第1章 1話



 夕日に染まる森の中を、1人の少年が呼吸を荒げ必死の形相で駆けていた。荒れた呼吸、額を濡らす大粒の汗。悪路に何度も足を取られ、転びそうになりながらも、ただ前だけを見て走る。



 ――お願い、もう追ってこないで!。



 そう祈りながらも、背後では容赦のない音が響く。枝木を薙ぎ倒す轟音。それは残酷にも、確実に、少年との距離を詰めてきていた。



「ハッ、ハッ・・なんで・・!?お願い、もう来ないでよッ!!」



 少年の必死の叫びに返ったのは、その思いを拒絶する咆哮。鼓膜が裂けそうなほどの重低音に、少年の体は凍りついた。



「・・ひぃいっ!?うわあッ!」



 恐怖に足が縺れ、木の根に絡まって転倒。急いで立ち上がろうとするが、足首に灼けつくような痛みが走り、思わず叫び声が漏れる。



 止まるわけにはいかない・・!。少年はその場から急いで立ち上がろうとする、だが足に体重を掛けると激痛が走り、その痛みから体を丸めてしまう・・。



「いっ・・痛っ!うぅ・・・!!」



 腫れ上がり熱を持つ足首。・・捻挫だ、動けない。



 少年が痛みに顔を伏せた次の瞬間、夕日を遮る影が少年を覆い尽くす。



「・・!?」



 背中に突き刺さる唸り声。荒い吐息、鼻を突く獣臭。「それ」が、真後ろにいる――。

 


 少年の視界が揺れ、呼吸が乱れる。



「っ・・ああぁ・・・!!」



 逃げる事さえ叶わぬその身は、この先に待ち受ける絶望的な結末に震え待つ事しかできなかった。



 「それ」は背後で吠え、荒々しく動くと少年を飲みこむ影は大きく形を変える。



 もう駄目だ・・!。背後から聞こえるおぞましい唸り声に恐れおののく彼は、その瞬間を悟ると歯を食いしばり目をギュッと閉じた。



 殺される・・・ママ!!。



 その瞬間、第三の音が割り込んだ。



 それは鋭く早い風切り音。音を鳴らし飛来する物体は一瞬で少年の横を通り過ぎ背後の「それ」に激突すると、轟音とともに破砕音が森に木霊し、巨体は呻き声を上げて吹き飛ばされていく。



「・・・・?」



 背後から感じていた恐ろしい気配が消えると、恐怖で強張る体から力が抜ける。少年はこの瞬間に何が起こったのか確認する為、意を決して重く震える瞼を開いた。



 ――それは、闇だった。

 


 夕日に染まる森の中で、ただひとり黒を纏い佇む人影。深いフードを被ったその人物は、まるで夜の断片が切り取られて立っているかのようだった。



「・・楽しめるかと思ったが、デカいだけの犬か」



 低く冷徹な声。状況を呑み込めず呆然とする少年に向かって、彼女は悠然と歩み寄る。



「おまけは、まだ付いていたか。・・おい、お前・・「魔獣」が戻る前に早くこっちにこい。助けてやる」



「あっ・・ああぁ・・・っ!」



 あの人が・・・。遠くから聞こえる「女性」の声に全てを理解すると、安堵と共に少年の目から涙が溢れ出す。



 感情は混乱し、体は震え涙が止まらない。だが、それでも少年は何とか震える声を振り絞り、精一杯彼女の問いに答えた。



「あ・・・・ひぐっ・・・動けない・・・っ・・!」



「・・・チッ。じゃあそこにいろ。私が行くまで何があっても後ろを振り向くな。私だけを見ていろ、いいな?」



 森を揺らす地鳴りのような怒りの咆哮が迫り来る。



「・・ひいっ!?」



「何度も言わせるな、私だけを見ていろ」



「・・うっ、うん!」



 少年は顔を必死に前へ戻し、遠くにいる女性を見据える。恐怖に負けそうになりながらも、彼女の言葉を信じた。



「・・それでいい、うるさいのは・・・苦手だ」



 そういうと女性は足元をチラリと見る。



「・・もう手頃な石は無いか。・・仕方ない」



 女性は呟き、黒革の手袋を噛んで嵌め直す。腰のポーチから金貨を数枚取り出し、光を反射させながら構えた。



「近くに石が無かった事を、「お前も」後悔するんだな・・・」



 金貨を親指に乗せ弾く。「キュイィン!」鋭い風切り音、それは森に訪れる嵐の前触れだった。



 一発、二発。指から弾かれた金貨は空気を裂き、金の軌道を真っすぐに引きながら魔獣の硬い皮膚を撃ち貫く。衝突の度に肉が弾け、金属が爆ぜるような音が森に木霊した。



「グァァアアアッ!!」



 巨体がのたうち回り、木々をなぎ倒しながら悲鳴をあげる。骨の砕ける不快な音が混じり、地面が揺れるほどの咆哮が少年の耳を突き破った。だが女性は表情一つ変えない。冷徹に、無機質に、ただ指先を正確に動かし続ける。



「・・・お陰で今日は私も飯抜きだ、クソッ・・!」



 金貨が連続して弾かれるたびに空気は悲鳴を上げ、魔獣の皮膚は破裂し、血飛沫が炎のように森に散った。だが女は歩みを止めない。悠然と、恐怖も興奮も抱かず、ただ確実に距離を詰めていく。



 そして・・彼女の指先が止まった。



「・・頃合いか」



 その声に、少年の心臓が跳ね上がる。次の瞬間、女性はしなやかに跳躍し、黒いローブを翻して森を舞う。低い軌道で影が迫り、少年は恐怖に思わず頭を抱えた。



「うわあっ!?」



 少年の頭上を闇が抜ける。大地に突き立つように女性が着地し、その背中が少年を魔獣から覆い隠した。振り返らずとも、背の向こうにそびえる存在が自分を守っていることを、少年は皮膚で感じた。



「おい、この先・・子供ガキは観覧禁止だ、伏せてろ」



 振り返りもせずに放たれるその言葉は、絶対的な命令だった。震える声で「わかりました・・!」と返す少年の胸に、かすかな安堵が灯る。



「・・・それでいい、すぐに終わる」



 だが次の瞬間、獣の傷ついた巨体が咆哮と共に突進してきた。周囲の空気が爆ぜ、大地が軋む。女性は一歩も退かず、むしろ挑発するように口角をわずかに歪める。



「・・おい魔獣。お前と遊ぶためにこっちは高い金を払わされたんだ、相応に楽しませてくれるんだろうな・・?」



 巨獣が飛びかかり、森が震える。少年の背後で「メキメキ」と骨が砕けるような音が響き、耳を裂く悲鳴が大気を切り裂いた。



「なんだ飛びついて・・、抱きしめて欲しいのか・・?」



「ガアア・・ギャッ!」



「・・・・抱きしめられるのは嫌か、なら仕方ない・・撫でてやるよ」



「グギャアアアアアアア!!」



 それは怒号ではなく断末魔。肉が裂け、血が噴き、死が確実に迫っている音だった



 聞きたくない、もう聞きたくない!。少年は必死に耳を塞いだ。

 


 頭を抱え、目を閉じ、暗闇の中でただ祈る。胸の鼓動は早鐘のように鳴り響き、呼吸は途切れ途切れで、肺が焼けるように痛かった。



「お願い・・もう止めて、・・助けて・・・ママ・・・お姉ちゃん・・」



 どれほどの時間が過ぎたのか。血と獣臭が入り混じった濃密な悪臭が漂う中、少年の体に不意に影が落ちた。服を掴まれ、身体が宙に浮かぶ。



「ゔぁ・・うわっああッ!?」



「・・終わったぞ」



「うあ・・ひぐっ・・あ・・ありが・・・ひぃッ!?」



 短く告げる女の声。少年は恐る恐る目を開き、彼女を見上げると凍りついた。



 フードの奥に覗く顔は血に濡れ、真っ赤に染まっていた。彼女自身のものかと錯覚させるほどの返り血。その姿は人の助け手というより、怪物そのものだった。



「お姉ちゃん・・すごい怪我してるよ!!」



「・・ああ、これか」



 女性は黒い袖で無造作に血を拭った。



「私のじゃない、魔獣の返り血だ・・気にするな」



「返り血・・・?」



 少年が振り返ろうとすると、女性の声が一瞬だけ鋭さを増した。



「振り向くなっ。子供ガキは観覧禁止だと言ったはずだ」



 女性の強い言葉に少年は少し戸惑いながらも、最後には「うん・・」と小さく返事をし顔を上げ、彼女の拭かれた顔を見る。



「お・・お姉ちゃん・・・・」



「・・・チッ、今度はなんだ?」



「・・・目つきが・・・怖い・・・」



「・・・・・・元からだ」



 女性は片手で少年の服を摘まみ上げたまま歩を進める。



「苦しいかもしれないが少し我慢しろ。今の私は汚れているからこういう形でしかお前を運べない」



 少年が味わった地獄の舞台は、黒衣の女によって幕を下ろされた。そして同時に、彼の心に消えない傷と共に、生臭い獣の匂いを纏う「忘れられぬ存在」が、深く刻み込まれたのだった。



 △



「魔導士様が森から戻って来ました、・・子供も一緒です!」



 鎧を着た兵士の声が張り上げられると、森の外で待機していた者たちが一斉にざわめいた。二人が姿を現す頃には、陽はほとんど沈みかけ、冷えた風が戦いの終わりを告げるように吹き抜けていた。



 森を抜けて現れた黒い影を前に、兵士たちは駆け寄る。誰かが歓喜の声を上げる。



「おお、子供も無事だ!良かった・・本当に良かった!」



「おい、向こうにいる親御さんを呼べ!早くしろ」



「・・おい、そこのお前。こいつを家族の所まで運んで行ってやれ、足にケガを負っている、頼んだ」



「ハッ!わかりました魔導士様、さあ、こっちにおいで・・」



 兵士たちが歓声と指示を飛ばし合う中、少年の前に差し伸べられた大きな手。だが少年は、振り向きざまに女性を見上げ、名残惜しそうに声を絞り出した。



「ねえ、おねえちゃん・・」



「・・なんだ?」



「助けてくれて・・ありがとうっ!」



 小さな言葉に、女は僅かに眉をひそめる。そして、感謝を突き放すように冷たく言い放った。



「・・・次は無い」



 そう言いながら摘まみ上げる彼を差し出し兵士に渡した。冷徹であるはずの動作は、不思議と乱暴さを欠いていた。



「・・そうだ、ねえお姉ちゃん!」



「・・・うるさいやつだ、まだなにかあるのか?」



「・・またねっ」



 土で汚れた顔に涙の跡を残しながらも無邪気な笑みを見せる少年。その何とも言えない姿を見せられやれやれと頭に手を当てると彼女は小さく答えた。



「・・・ハァ。・・またな」



 少年は兵士に預けられ向こうで待つ親の元に連れられて行った。暫くして聞こえてくる歓喜の声、それは大切な我が子との再会を無事に果たし、胸に抱きしめる母の声だった。



 その声を離れたところから憂鬱そうに聞いている彼女の元に、ローブを着た者達が近寄るとその中の1人の男が声をかける。



「・・「魔獣」の駆除、お疲れさまです。魔導士様の指示通りこの近辺を確認してみましたが、他に魔獣がいた形跡はありません」



「・・・だろうな、「瘴気」はあれ以外感じなかったからな・・」



「・・・それにしてもあの子・・運が良かったですね。我々が到着してから森に入るまでの間、かなりの時間が経っていたのに無事だったんですから。普通なら魔獣に喰われています、・・運がいいというよりも奇跡に近い」



「・・・あぁ」



「・・・・それにしてもここ最近多いですね、魔獣の出現報告が」



「・・・あぁ」



「・・・魔獣の出現報告が前よりも徐々にですが南下してきています。これからはここら辺も前より安全ではなくなってきますね。・・最終的には、どこも「最北」の様になるんでしょうか・・・」



「・・・・さあな・・・・」



「・・・・そう言えば、「最北のレッドコート《赤の軍服》」の方が本部に魔導士の駐留要請を出したようですよ、魔導士様は行かれるんですか?・・・・」



「・・・・さあな・・・・」



 いくら話しても会話は続かず、彼女とローブの男の間に気まずい沈黙が訪れる。居心地の悪いこの状況を打破しようと、ローブの男は仲間が持つロングコートの黒い軍服を手に取り彼女に差し出した。



「あ・・あの、その血生臭いローブはこちらで処分しておきます。どうぞこちらに着替えてください」



 ローブの男から差し出されたのは黒いコートだった。



「・・・なんだこれは?、私はローブで構わない」



 ローブの男は苦笑する。



「上からの通達で今度貴女に会った際にはこちらを必ず渡す様に強く言われています。いつまでも我々と同じ下級の者が着る魔導服を、上級の者に着られていては困ると・・」



「・・めんどくさい決まりだな」



「これも「マギ」の決まりです。残念ですが諦めてください」



 渋々コートを受け取ると彼女はその場で堂々とローブを脱ぎ始め、ローブの下に潜む自身の肌を露出させた。



「・・!!」



 現れたのは浅黒い包帯で胸を覆い、黒いズボンを穿いた姿。上半身の大部分で露出するその月光のように冷たく青白い肌は女性の美しさを見せ、しなやかに引き締まった筋肉は獣のような獰猛さを秘めていた。男たちはその危険な美しさに思わず息を呑んだ。



 ・・・・こんな冷たい色・・今まで見たことが無い・・。



 彼等がそんな事を想いながらその姿に見惚れていると、目の前に血生臭いローブが差し出される。



「・・・おい、お前・・」



「ヒッ、・・ハ・・ハイッ!」



 男が慌てて顔を上げるとフードに隠れていた女性の顔が姿を現していた。見た目は若く、肩に髪の毛がかかるぐらいの白色のショートヘア、色を持たない彼女の肉体の中で、唯一つ色を放つ二つの黒い瞳が鋭くこちらを見つめていた。



「す、すみません・・受け取ります!」



「・・手に取らない方がいい」



 差し出された手を無視し手から落とす。べしゃりと濡れた音を立て、ローブは地に落ちる。布に染み込んだ血が土を濡らしていた。



「・・血の臭いが移る、この場で処理しろ」

 


 驚いてそれを見つめる男たちを横目に彼女が黒い軍服に袖を通し、鋭い黒の瞳を覗かせると男たちは背筋を凍らせた。



 噂で聞いた「赤い魔女」が今ここに立っているんだと、改めて認識させられた。



「・・・後は任せた、私は戻る」



 そう言い残し彼らの横を通り立ち去ろうとすると、1人の男が何かを思い出したかのように後ろから声をかける。



「あ、それとすみませんあともう一つ。・・ええと、こちらをお受け取りください」



 ローブの男は女性に一通の手紙を差し出した。



「・・・これは?」



「魔導士様に渡す様に言われました、魔導士様の友達連絡員と言えば伝わると言ってましたが・・・」



 その言葉を聞いた女性は呆れ顔で大きく息をついた。



「・・あぁ、あいつか。連絡員の癖に他人を連絡に使うとはな・・悪かったな、受け取ろう」



「それでは我々は作業に移ります、ではまた」



 要件を伝え終えた彼等はその場を後にする。去り行くその中で1人の者が彼女との距離を確認すると、前を歩く仲間の男に声をかける。



「あれが皆が噂する「赤い魔女」様か、・・なんかイメージと全然違ったな、怯えて損したぜ」



「・・・そうですね、もっとこうなんか飢えた獣みたいな恐い人を想像していたんですけどね。なんで皆はあの人を必要以上に恐れるんですかね?」



「・・だろうな、・・お前達は初めてだろうな、噂の魔女様の後始末は。・・だからあんなに話しかけられるんだ・・お前は」



 後ろを歩く男の言葉に前を歩く2人の男は振り返る。



「・・え?。ど、どういうことですか?」



「・・いや、言わなくても現場に行けばわかるさ、・・・覚悟しておけよ、なんであの魔女様が「現場からも」恐れられているのか嫌でも分かる。・・それが分かれば自分から話しかけようとは思わないさ・・絶対にな・・」



 男は仲間の2人に忠告するとそのまま追い抜き先頭に立ち、森の中に入って行った。



 自身の後始末に向かう彼等の姿を背中で見送った後、辺りから気配が消えたのを確認し、女性はめんどくさそうに受け取った手紙に目を通す。



「・・・あいつ、1つ前の町の宿屋にいるのか。・・ちょうどいい、飯の事もある。行ってやるか・・・」



 そう言うと彼女は近くに止めていた馬にまたがり軽快に走らせると、その場から颯爽と駆けて行ったのだった。



 人々が去り静寂を取り戻した森の中。後始末の為森に侵入したローブの者達は、彼女の戦いの跡を見て呆然と立ち尽くしていた。



「な・・なんだよ・・これ!?」



 そこにあったのは、凄惨な光景だった。赤く染まる木々。無数の肉片、臓腑、骨、毛皮──すべてが鋭利な何かで引き裂かれ、原形を留めていない。



 それはまさに生き物の屍というよりも、何者かに解体され、食い荒らされた後の現場・・生き物だった物の残骸だった。



「これが・・魔獣だったと言うのか?これをやったのが、本当に人間・・?」



 嘔吐する者、恐怖で立ち尽くし言葉を失う者。皆が皆その凄惨な現場と、鼻を衝く死の匂に思考が止まる。



 そんななかで一人の男が唇を噛み、仲間に呟いた。



「・・何度見ても慣れはしないな・・。どうだ?これがお前達の噂に聞いた赤い魔女様、「マギの精鋭遊撃部隊魔獣狩り」の一人である「ローズ」の戦いの跡だ。なんで彼女が赤い魔女・・深紅の魔女ブラッディー・ローズと呼ばれてるか分かるか?。生きたままその手で解体した魔獣の返り血で、全身を赤く染めて帰ってくるからなんだよ」



 男は顔を手で抑えると天を仰ぎ、目を細める。



「飢えた獣なんて生易しいものじゃない。いいな・・人は見た目に騙されるな、アレは魔獣と変わらない。・・「化け物」なんだよ、組織マギが生み落とした・・・」



 △



 森での戦いが起きた次の日の朝。ローズは草原に伸びる土色の道に沿って馬を駆った。朝日の光を浴び、短い白髪が風に靡く。その白は陽光を反射して銀のように輝き、彼女の姿をいっそう異質なものに見せていた。



「・・久しぶりに来るな、最後に来たのは「刻んだ時」以来か・・」



 やがて視界に映るのは、森を背に構える大きな屋敷。かつては威厳を誇ったであろうその巨館も、今や見る影もない。



 遠目からでも分かるほどに壁を侵食する蔦は血管のように波打ち、色褪せた瓦は病んだ皮膚のように所々剥がれ落ちていた。



「まさかまたこの場所に来ることになるとはな、・・こんな陰気に呼びやがって・・」



 吐き捨てるような言葉とともに、胸の奥に重さが広がる。



 屋敷の前で馬を降りると、冷えた空気が皮膚を刺した。重い足取りで入り口へ進むローズを、白いローブを纏う者たちが目にとめる。



「・・おい・・あれって・・ローズ?」



「・・・えぇ、例の魔女よ。なんでこの場所にまた彼女が・・・!?」



 怯えた声と剥き出しの嫌悪。人々は蜘蛛の子を散らすように距離を取り、ひそひそ声を重ねる。その視線は恐怖と憎悪が入り混じり彼女へ突き刺さる。



 だが、ローズはそんなものどうでもいいとばかりに気にする素振りすら見せず、ただ目の前に見える大きな扉を見据え、彼らの前を悠然と歩き屋敷の中に入って行った。



 屋敷の中のエントランス部分は窓などなく、外の光をほとんど通さないため蝋燭の光だけで薄暗い。



 そのせいでただでさえ古臭い建物の内部がなおの事、色褪せて見えるようだった。



 歩を進めるが、床から埃が舞い上がることはなかった。



 埃の匂いはしない、その代わりに微かに古い木材と、それに塗り込まれた蜜蝋ワックスの甘い匂いがする。



 時の流れに身を委ね、朽ち果てた外観とは裏腹に。ここだけは時の流れに抗うように掃除され、手入れをされている。



 ――相変わらずだな。



 「めんどくさい忠犬」が住まう、異様に清潔な・・手入れの行き届いた墓場のようだ。

 


 廊下に差し掛かると、窓の外から差し込むわずかな光が、黒ずんだ床板を際立たせていた。



 ローズの歩みに合わせて、古びた床板が「ミシ・・ミシ・・」と囁きのような小さな軋み音を上げる。その音はまるで屋敷そのものが、彼女の来訪を知らせているかのようだった。



 ――来たぞ、忌まれた魔女が。



 ――マギの災いが戻ってきたぞ。



 そんな幻聴が混じりながら、音が重く広がる。



 廊下で出会う者たちは皆ローズの顔を見た途端、驚愕と憎しみの色を浮かべて一斉に道を開けた。誰一人として彼女を歓迎しない。ローズは鼻で笑う。



 「・・相変わらずだな。だが、その方が気楽でいい」



 廊下を抜け、階段を登ろうとしたその時。上階から冷たい刃のような女の声が降ってきた。



「・・止まりなさい」



 その響きに、ローズは小さく舌打ちをする。



「・・ハァ、一番見つかりたくない奴に見つかったか」



 ローズはゆっくりと足を止め、声の主へと顔を上げた。



 階段の踊り場に立つのは白と黒のメイド服に身を包んだ長身の女。腰のあたりで束ねた黒髪が艶やかに揺れ、鋭い瞳が眼下を射抜くように光る。



 彼女は片手で鼻を覆い、不快な感情を隠そうともせず顔をしかめていた。



「やっぱり、どうも臭うと思ったら。勝手に入り込んでいたのね・・屋敷の中にケダモノが」



 その声は冷たく張り詰め、地を這うようにこの場に響いた。



ケダモノ・・か」



 ローズは鼻で笑い、片眉をわずかに吊り上げる。



「誉め言葉としてありがたく受け取っておく。こんなカビ臭い所の奴と一緒の匂いじゃないんだからな」



 強い口調で言われるその言葉をローズは挑発で返し階段を踏みしめ上り始める。



「悪いがお前と言い争っている暇はない・・行かせてもらうぞ」



 すれ違おうとしたその刹那。



 ――バンッ!、と女の腕が真横に伸び、ローズの行く手を遮る。



「・・ケダモノが、言葉が通じないか?」



 低く抑えた声は、感情を震わせるほどの圧を孕んでいた。



「私は止まれと言った。今すぐ消えなさい・・この屋敷から」



 ローズは小さく息を吐き、横目でメイドを見る。その半眼の瞳には面倒臭さと同時に、氷のような鋭さが混じっていた。



「・・おい、黙って道を開けろ。私もこんな所来たくて来たわけじゃない、呼ばれたから来ただけだ。お前に言われなくてもこんな場所、用件が済んだらすぐに消える。・・それで構わないだろ?」



「・・・・呼ばれた、貴女がこの場所に?」



 メイドの瞳に侮蔑が閃き、口元が歪む。



「・・そう、あの「変人」が呼んだのですね。・・ふざけたことをする。例えどんな理由があろうとも私はお前を通す気はない。これが最後になる、消えなさい・・この屋敷から」



 視線が交錯する。女の瞳には明らかな敵意と不快。だがローズは目を逸らさず、むしろ口角を上げる。



 笑みは挑発を帯び、冷えた空気に火花を散らす。



「そうか・・なら、私もこれが最後の忠告だ」



 声を低め、言い聞かせるようにしてゆっくりと言葉を発する。



「・・おい、飼いペット。今すぐ私の前から消えろ。これ以上邪魔をするなら、私がお前の主人の代わりに躾をすることになるぞ?」



 空気が一気に張り詰め、互いの視線は殺気を帯びて絡み合う。メイドはまるでこの空気を待ち望んでいたかのように、口元を緩ませ不敵な笑みを浮かべる。



「・・・どうやら「力」を得、勘違いしている馬鹿に教えてあげなければいけませんね。自分の立場というもの・・その存在が如何に矮小かという事を・・」



 敵意むき出しな笑みを見て、釣られるようにローズの口元が更に緩むと笑みを深めた。



「・・吠えるのは勝手だが、忘れるな。お前はもう狼じゃないんだ。噛みつく為の牙を抜かれ、飼い犬に堕落した奴に何を教えられる?お手の仕方か?。・・それとも、大好きなご主人様に撫でてもらう為の御機嫌取りの仕方か?」



「・・・その吐き出した挑発の言葉・・覚悟を持って言ったんですね?」



「キャンキャン吠えるだけなら犬小屋でやってろ。・・牙があるなら、ここで見せてみろよ・・!」



「よく言った・・!」



 張り詰めた空気が今まさに爆発を迎えそうになった時だ。スッ、と二人の目の前にモップが割り込んできた。



 垂れる糸は幕となり、二人の交じり合う殺気を切り離す。辺りを包む緊張した空気が一瞬、肩透かしを食らったように弛緩する。



 二人は線をモップの柄の方へと移した。そこに立つのは、片手で軽くモップを構えた執事服の若い男。整えられた短い黒髪、感情を削ぎ落した瞳。彼の静かな眼差しは、さきほどまで吹き荒れていた殺気を嘘のように吸い込み、場を冷やしていく。



 ――気配が無かった。いつの間に私たちの横に……。

 


 ローズはわずかに眉を動かす。



「・・・床に血が飛び散ると掃除が二度手間になりますので。できれば、汚れる前に止めていただきたいですね」



 感情の揺らぎすら見せぬ声。淡々と吐き出されたその一言が、怒気に満ちた空気を無理やり日常へ引き戻す。

 


「・・・何故止める?、「アルフォード」」



 メイドが低く唸ると、「アルフォード」と呼ばれた若い執事服の男は淡々と答える。



「何故止めるか、ですか?簡単な事ですよ「リコ」。今はまだ主より命じられた掃除の途中だからです。そういう「私事」は、今与えられた「仕事」が終わってからにしてもらいましょうか?」



 アルフォードは片手でクルリとモップを回し、その柄を「リコ」と呼んだメイドに向ける。




「・・掃除ですか、なら問題ないはずです。私は今、屋敷に入り込んだ大きなゴミを掃除しようとしていたのですから。・・それともアルフォード・・貴方、この女に肩入れをするつもりですか?。主を「冒涜した」このケダモノに・・・」



 その声には怒りと憎悪が入り混じり、噛み殺すような歯の音が聞こえる。



「・・そんなつもりは微塵もありません」



 そう言うアルフォードの声はリコと相反する冷静な声だった。



「私は誰の肩を持つつもりもないですよ。ただ今は「仕事」の時間。それを妨げる行為を控えていただきたいと言っているだけです」



 アルフォードはリコを戒めるように言葉を続ける。



「それに、いいですかリコ。彼女はゴミではありません。マギに属する魔導士・・我々の仲間です。例えリコが嫌悪しようと、仲間をゴミと呼ぶことはそれを認める主を侮辱するのと同じこと」



「・・くッ・・!」



 言葉を聞いても未だに不服そうな目で睨みつけるリコにアルフォードは語気を強める。



「・・冷静になってください。今貴女が戦えば、主から与えられた仕事を途中で放棄する事になるのです、それは即ち主に「仕える事を」放棄するということ。・・こういえば分かりますね?貴女が行おうとしているその行為の愚かさが?」



「・・・・えぇ」



 リコは悔しげに息を噛み、アルフォードの差し出したモップを乱暴に引き寄せた。彼はモップを離すと、一歩下がって頭を下げる。



「・・さぁ、我々の仕事・・玄関の掃除を終わらせましょう」



 リコはアルフォードとのやり取りを終えると、静かに見ていたローズに視線を戻す。



「・・・私が掃除を終わらす前に屋敷から消えなさい。もしも掃除が終わってもお前の臭いが消えていなかったら、その時はこの続きを必ず行う・・いいですね」



 吐き捨てるように言葉を言い残すと視線を切り、階段を下りて行く。だがその場に取り残される2人の視界から消える寸前に一度立ち止ると、背中越しに言葉を発した。



「・・最後に、アルフォード・・」



「・・・なんでしょうか」



「モップを差し出す時は最初から柄の方を向けて差し出しなさい。・・不愉快です」



「それは配慮不足でした。申し訳ありませんでした、リコ」



 アルフォードは彼女の背中に向けて体を深く折り頭を下げるがそんな謝罪を見届けることなく彼女はその場から姿を消し去って行った。廊下を鳴らす怒りの足音が段々と遠ざかっていくのを確認すると、アルフォードは頭を上げる。



「・・・全く。直情的なのも考え物です。感情を隠すことも仕え方の一つだというのに」



 そう言うとアルフォードも彼女を追うようにして悠然と階段を降りて行く。



「彼女は掃除が早いです。・・早く用を済ませてお立ち去りください。・・「仕事」が「私事」に変わる前に・・」



「・・・・悪かったな、手間をかけた」



「勘違いなさらないように。私も彼女と気持ちは同じです。違うのは、公私の分別を保てるかどうかということだけ。では今は「仕事の時間」ですので失礼します」



「・・・・今は、か・・」



 そう言葉を残し、彼もまた階段から姿を消していった。



 △



「・・こんなめんどくさい所に呼びやがって」

 


 ローズは小さく舌打ちしながら、古びた廊下の突き当たりにある、部屋の扉を睨むように見据えた。

 


 「ガンッ、ガンッ!」



 手で軽く木の扉を叩くと厚い板が震え、鈍い音が響く。



「わ、わあっ!?ちょ、ちょっと待って、今いくからローズ」



 その直後、中から慌てふためいた声と・・。



「・・ああっ!」



 ドサドサと重い音や、バサバサと紙のような軽い音が床に落ちる音が続き、目を細めた。



 「・・慌ただしい奴だな、相変わらず」



 やがて扉がわずかに開き、隙間から男が顔を覗かせる。黒髪がボサボサに乱れ、伸びかけの無精髭を生やした若い男。清潔感など一切ない、だらしない姿。



 男はローズを見るや、この屋敷の中で誰も見せてこなかった笑みを。



 ・・いや、苦笑いを浮かべて出迎えた。



「ははは、待ってたよ。ローズ」



「・・よく扉を開ける前から私だとわかったな、「エルシド」」



 ローズの方もそのエルシドと呼んだ男の顔色を見ても、特に何かを気にする様子もなく問いかける。



 するとエルシドとは照れくさそうに肩を竦めた。



「だって君以外、こんな強く扉を叩く人いないからね」



 砕けた口調で言いながら扉を大きく開ける。



 そこには予想通りと言うべきか。薄汚れ、しわだらけの白い魔導士服を身にまとった彼の全身があった。



 エルシドは扉の縁を撫で回し、真面目な顔で確認する。



「うん、どうやら壊れてはいないみたいだね。良かった。最後に君がここに来た時は、見事に扉を粉砕してくれたからね。・・知ってる?、外見は似てるけど修繕費の関係で、僕の部屋だけ扉が安ものなんだよ?」

 


 目を細め、まじまじと見つめるエルシドに対し、ローズは少しばつが悪そうに目線を逸らした。



「・・悪かったな、あの時はまだ「刻まれた」ばかりで力の扱いに慣れてなくてな。今はもう加減を覚えた」



「加減のやり方ねえ・・。今の感じだと、僕にはまだ分かったとは思えないんだけどね」



 冗談めかした口調に、ローズはめんどくさそうに口を開く。



「・・おい、そんなつまらない話をしに私はこんな場所まで来たわけじゃない。さっさと要件を言え。急ぎの話なんだろ?「あいつ」が言っていた。珍しくお前が困ってるとな。・・私をここに呼ぶぐらいだ、相当な事でなければ・・次はないぞ」



 その声色には冷ややかな威圧が滲んでいた。エルシドもさすがに笑みを引き、真剣な表情を浮かべる。



「・・そうだね。それじゃあ中に入ってよ、これは凄く大事な話だから・・誰にも聞かれたくないんだよね」



 エルシドに招かれローズが部屋の中に入ろうとしたその時、廊下の奥から耳をつんざくような怒鳴り声が飛んできた。



「こおおおらあああああああ!!」



 ローズは片眉をわずかに上げ、面倒そうにため息を漏らす。



「・・もう来たのか、あいつ」



 エルシドも苦笑混じりに肩をすくめた。



「・・・「ティティ」の声だね。そういえばティティはどうして一緒じゃなかったんだい?」



「・・うるさいからな、落ち合った宿にそのまま置いてきた」



 あまりに当然といった口調で答えるローズに、エルシドは「やっぱりね」と視線を泳がせた。



「ローズゥゥゥ!私を置いていくなんてひどすぎるじゃないですかぁぁああ!!!」



 その瞬間、遠方から小さな地震のような振動を鳴らし小さな影が、肩に掛けた大きすぎるカバンをブンブン揺らしながら爆走していた。

 


 緑のベレー帽はずれ落ちそうに傾き、カバンの口からはハンカチやら紙切れやらが飛び出してしまいそうなほどはみ出しひらひらとたなびく。足音はまるで太鼓の乱打のように廊下に響き渡る。



 ローズはその光景を一瞥し、呆れたように小声で呟いた。



「・・走るな、お前の走りは見ててうるさい」



「ゼエッ・・ハアッ・・!だ・・誰のせいで・・はしってると・・おもってるんですかあぁぁぁぁぁ!!」



 最後まで怒鳴り散らしながらティティは二人の目の前に辿り着くと、盛大にバタン!と倒れ込んだ。



真っ青になった顔、ずれ落ちた帽子、無惨に歪んだカバン。そしてエルシドと同じ白の魔導士服。



「ひゅーっ・・ひゅーっ・・・い、今までの人生の中で・・い・・・一番・・疲れた・・・・グハァ・・・」



 四肢を投げ出し、大の字になって荒い呼吸を繰り返す。咳き込むたびに、小さな呻き声が漏れでていた。



 そのあまりに情けない姿に、ローズは冷ややかな眼差しを落とすだけだった。



「はひぃ・・はひぃ・・ロ・・・ローズ。・・あ・・あり得ないでしょ普通・・徒歩の私を・・・置いていきますか・・?」



「・・・当たり前だろ、私は馬に乗っていたんだ。・・徒歩のお前に合わせてたら遅れるだろ」



 その一言でティティの表情が一気に変わった。青ざめていた顔に血が戻り、みるみる真っ赤に染まっていく。勢いよく跳ね起き、ローズに詰め寄った。



「そこは私も一緒に馬に乗せろおお!、余裕で2人乗り出来たでしょうがああ!。なんでよりにもよって周囲に大したものが無いあの場所で、私を置いてくって選択肢が浮かぶんですかっ!」



 グイグイと前に来るティティ、ローズは顔を背けるとめんどくさそうに呟く。



「こいつ《エルシド》が要件を伝えたいのは私であってお前ではない、急いでいるのは私だ。急がなくていいお前は後から馬車でも拾って遅れてくればいいだろ。・・子供じゃないんだから文句を言うな」



 さらに言葉を区切り、冷ややかに吐き捨てる。



「そもそも、お前と一緒に行く選択肢は最初からない。うるさいからな」



 その言葉にティティはぷるぷると震え、まるで今にも噛みつきそうな勢いでローズの目の前に顔を突き出す。



「なななっなぁあああ!?誰が子供ですか!!誰がうるさく可愛い子供ですかぁああ!!」



 ティティは両手をぶんぶん振り回し、足を踏み鳴らしながら喚き散らす。



 「私はこう見えても立派なお姉さんなんですからね!議論の前に、先ずはそこを訂正しなさい!訂正!訂正!!てーいーせーいー!」



「・・誰が可愛いだ、誰が・・・」



 ローズは心底うんざりした声音で返した。



「いいえ言ってまーす!ローズのその目、その口元!、醸し出す雰囲気!!、すべてが私に語り掛けてきてるんでーーす!」



「ああもう・・はいはい!そこまでだよ2人共!」



 堪らず割って入ったエルシドは、やれやれと頭を振りながらも柔らかな声で続ける。



「ティティ、ローズの性格は知っているだろう?。彼女のためにもここはお姉さん・・。いやっ、「大人」の女性であるティティの寛容な精神で許してあげなくちゃいけないよ」



「!?、お・・大人?」

 


 エルシドの口から発せられた大人という言葉にティティは背筋をピンと伸ばし、キラキラとした瞳で振り返った。



「ま・・まさかのお、お姉さんを飛び越えて2ランクアップ!?大人ですかエルシド様!?」



「そうだよティティ、言うならば君は「大人のお姉さん」。ローズは反抗期の子供。そんなツンツンしたローズに対して、僕は大人の優しさと包容力で包み込むティティにいつも心から感謝してるんだ。今回も伝言ありがとう・・優しい大人のティティ」



「・・・ぐへぇ・・」



 恍惚とした声を漏らすティティの顔は歪みながらも、みるみるうちに幸せそうな明るさを取り戻していく。



「おぅ・・ふぅ・・・もぅもうも~う!!。エルシド様はローズにアマアマなんですから!!。・・でも、エルシド様にそんな風に言われたら・・・ふふぅん♪ティティはお・と・な!の包容力で許しちゃうしかないですよぉ!!ふへへへへ♪」



 さっきまで怒りに燃えていた姿はどこへやら。ティティは頬を染め、肩を揺らし、くねくねと身体をくねらせながら幸福を全身で表現していた。

 


「お・と・な!のティティはエルシド様に感謝の言葉を言われて全身がムズムズするぐらい感激ですぅ♪。その一言があるから!ティティはローズの素直じゃないこ・ど・も・!のような捻くれた嫌がらせにも耐えられるのです!」



 その異様なティティのはしゃぎぶりをよそに。エルシドはちらりとローズを見ると苦笑を浮かべて肩をすくめる。「こうやって扱えばいいんだ」とでも言いたげな表情で扉を押し開き、二人を促した。



「それじゃあ一件落着したし2人共部屋の中に入って、用件を言うから」



「はぁいですぅ!うへへへ♪」



 弾む声と共に、ティティは嬉々として真っ先に部屋へ飛び込んでいった。その背を眺めながら、ローズは小さく目を細めエルシドに問いかける。



「・・おい、良いのか一緒で?。・・うるさいぞ」



「大丈夫だよ、ティティは大人だからね。ちゃんと静かに・・」



「あああああああ!!」



 言葉を言い切るより早く、部屋の中から甲高い悲鳴が上がった。



「なんで!?、なんでエルシド様のお部屋がこんな酷いことになっているんですか!?この間私が片付けしたばっかりなのに!まるで泥棒に荒らされた窃盗現場じゃないですかぁ!!」



 ローズは呆れ顔でエルシドを睨み、再度問い直す。



「・・・本当にいいのか?」



「・・はは・・、まあ・・・大丈夫・・かな?・・・・入ってよ」



 招き入れられエルシドの部屋の中に入ると壮大な光景が広がっていた。流石のローズもその荒れように目を丸くする。



 部屋の床を埋め尽くすのは無残に散乱する紙。子供が遊び飽き、手から放り投げられたかのようにあちこちに転がる試験管や魔道具、そして最初の音の正体であろう崩れた書物の山。



 部屋全体が、まるで知識を求める暴風にでも蹂躙されたような有様。人ひとりが歩くにも慎重に足場を選ばねばならないほどだった。


 

「これは・・・なかなかだな」



「おかしいです!。ここを出る前、確かに私が綺麗に片付けをしたんですよ?。なのにどうしてこんな短時間の間にここまで酷い有様になるんです?。見てください、あそこの隅にある器具の塔!。どうやったらあんな絶妙なバランスで積んで置けるんですか!?というかなんであれだけ無事なんですか!!」



 絶景とも言えるその器具の塔にティティは驚き、頭を抱えながら目を丸めて見つめる。エルシドはそんなティティの顔を見て申し訳なさそうに自身の頬を撫でながら、恥ずかしそうに答える。



「ハハッ、ちょっと今回の件の調べ物で忙しくてね。・・まあその話は、また後でしようか」



 苦笑するエルシドは散乱した床を器用に歩き、机へ腰掛けた。そして机に積み上がった書物を雑に押しのけ、追い打ちをかけるように床を埋めると、机の上にある地図を広げる。



「時間があまりないから率直に言うよローズ、これは君にしか頼めないことだから・・是非とも引き受けて欲しい」



 先程までの締まりのないにやけた顔が変わる。エルシドが滅多に見せないその鋭い目つきが今回の依頼の重さを感じさせた。



 この先に待つ言葉を聞く前に、ローズの口角は自然と上がっていた。


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