第20話 私と心先生と将来の夢

 どの職業に就いていてもそれなりに描いた夢とのギャップはあると思う。

 前に心先生が言っていたドラマ見て憧れた、じゃないけれど、この職に就くまでの些細な理想の積み重ねがより一層ギャップを生み出している。

「……しんどい」

 私は誰もいないのを見て、廊下の壁に背中を預ける。

 タスクは一通りこなした。

 見られても、これくらい文句は言われないだろう。

 白衣の天使なんて遥か昔に消え去った。

 少なくとも、私のこの仕事に就いたときには、存在の片鱗すら感じなかった。

 今いるのは白衣の戦士。

 そう思えてならないほどの苛烈な環境で私たちは今日も働く。

 仕事に行くことを戦いに行く、なんて表現している同僚もいるくらいだ。

「もっと、いろんなことできると思ったのにな」

 この職についても、自分なら勉強だって、趣味だって、もっと上手くやれると思っていた。

 けれど、現実は厳しく、日々の仕事をこなすことで精いっぱい。

 私は小さくため息を吐く。

 大きく吐いてしまうと、抱えてきた夢と夢への憧れまでもがどこかに消えて行ってしまいそうな気がするから。

「ちーなつ」

 そんな疲れ切った私の元に軽やかな声が届く。

「先生」

「やっぱりここにいた。千夏って、疲れた時ってここで小休止するよね」

「先生には敵いませんね」

「ふふふ、そんな千夏にはビッグカツをあげよう」

 先生はポケットからビッグカツを取り出し、私に手渡してきた。

「お酒、飲みたいですね」

「だねー」

 先生はそのまま私の隣に立ち、私と同じように壁に背中を預ける。

「ねね、千夏の将来の夢って何?」

「え?」

 私は先生の言っている意味がわからずにフリーズする。

 今就いている職こそが将来の夢だった。

 先生もそのはず。

 なら先生がここで言う『将来の夢』とは?

「あ、深く考えないでよ。単に、この先やりたいことあるのかなって。仕事関係でもいいし、趣味でもいいし、なんでもいいんだけど」

 先生の瞳は、窓から差し込む光を取り込んで鮮やかに煌めく。

「それを将来の夢と呼ぶのはなんだか変な感じしますね」

「えー、だって夢って呼んだ方が夢があるじゃん。基本的に私は未来の不確定事項は全部『夢』って思ってるよ。皆、夢を重く考えすぎだし、丁重に扱い過ぎてるんだよ。だから、しんどくなるし、きつくなる」

「でも先生って以前、ドラマと違い過ぎるって嘆いてませんでした?」

「それは今も悲しいよー。でも、別にそれ以上じゃないし、この仕事辞めたいとかそのレベルまで考え込むことってないかな。だって、私にとって、千夏と今日の夜飲みに行くことも夢だし、その夢が叶えば些細なドラマとの違いなんて気になるものじゃないよ。夢がいっぱいあれば、その分一つの夢の重さも減るしね」

「それは、そうかもですね」

「そうそう。だからさ……」

 先生は少しだけ唇を噛む。

「辞めるとか言わないでね」

「ん?」

「え?」

「んん?」

 私は意味がわからずに首を傾げる。

「え、だって、なんか辞めそうな感じの独り言呟いてたから……」

「いや、辞めませんよ。せっかく頑張って資格とって働いてるんですから、簡単には辞めませんよ」

「えー! じゃあなんであんなアンニュイな雰囲気醸し出してたの!?」

 ぐいっと背伸びし、こちらの顔を覗き込んでくる先生。

 私は気まずくて少しだけ目を逸らす。

「それは……その……」

 言えない。

 最近見たドラマで新米看護士が現実とのギャップを嘆くシーンがあって、そこに自分を重ねて少し悦に入っていたなんて言えない。

 普通に恥ずかしい。

「ほら、それよりも今日どこ飲み行きます?」

「なんか誤魔化されてる感じする」

 不満によって膨らむ先生の頬。

「まあまあ。今日はとことん付き合いますから」

「もー、絶対だよ!」

「はい、絶対にです」

 というわけで、その日の夜は先生が満足するげっぱんげっぱん吐くまで飲みに付き合った。

 誤魔化しはしたけど、しんどいと思っていたのは本当で、先生の考えにちょっとだけ救われたのも事実。

 私はこっそりと感謝の気持ちを込めて、げっぱんげっぱん吐く先生の背中を摩ってあげた。

 

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