第4-4話 信じる者は救われる
アーネストとリサ以外の熱狂は異常で、彼らはまだ
「みなさん、本日はとても美しい日ですね。我々の人生に美しくない日など存在しないのかもしれません。それと同じく、我々はひとりひとり尊く美しい」
唐突に始まった演説はしばらく続き、やがて彼女は手前に座っていた一人を指さした。
「あなた。あなたは……癌ではありませんか?」
直接声がかかったことに感動し、男性は体を震わせながら頷く。体は痩せこけ、立っているのがやっとに見えたが、
男が振り返るのと同時に、アーネストとリサは同時に「あ」と呟きそうになり、慌てて言葉を呑み込んだ。お互い頷くこともなくチラリと目を合わせ、ふたたび前を向く。
男は
「辛いでしょうに……神はあなたをちゃんと見守っておられます」
母・バラカが振り返りシェムザに視線をやれば、彼は柔和な笑みを浮かべたまま頷きを返す。そして
「このワインを飲めば、たちまち苦痛が軽減します」
優しい声色でそう言い手渡すと、暁の父親は手を震わせながら一気にあおる。
遠目からだとよく見えないが、ワインというにはすこし濁っていたようにも見えた。
液体を飲んだ男は睫毛を震わせ、ガラスを取り落とし高い音が教会ないに響く。ゆっくりと彼の体から震えが消え、遠目で見てもわかるほどに恍惚とした色が目に浮かんだ。
その変わりようにアーネストは肝が冷えるような心地を覚えるも、表情には出さないように努める。
人々の拍手が雨のごとく教会内に降り注ぎ、感激によって涙を流す者までいる。すべてが異様だったけれど、アーネストにとってはなかでも『シェムザ』の存在が目についてしかたなかった。
「それでは就寝前のフリータイムです。みなさまレクリエーション室へお集まりください」
そのシェムザが満面の笑みを浮かべ、手を叩いて快活とそう告げる。
人々は慣れた足取りでぞろぞろと教会を出ていくので、アーネストとリサもそのあとについていく。レクリエーション室は大きな白い部屋で、ギターや本、ビリヤード台がいくつか置かれている。
奥には樽がひとつ置かれ、まず全員がそこに並んでカップのなかにワインらしき液体を注いでもらっていた。
仕方なくアーネストとリサもその列に並び、満たされたカップを手に妙にはしゃいだり、床で寝始める人々を見やる。二人は飲むふりをしつつ、無理矢理ひねりだした世間話をしばらくしていた。
「楽しんでいますか?」
不意に声をかけられ、アーネストは弾かれたように顔を上げる。
シェムザが不気味なほど爽やかな笑みを浮かべ、アーネストとリサを見下ろしていた。黒ぶち眼鏡の奥の黒い瞳はどこまでも深く、満面の笑みだというのに笑っていないように見える。
「ああ、楽しませてもらっていますよ」
さりげなく手つかずのカップの中身が見えないように手で蓋をするが、シェムザは小首を傾げ「呑まれていませんね」と指摘した。
「ああ、下戸なもんで。でも少しずつ飲みませていただきます」
「……楽しんで」
笑うアーネストに、シェムザは嘘くさい笑みを返して頷くと立ち上がり、人々のなかへと紛れこむ。アーネストが息をつくのを見やり、リサが眉間に小さなしわを寄せた。
「トイレ」
カップを揺すりながらそう言う上司に、リサも頷き慌てて立ち上がる。
便器のなかに赤い液体が流れる光景は、わかっていてもグロテスクに見えた。
レバーを引いて完全に液体が流されるのを見送ってから、アーネストは空のカップを手に個室を出ていく。レクリエーション室からすこし離れた、個室が2個だけの男子トイレに人はおらず、森のなかとあり外の音も何も聞こえない。
リサは暁の両親を第一に動くよう指示し、アーネストは引き続き施設について調べることにした。
カップを返却して人々より早めに部屋へと戻り、身支度を整え早めにベッドへと入る。けれどどうしても、鍵のかからないドアが気になって仕方がなく、ゆっくり眠ることなどできそうにない。
深夜になっても時折廊下から足音が聞こえ、意識が何度も浮き沈みを繰り返す。
「アーネストォ!」
不意に耳元すぐ近くで祖母の絶叫が聞こえた気がし、アーネストは体をびくつかせ目を覚ました。室内は寒いぐらいだったもののうっすらと汗をかき、体は硬直している。
[みなさん、おはようございます。今日も美しい一日が始まりました。朝食を作るため、動ける方は食堂にいらしてください]
無機質な放送を聞きながら、ようやく現実に戻ってきたことを実感した。
昨日と同じデザインの服に着替え、衣服はランドリー室へと持っていく。掃除をする人、炊飯をする人、洗濯をする人……すべて役割を振り分けられているらしいが、新人のアーネストとリサは炊飯と畑仕事以外は何も言われていない。
お互い欠伸を繰り返しながら食堂での炊飯を人々と一緒に行い、農作業に向かおうとしたところでアーネストだけ名前を呼ばれる。
「エルネストさん、まだ病状が安定しているって聞きました。ちょっと肉体労働なんですが、お願いできませんか?」
40代ぐらいの女性に声をかけられ、正直不安ではあったもののアーネストは笑顔で頷き、彼女について歩き出す。まだとおったことのない廊下を抜け、やがて建物の裏手へと抜ける。
「森のなかに生ごみを捨てる穴を掘ってほしいの。大きな穴が必要で……今日一日で掘れなくてもいいから」
大きなシャベルを手渡され森のなかに入ると、いくつか不自然に掘り返したあとが点々とある。気味の悪さに顔をしかめつつ、仕方なくアーネストはシャベルに足をかけた。
正午に食事を摂り、ふたたび穴掘りをして
リサは暁の両親と今日こそ話す、と筆談でアーネストに気合いを見せてきた。
暁の両親を説得できなかった場合、無理矢理にでも脱出するために施設の地図を作ってきたが、まだほとんど白紙だ。貴重品入れのなかに地図を描いた手帖とスマホを隠し、ふたたび腹に巻く。
そこで貴重品袋のなかに、いつの間にか金色のコインのようなものが入っているのに気がついた。手に取るとそれは、持っていると幸運をもたらすという、マリアが浮き上がった金の「不思議のメダイ」だ。
しばらく不思議のメダイを見つめていたが、貴重品袋へと戻す。
重い疲労と昨晩ろくに眠れなかったからだろう、アーネストはベッドに入るなり深い眠気に襲われる。うととする間もなく、アーネストはそのまま眠りに落ちていった。
夜半に目が覚めたのは、誰かの気配が室内でしたからだった。壁に向かって横になり、荷物に背を向けていたために即座にパニックにならずに済んだ。
アーネストの部屋で誰かが荷物を検めている音を聞きながら、起きていることがばれないように短くなりかけた呼吸を整える。いつからそこにいたのかわからないものの、『誰か』はそれから数分滞在しただけで諦め部屋を出ていく。
足音が十分離れても身動きせず、そこからは一睡もせずに夜明けを迎えた。
自身の荷物は元あったように乱れもなく置かれ、何ひとつ盗られてはいなさそうだ。いくらかあった現金にも触れられていなかったことからみても、金目の物がほしかったわけではないのだろう。
疲れ切り髭を剃って身支度を整え部屋を出て、隣の部屋をノックすると目の下に濃い隈を作ったリサが顔を出す。
「どうしたんだ? まさか……」
ワインが頭をよぎるものの、どこで聞かれているかわからずにアーネストは口を閉じる。リサは眉尻を下げて苦笑するが、何も言わずに食堂に向かって歩き出した。
「サリ、おはよう」
不意にリサとアーネストの間に壮年の女性が割り込み、笑顔を浮かべて声をかける。リサもそれに応えて笑みを浮かべ、そのまま仲良さそうに歩き始めた。
食事を終え穴を掘り、昼食を食べて穴を掘る。
アーネストは幾度となく『本当にゴミを捨てる穴なのだろうか?』と考えながらも、寒さのなか一心不乱に穴を掘った。土のなかに捨てられる、痩せこけ病死した人間が積る場面を想像しながら。
「エルネストさん」
不意に建物から声をかけられ穴を掘るため屈んでいた体を起こすと、穴のふちに立っていたシェムザを見上げる。彼は相変わらず取ってつけたような笑みを浮かべ、後ろに撫でつけた黒髪に乱れひとつとしてない。
「今日の会合は早まりました。シャワーを浴びたら教会へ」
落ち着いた、すこし冷たくさえ感じる冷静な声色に嫌な予感を感じつつ、アーネストは素直に頷く。
シャワーを浴びて教会に入れば、すでに人々はひしめき合って一斉にアーネストを見やる。たくさんの目が向けられたことに冷や汗が噴き出しつつ、リサの隣へと収まる。
「母・バラカ!」
アーネストが腰を下ろした瞬間に声が弾け、全員が一斉に立ち上がった。
肉体労働で疲労していたため、アーネストは一瞬まごついて立ち上がると、隣に立つリサが泣いているのに気づいてぎょっとする。彼女はブラウンの目と、頬を濡らして笑顔を浮かべていた。
説教台に現れた母・バラカは、笑顔を浮かべたまま群衆を落ち着かせるように両手を広げてみせる。
「本日の幸いなる方は、あなたです」
前置きも何もなく、母・バラカはまっすぐにアーネストを指さす。
ふたたび全員の鋭い視線を浴び、冷たいものが背筋を走り口の中が渇き舌が下あごに張りついた。硬直しているアーネストをシェムザが笑顔で手招くのに、周囲の人間は「おめでとう」「よかったね」と涙ながらに祝福の声を上げる。
それは隣にいるリサもまた同じだった。
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