第8話 自慢のキミ

 食後、カインは涼やかな風を一人縁側で堪能していた。


 シーアは、カインに風呂を借りると言い残し、早々に脱衣所へと消えていった。


 それもいつものこと。


 こうして二人で夕食を食べた日には、シーアはついでとばかりに風呂を堪能する。


(まあ、うちとシーアの所の風呂場を比べても、何故かこっちの方が大きいんだよな。銭湯とまではいかないにしてもさ。ほんと、爺さんもよっぽど風呂が好きだったんだろうな)


 入浴する際、「覗くとどうなるか、分かっているよね」などと、満面の笑みで思わないでもない――いや、思いもしないことに釘を刺され、カインはこうして夜風と共にしている次第であった。


 ここなら彼女の鼻歌も聞こえはしないし、何より邪念が湧く心配もない。






 当の本人は、一人ご満悦で貸切風呂を堪能していた。


 体を洗い終え、湯船から桶で掬ったお湯を頭から被っていた。


「んん~今日もいいお湯」


 湯船の広さは、大の大人が五人は入っても空くほどだ。


 それを一人で使えるのだから、贅沢なもの。


 ゆっくりと足から浸かっていき、肩まで浸かると思わず声を漏らした。


 一日の疲れが染み出る間隔が堪らない。


「はぁ、気持ちいい……」


 そう言わずにはいられない。


 全てを忘れてしまえるような、安らぎの空間。


 そう考え、ふっとシーアは目を伏せた。


「カインも、忘れられているのかな……」


 シーアは、彼の日々が辛いものだと知っている。


 だからこそ、僅かでもいい。


 それらを忘れる時があるのかと心配した。


「ウチに出来ることは……」


 湯気の昇る先を見ながら、彼女は酷く泣きそうになった。


「――ん?」


 突然、シーアは何かを感じ取った。


「何だろう……すごく張り詰めたような魔力を感じたんだけど、気のせいかな。こんなしんみりしてるからかなぁ。これじゃあ折角カインがいいお風呂を提供してくれてるのに申し訳ないね」


 ばしゃばしゃと顔に湯を当てて、シーアは気持ちを切り替えた。






「ん、あれは……?」


 たまたま視線を動かした先で、垣外に見慣れない風貌をした人影をカインは見つけた。


 イニシオの人口は少ない。


 住人とそうでない人との違いは、割と簡単に分かるものである。


「こんな夜に他の所からの来客か。こんなとこ、観光地もないのに珍しいな。ああ、そういえば明日はあれがあった。それを見に来たのかな? この時間、宿はとっているんだろうか」


 少しだけ気になってその人物を目で追っていると、脱衣所から出たシーアの声が聞こえてきた。


「出てきた、出てきた。さてと、俺もゆったりと湯に浸かるとしますか……絶対染みるよな、これ」


 傷んだ体に気を落としながら、風呂に入る準備をしようと腰を上げる。


 部屋の中に入る際、先程の場所に目をやると、もう人影は居なくなっていた。


 それに何の関心も抱くことなく、そのまま部屋の中へと入っていった。


 風呂場へ向かうと、頭にタオルを被ったシーアを見つけた。


「湯加減サイコー。カインも早く入ってきなよー。ぽかぽか温まるよ」


 シーアは、まだ体の火照りがあるのか、肌の露出が多い。


「分かったけど、覗くなとか言いながらそういう姿を晒すのは勘弁。前みたく吹き飛ばされたくないんだけど」


「えー、だって暑いし、それにあの時は堂々と入ってきたカインが悪いんでしょうが。全く人畜無害かと思ったらコレだもん」


「だって、普通一度はチャレンジするもんだろ? シーアなら尚更。まあそれでも一度きりの経験で結構……もうあんなに痛いの経験したくない」


 当時の映像を思い出し、カインは身を震わした。


「当然だよ! そういうのは、合意の上でやりましょう。さ、さっさと入ってくる。冷めちゃうでしょ」


 シーアに急き立てられながら、カインは脱衣所に入っていった。


 衣服をあらかじめ用意していたかごに脱ぎ捨てながら、カインはあることを考えていた。


(うーん、合意の上でならいいのか……)


 などと、いつかもう一度試してみようと無謀な試みを決意した。







 風呂から上がると、カインは、濡れた髪をタオルで拭きながら廊下を通って居間へと向かう。


 襖を開けて入ってきたカインを、居間にいたシーアが手招きした。


「どうしたんだ、シーア? さっきの話の続きだったら逃げ出すしかなくなるぞ、俺」


「それはもう終わったでしょ。それよりもこれ。見て見て、ウチが最近開発した術式!」


 そう言って、シーアは短く起動の詠唱を口にし、テーブルに指を立てる。


 すると、指先から四角形が二つ重なり合った魔法陣が展開し、その中から立方体キューブ状の塊が浮かび上がってきた。


 ソレを手にとって、シーアはカインに見せてくる。


 よく見ると、中は透けて見えていて、何やらモヤモヤとした青い水滴のようなものが漂っていた。


「これ何だ?」


 至極当然とも言える疑問を聞くと、待ってましたとばかりにシーアが胸を張って説明し始めた。


「これが、今までウチが組んだ中での最高傑作。名づけて、『魔力保有制御術式』なのである」


「魔力保――何だって? よく分からない」


「魔力保有制御術式! 言いづらいなら、そうね、『魔力保有制御術式スペル・ホルダー』なんてのがオシャレかも。うんうん、いい感じ」


 手をパチンと叩きながらコレだといった顔をするシーアに、カインはもう一度尋ねる。


「それで、一体これ――魔力保有制御術式スペル・ホルダーってのは何をする術式なんだ?」


 カインは咄嗟に先程の名称で言い直す。


 シーアが睨んだ気がしたのは、気のせいではないだろう。


 そんな行動など毛ほども感じさせず、シーアは会話を続けた。


「これはね、言葉通り魔力を保存することが出来るの。貯金箱みたいにね。こうやって、自分の魔力をこの箱に注いでやって――」


 シーアは、その場で実践して見せた。


 魔力保有制御術式スペル・ホルダーに手をかざし、魔力を放出する。


 すると、送り込まれるように立方体キューブへ入っていき、中にある水滴のようなものが少しだけ膨らんだ。


「ほえー」


 カインは、感嘆の声を上げた。


 シーアは、それを聞いて満足したように頷く。


「でもシーア。その中に入れた魔力はどうなってるんだ? 入れた分だけ魔力総量は減ってしまうのか?」


「別のモノに変えてる訳じゃないから、総量は減らないよ。これは対抗術式とかとは違うから。術者の魔力を込めて起動するものじゃないしね。普段外に放出する魔力を蓄えるようにしてるから、時間が経てばいつも通り、自然に使った魔力は回復するよ。中の魔力は取り出そうとしない限り、この中にいつまでも留まり続けるようになってるの」


「ほー、そりゃすごい。まるで貯金箱だな。で、シーアはこれをどういうことに使うんだ?」


 カインの質問に、シーアは渋い顔をしながら答える。


「うーん、残念だけどこのままでは何も出来ないんだ。魔力を溜めるのも術者しか出来ないし、かと言って貯めた魔力を開放するとそのまま霧散しちゃうし」


「全然ダメじゃないか……」


「仕方ないんだよ。まだ研究途中なの。それでも他を魔力の糧とする『代用術式』と違って、より多くの魔力を手軽且つ必要なだけ貯めることが出来るから、これが完成すれば皆の魔力を集めてより大きな魔導を扱うことだって可能なはずなの。そしたらさ、みんなの生活をより一層向上させることが出来る。ウチの理論でみんなを幸せに出来る。その希望の一歩なんだよ」


 その目は、初めて褒めて貰った子供のようにキラキラと輝いていた。


 カインは、素直に彼女を尊敬し、応援したいと思った。


 だから、こう告げた。


「シーアなら出来るさ。俺は知ってる。シーアが天才だってことを、さ」


 独学で術式の構造を理解し、自ら作り上げるという離れ業を成し遂げた彼女。


 町の人は、その可能性を天才と語るが、カインはその裏を知っている。


 彼らのように成したことだけを見て、そう呼ぶのではない。


 ひたむきな探究、自分の目指す未来に向かう努力を知るからこそ彼女の成果を尊いと感じる。


 故に、シーアはカインにとってであった。


「もう、そんな風に言われても乗せられないからね!」


 照れ隠しで言うシーアは、口を膨らまして顔を背けてしまった。


「ごめん、ごめん。でも本当にそう思っているんだぞ。この術式、どうやって組んであるのか教えてくれよ」


「もう、からかうのはやめてよね……でも、ありがと。カインのことだから、きっと分かってて言ってるんでしょ。えーとね、これは地属性の『固定』と闇属性の『収縮』の方を基礎に、水属性の『流動』の性質を加えて――」


 カインは、シーアが自分の気持ちを汲んでくれたことを少し気恥ずかしく思った。


 だが、それよりも彼女と通じているということがとても嬉しく感じた。


 シーアの説明に、カインが時々質問をする。


 そうして、幸せな夜が更けていった。

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