさ」

 カレルは意外にもあっさり引き下がった。そして、私の耳元で囁いた。

「だがな、花季。この紅灯区じゃ、情報は金だ。金が無けりゃ、何もできねぇ。…覚えとけよ」

 彼はそう言い残すと、ひらりと身を翻し、鼻歌混じりに去っていった。


(…脅し、かしら? それとも、忠告?)

 カレルの真意が読めない。ますます警戒を強めなければ。


 その夜、仕事を終えた私は、足早にミラベルの隠れ家へと向かった。あの紙片と薬品の匂いについて、一刻も早く分析してもらわなければ。


「ミラベル、お願いがあるの!」

 隠れ家に飛び込むと、ミラベルは案の定、何かの実験に没頭していた。部屋には、虹色の煙がうっすらと漂っている。…また何かやらかしたのね?


「花季様! おかえりなさい! 例の分析ですね! お任せください!」

 私の報告を聞くと、ミラベルは目を輝かせ、早速、私が持ち帰った紙片(と匂いのついた布切れ)の分析に取り掛かった。見たこともないような器具を動かし、色の変わる液体を混ぜ合わせ、時折「ふむふむ」「なるほど!」と一人で頷いている。


「…どう? 何か分かった?」

 待ちきれずに尋ねると、ミラベルは興奮した様子で振り返った。


「分かりましたよ! この薬品の匂いは、やっぱり希少な錬金触媒です! これは…『忘却の香(ぼうきゃくのかおり)』を精製する際に少量だけ使われるもので…!」

「忘却の香?」

「はい! 微量なら記憶を曖昧にさせる効果があって、高濃度だと一時的な記憶障害を引き起こすとか…! 貴族の間で、裏取引や密会に使われることがあるって、古文書で読んだことがあります!」


 記憶を曖昧に…? あの子爵、何かやましいことでも隠蔽しようとしていたのかしら。


「それで、この紙片は?」

「こっちはですね…文字自体は簡単な換字式暗号なんですけど、使われているインクに特殊な植物染料が! これは、〇〇侯爵家(ジャルジェ侯爵とは別の、父の政敵派閥)に仕える者だけが使う、秘伝のインクです!」

「なんですって!?」


 間違いないわ。これは、私の追放にも関わったであろう、あの派閥の連中の動きだ!


「それで、暗号の内容は!?」

「はい! 解読できました! 『月満つる夜、紅玉の間にて。例の件、最終確認』と!」

「紅玉の間…? それって、艶楼の!?」


 艶楼の中でも、最高級のVIPルームの一つだ。そこで、何を企んでいるの…?


「花季様、どうしましょう…!?」

 ミラベルが不安そうに私を見る。どうするもこうするも、潜入するしかないわ!


「ミラベル、盗聴器の改良と、もっと強力な変装薬を…!」

 私が指示を出し始めた、その時だった。隠れ家の扉が、遠慮がちにコンコン、と叩かれた。


「…リナ?」

 扉を開けると、そこには青ざめた顔のリナが立っていた。


「花季さん…! た、助けてください…!」

 リナは震える声で訴えてきた。聞けば、やはり妹の薬代がどうしても工面できず、今日、カレルに紹介された「運び屋」の仕事の詳細を聞きに行ったらしい。しかし、運ぶ荷物の中身も届け先も教えてもらえず、「もししくじったらどうなるか分かってるんだろうな」と脅されたというのだ。断れば妹の命が…。


「それで、引き受けてしまったの?」

 リナは小さく頷いた。ああ、なんてこと…。


「…分かったわ。その仕事、私が代わりに行く」

 私は即座に決断した。危険なのは承知の上だ。でも、リナを見捨てるわけにはいかない。それに、カレルの仕事の内容を探る絶好の機会でもある。


(ああもう、面倒事が渋滞してるわ! でも、やるしかない!)


 カレルの怪しい運び屋の仕事。艶楼のVIPルームでの秘密会合。二つの潜入ミッションが、同時に動き出すことになった。


「ミラベル、大至急! 『運び屋』用の変装と、VIPルーム潜入用の装備を!」

「は、はいぃぃ!」


 私の号令に、ミラベルは悲鳴のような返事を返し、再び錬金術の道具に向かった。部屋には、虹色の煙と共に、私の決意と、そしてすぐそこまで迫る新たな危機(王都守備隊の影もちらつく)の気配が満ちていた。


(第7話 了)

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