第2-3話 悲しむ者は幸いである

 リサが隣室に入ったのは初めてのことで、まず窓を覆ってしまうほどの本棚と書物の量に圧倒された。部屋は本が多い場所独特の古いにおいと、教会で使用する振り香炉の乳香の香りがする。

 大きなテーブルには姉弟が使用したのだろう皿が3枚、いくつかの果物、そして燭台に蝋燭が数本刺さっていた。

 リサは『パラノーマル・リサーチ社』の協力条件である、撮影のカメラを二つ姉弟に向けて設置する。HPで『神父による祈祷があります』と書くためだと、あくどい笑みを浮かべてアーネストは言っていた。

「再現性が必要かと思うのです。悪魔は今、深く潜ってしまい引っぱり出せそうもありません。入ってきた時を再現していただけませんか?」

 手を打ってTがそう言うと、イザベラとノアは困った様子で顔を見合わせる。

「あの、誰を降ろせばいいの?」

 おずおずと問われた言葉に、今度は三人が顔を合わせた。

「そうですね……わたしのパパでも」

「いや、おまえのパパはさすがにダメだろ。本当に呼ばれても、何話しゃいいかわかんねぇし……オレの祖母か」

「わたしの兄を呼んでください」

 パパは教皇の呼び名でもあるため、アーネストは深く聞かずに即座に却下する。しかし、自身の祖母についても少々嫌そうな表情を浮かべるため、リサは思い切って口を開いた。

 アーネストは眉間にふかい皺を寄せ、訝しそうな表情を浮かべる。

「いいのか?」

「はい。去年もリリーデールで降ろそうとしたんです……きてくれなかったけど」

 苦笑を浮かべるリサを、イザベラは複雑な表情で見つめてから頷き、両手を机の上に置いた。そして両方の掌を上にし、全員で手を繋ぐように促す。

 窓の外では午前11時の穏やかな時間が流れており、時折人々の話し声や笑い声が響いてくる。一方、薄暗い室内では五人が手を繋ぎ、リサは六歳で事故死した双子の兄・アキトの姿を思い描く。

 悪魔がノアに降りてきた日、イザベラが死者に繋いでノアに入れたのだという。

「あ、あなたの弟さんは、あなたととても仲が良かったみたい……でも、何かとても大きな後悔があるんですね」

 イザベラはところどころ言葉を詰まらせながら、眉間にしわを寄せて言葉を紡ぐ。彼女は、自分が嘘をついていることを相手も知っている中で降霊術をしたことなんて、当然初めてだろう。

 リサはイザベラの言葉に同意しつつも、わざわざ降霊術で兄を呼びたいというのだから、仲がよく後悔があるのは当然だと思う。

「おそらくは事故……突然でしょうか」

 『強い後悔』が残るなら事故死か自殺による突然死の可能性が強く、24歳のリサの兄ならば事故死……と踏んだのだろう。それもわざわざ『おそらくは』とつけた。

 ほとんどの流れが去年と同じであることに落胆しつつ、リサはふたたび肯定する。

「直接呼び出しますので、強くお兄さんのことを思い浮かべてください」

 去年の夏、降霊術の卓について同じことを言われた。

 心の底から信じていたわけではなかったけれど、それでもリサは期待していた。両親の期待を裏切ってでも『パラノーマル・リサーチ社』に就職したのだって、兄であるアキトに会うためだったのだから。

 そして第一声、アキトであるという霊は、リサを『リサ』と呼んだ。彼は、物心ついた頃から一度として愛称以外でリサを呼んだことがなかったというのに。

 リサが繋いだノアの手が小刻みに震え始め、痛いほどに力が込められたため、思わず目を開いて少年の姿を見やる。彼はやはり俯き、尋常ではなく体を震わせていた。

「ノア?」

 私語は厳禁であったものの、我慢できずにリサは声をかける。すると少年は顔を上げ、まっすぐにリサに視線を投げる。けれど、虚ろな濃い緑の目はどこも見ていない。

「リリー、そこにいるの?」

 悲し気な声を聞いた瞬間、リサの全身に電気が走り椅子にくぎ付けとなる。

 それはまさに兄の声で、兄がリサを呼ぶ時の愛称だった。去年の夏、降りてきたという兄が呼ばなかった名前だ。

「ここはどこ? どうしてオレは独りなの? すごく寒い」

「アキト……」

 思わず立ち上がりかけ、リサは辛うじて自制して椅子に座り直し真正面の少年を見つめる。栗色の髪は同じだけれど、残っている写真は六歳までの小さな少年である。

 それなのに今目の前にアキトが現れた気がして、リサは涙ぐんで身を乗り出す。

「リリー、なんで一人で生きてるの? オレたちはずっと一緒なんじゃなかった?」

 ずっとリサの心の底にあった言葉を投げかけられ、リサは冷や水を浴びた心地がして硬直した。

「一人だけ生きてるなんてズルい。こっちに来てよ、リリー」

 洟をすすり泣き始めたノアに、リサが思わず立ち上がったところでTが手を上げて制する。代わりに彼が立ち上がると、不思議と薄暗かったはずの部屋の中が、仄かに明るくなった心地がした。

「悪魔の話はいつも退屈で困りますね。まったくもってつまらない」

 Tは躊躇うことなく繋いでいた手も放し、棚の中から祈祷書と聖水、そして物陰にたてかけていた小型の斧を取り出した。

「おい、なんでそんなもの……」

「前回使い心地がよかったもので、これからは悪魔退治に使用しようかと思いまして」

 羽でも扱うかのようにグルリと回し、刃の背を肩に乗せてTは椅子へと戻ってくる。

 ノアの中にいる悪魔も動揺しているらしいのが面白く、リサは先ほどまで感じていた体の硬直がほぐれるのを感じた。全身にかいた冷や汗で身震いをして笑みを浮かべかけ、ノアが上げた顔を見てふたたび硬直する。


 アキトが死んだ日は、抜けるような青空の美しい秋の日だった。

 朝口喧嘩をしたリサとアキトは別々に行動し、勝手に家を抜け出すアキトに気づきながらもリサは何も言わなかった。今まで何度もそうして家を抜け出し、気づかれる前に戻ってきていたから、今日も変わらないのだと思っていた。

 けれど夜になっても兄は戻ってこず、家族と隣近所の人で夜中に小さな街を探した。

 兄はひき逃げにあったらしく、血まみれで道の脇に捨てられていたらしい。ひかれてすぐは生きていたのに、誰にも見つけられずにそのまま一人きりで息を引き取ったのだという。

 薬物をやって運転していたのだという、若い男が犯人としてすぐに捕まった。

 けれどそれだけ。犯人が捕まったとしても、兄は家に戻ってこなかったし、リサの後悔が消えることもない。歳をとるにつれて薄まることもなく、時折思い出してはパニックに陥りそうになった。

 棺桶に入った兄は、エンバーミングで綺麗に整えられていたけれど、顔にはいくつかの傷跡がうっすら見えた。

 その傷跡を浮かせ、リサの記憶の中のアキトと同じ顔をしたノアが、まっすぐリサを睨んでいる。

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