第八章 静寂の森に潜むもの
第八章 静寂の森に潜むもの(前編)
冥府宮第二層、その北端には「沈黙の森」と呼ばれる区域があった。
常に霧が立ちこめ、鳥の囀りひとつ聞こえぬその森は、魔物の巣としても知られていた。
「……本当に静かね」
ルシフェリスが呟くように言った。踏みしめた草がかすかに音を立てるたび、耳が敏感になる。
「この辺り、妙に気配が薄いな」
サタナエルが眉をひそめた。「まるで、生き物が息を潜めてるみたい」
「精霊の気配も薄い……嫌な感じ」
クレアが胸元の首飾りをそっと押さえる。風すら吹かないその空間に、彼女の淡い髪がしんと揺れた。
「なんか出そう……でも、だからこそ!」
シルカはキッと前を向いた。「ニンジャ修行にはぴったりだもんね!」
「こら、あんま勝手に前出るなよ!」
クリスが慌てて引き留めようとするが、シルカはぴょんと前方の倒木を跳び越えた。
「しっ! 何かいる……!」
その瞬間、霧の奥で葉が揺れ、黒い影が音もなく飛び出した。
「くっ、後ろに回り込んでる!?」
サタナエルが素早く振り返り、二刀を交差させるようにして受け止める。
だが影の動きは俊敏で、獣とも人ともつかない気配が森の中を素早く駆け抜けていた。
「……分身のような動き。まさか、あれがこの層の番人かも」
ルシフェリスが気配を読み取るように剣を構える。
「影狼(シャドウ・ウルフ)……高位の魔獣です!」
クレアが震える声で名を告げた。「しかも、複数いるみたい……!」
「じゃあ、試すチャンスってことだよね」
クリスの目が燃える。「燃え尽きるまで、やってやろうじゃない!」
五人は円を組むように背を合わせ、それぞれの武器を構えた。
緊迫した空気の中、森の奥から低く唸るような気配がさらに迫ってくる。
「来るよ――!」
ルシフェリスの合図と同時に、第二層の本格的な戦いが始まろうとしていた。
第八章 静寂の森に潜むもの(後編)
影狼の群れは、まるで霧そのものが牙を剥いたかのようだった。
一体が正面から跳びかかると、すかさずもう一体が背後から回り込む。
「ッラァ!!」
サタナエルの剣が閃き、正面の一体を弾き飛ばす。
その刹那、ルシフェリスが背後へと踊るように振り向き、鋭く一閃。
影狼の残像だけが霧散し、空を切る。
「分身じゃない、本体は別にいる……!」
ルシフェリスが言い終える前に、地を這うような唸り声が木霊した。
「そこ!」
シルカが素早く茂みに飛び込み、持っていた短剣を影に向けて投げ放つ。
――ヒュッ
鋭い風切り音。木の葉が舞い、何かが確かに退いた。
「当たった!? やったー……あっ、うそ、まだいた!」
「こら、調子に乗るなっての!」
クリスが前に出て、火の呪文を唱える。
「燃えろ、『フレイムショット』!」
炎の奔流が森の一角を舐め、数体の影狼が苦悶の声を上げてのたうつ。
その隙を逃さず、クレアが精霊の名を呼んだ。
「――風の加護よ、仲間を守りたまえ。『ウィンド・シェル』!」
淡い緑の風が五人を包み、影の牙を逸らす結界となる。
「今よ!」
ルシフェリスが気を集中させ、一歩踏み出した。
剣の切っ先が光を帯び――
「――はっ!!」
一閃。
聖剣ではないが、その斬撃はまるで光そのもののように鋭く。
ついに影狼の“本体”が呻き声を上げ、霧の奥で崩れ落ちた。
それを合図に、残された幻影の狼たちが煙のように消えていく。
「……終わった?」
「うん。たぶん、ね」
息を切らしながら、クリスとサタナエルが互いに顔を見合わせる。
森は再び静けさを取り戻していた。
「すごい……みんな、すごかったよ!」
クレアが胸に手を当てて微笑む。「精霊たちも、あなたたちを認めてくれた気がする……」
「ふふん、私、ちゃんと活躍したでしょ?」
シルカが得意げに鼻を鳴らす。「これでニンジャに一歩近づいたよね!」
「うん。今日の君は、本物みたいだったよ」
ルシフェリスの言葉に、シルカの頬がふわりと赤らんだ。
「へへ……頑張るもん!」
五人は森を抜けながら、いつものように笑い合っていた。
だがルシフェリスの瞳だけが、微かに深く、冥府宮の奥へと向けられていた。
――気配が変わってきている。
この先には、ただの魔物ではない“何か”が、きっと待っている。
(それでも、進まなきゃ)
少女は、静かに剣の柄を握り直した。
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