英雄は手記を燃やす

笹木ジロ

英雄は手記を燃やす

 かつて英雄と呼ばれた父の手記を見つけた。自宅の地下にある物置、その奥深くに埋もれていたのだ。


 私は、父が英雄となった後に生まれた子だ。だが、私にとっての父とは、英雄と呼ばれるにはあまりにも地味な男だった。

 昼は議会への出席で外出、夜は書類仕事で書斎に閉じこもる。息子の私に、なにかを自慢したことなど一度もなかった。ただ、当時は父にも多くの支持者がいて、その支持者たちが私に自慢げに言うのだ。「お前の父さんは英雄だ」と。


 私が大した実感も持てぬ内に、父はこの世を去った。私が生まれる前の父について、なにひとつ知ることもなく。

 あれから十年、この手記との出会いには特別なものを感じた。この手記を読めば、幾らかは父の偉業を理解できると思ったのだ。


    ◇


 我が、この国の悪を打倒しなければならぬ。

 王権を破壊し、民による政治を目指すのだ。

 いまこの瞬間も、王の悪政によって民の命が失われている。

 昨日、隣の村が国軍によって焼かれた。

 村人が死ぬべき謂れなどなく、単に恐怖による支配のために焼かれたのだ。

 周囲の民が黙って従うようにと。

 この村もいつ標的になるかわからぬ。

 故に、我は立ち上がる。

 その信念を忘れぬため、こうして手記に綴る。


 村を出てすぐに、怪我を負った兵士の男に出会った。

 彼は、王政に異を唱え、反逆罪として追われる身となったのだと言う。

 彼に治癒を施すと、彼は我に従うと言った。

 同じ目的を持つ同志だと言うのだ。

 我は、彼と共に旅をする。

 王都までは、まだ遠い。


 森に囲まれた街で、長弓を背負った狩人の女に出会った。

 彼女は街を独立させるため、王国と戦っている最中なのだと言う。

 翌日、国軍に攻められたが、我らの抵抗により退けられた。

 戦術もなにも覚えていない。

 ひとえに、兵士の男も狩人の女も強かったのだ。

 我と兵士の男が街を出る際、狩人の女も同行すると願い出た。

 心強い仲間がまたひとり増えたのだ。

 王都までは、もうしばらくかかりそうだ。


 海辺の都市で、商人の女と出会った。

 我々の旅の物資を調達する上で、彼女には大層世話になった。

 その晩、商人の女の倉庫が襲撃にあった。

 以前より、王国の贔屓にある商業組合から目の敵にされていたのだと言う。

 襲撃犯は、なにも問題なく捕らえることができた。

 狩人の女は獲物を追うことに長けていた。

 兵士の男も、まともな戦いでは敵がおらぬほどに強くなっていた。

 商人の女は着いていくと言ってきかない。

 この旅は、金のにおいがするのだと言う。

 たしかに、入手困難な銃器や爆薬を用立ててくれる人材は有難い。

 王都まで、あとすこしだ。


    ◇


 途中まで読み進め、一息つく。

 そこには私の知らない父の物語が描かれていた。このような時代があったことは、学び舎でしか知り得なかった。だが、父の偉業が不器用ながらに記されている。

 私は不思議に思った。

 現時点でさえ、父と仲間の活躍は大きなものだ。さらに、革命が成功したとなれば、息子の私に自慢しても良いものだ。もしくは、普段から派手に立ち回っていても、誰も責めやしないはずだ。

 なぜ父は手堅く静かに余生を過ごしたのか。

 それを知るため、私は手記を読み進めた。


    ◇


 本日、ついに、王を打ち倒した。

 王都中の歓声が今なお忘れられない。

 我は今、宿屋の一室にて、この手記を読み返している。

 現在の私の心境を言い表すならば、何であろう。

 正直に言おう。

 空虚でしかない。


 長い旅のはずであった。

 だが、幾ら手記を読み返そうとも、実に簡素な旅としか見られない。

 同志らと語り明かした夜もあったはずだ。

 しかし、その内容は記されておらず、憶えてもいない。

 旅の苦難も綴られていない。

 たしかに、苦戦した場面など存在もしなかったように思う。


 ひどく順調で、あまりにご都合的な旅であった。

 まるで、一筋の道をただ進んできたかのようなものだ。

 

 この手記は、我の成したこと、その道筋を記す目的であった。

 この手記が、我が国の国宝となり、伝説となる。

 そのように妄想に耽ることもあった。

 あるいは、まだ見ぬ我が子に読ませてやりたいとも考えた。


 だが、このような粗末な手記を後世に遺していいものか。

 記した我ですら、こう思う。

 人生の学び、知識の啓蒙、精神の糧。

 この手記には、その一切がない。

 もはや、我の旅そのものすら遺すべきでない。

 革命を成した、その結果のみがあれば良いのだ。


 正直に綴りながらも深く考えた。

 この手記を、誰ひとりとして見せることはしない。

 故に、使用人に燃やしてもらうことに決めた。


    ◇


 手記の最後には、別の筆跡で「燃やすことは敵いませんでした。お許しください」と綴られていた。


 私は、少しばかり父のことを理解できたように思う。

 父は地味な男だった。しかし、その懸命で冷静な姿には憧れていた。いまにして思えば、あの静けさを纏う佇まいは、手記の最後の決意なのではなかろうか。誰にも驕らず、だが、革命の結果に限っては責任を負う。

 このように考えてしまうのは、私が息子だからかもしれない。だとしても、私は父の綴った物語が好きだ。

 素直に父が誇らしい。

 

 私の幼い息子に、父の手記を読ませてみようと考えた。

 父からすれば、孫なわけだ。この手記を読めば、自身は英雄の孫なのだと自覚し、誇らしげに思ってくれるかもしれない。


「ふーん」

 初めの数ページは時間をかけて読んでくれていた息子も、今ではパラパラと手早く捲っている。

「んー、ん? うーん」

 息子の反応がやけに薄い。たしかに、心躍る展開は綴られていないが、それでも良いではないか。

 そもそも、祖父の話に興味がないのだろうか。私にとっては父であり、非常に身近な存在であり、尊敬できる人だ。しかし、息子からすると違うのだろうか。

「おーい! レオン! 広場で大道芸やってるぞ!」

「ほんと!? いくいく!」

「よっしゃ! あ、でも本読んでたのか? 焦らなくていいぞ?」

「へいきへいき、なんかあんまり面白い話じゃなかったから」

 息子は私に、途中まで読み進めた手記を返してくる。そして、そのまま友人と広場のほうへ駆けて行ってしまった。

 息子の後ろ姿を目で追う私の心情は、穏やかなものだった。息子を残念に思うこともなければ、私の父への思いが傷つくこともなかった。なぜならば、息子の投げやりな態度と、手記の最後の葛藤が重なった気がしたのだ。


 私は、少しばかり父のことを理解できたように思う。

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