第12話 ホンの焦燥感

 「ああ、うんざり」ホンは唸った。


 懐かしくて大好きな葛城聖との楽しいビデオ通話のはずだったのに、なぜか通話終了後は苦い気持ちが残った。もちろん聖のせいではない。むしろ困っている聖を画面越しに見つめながら、何もできない自分(とデーン伯父さん)に腹が立ったからだ。それに、クマーン・トーンと称して赤ん坊のミイラを売る店とか、それを疑いもせず買う観光客とか、全てに腹が立った。


 今、ホンが目にするクマーン・トーン人形はどれも可愛らしい顔をして、幸せそうだ。幸せそうに微笑むから、招福人形なんだと思っていた。でも、こんな気持ち悪い背景があるなんて信じられなかった。きっと今の若い世代は、私と同じように、こんな暗い背景は嫌に決まってる。子どもは可愛くて、楽しそうに笑っているのが一番なんだから。


 ホンが子どもの頃、母親はバンコクで流行っている映画のVCDをよくレンタルビデオ屋で借りてきた。あの頃の母は店が忙しくて、ホンと遊んでやることもできないので、ゲーム機、絵本、ビデオデッキ、何でも買い与えてくれた。同じクラスの子どもたちはそんなホンが羨ましそうだったが、ホンの家に遊びに来ようとする子は居なかった。いや、いたとしても親が止めただろう。なにせ、ホンは「呪われた血筋」の子なのだから。


 だからホンは大量の映画を観て育った。そのほとんどは映画館じゃなくVCDやDVDだったけど。多分、村の、いや郡内の子どもたちと比べても、観た映画の数は群を抜いているはずだ。


 昨晩の聖と伯父のやりとりを聞きながら、ホンは子供の頃に観た『ナーン・ナーク』という映画を思い出していた。100年以上昔のタイ農村女性ナーク。出征した夫・マークを待ちながらの出産。難産の末、胎児ともども亡くなる。それを知らずにようやく帰省した夫。それを迎える妻と子はすでにこの世のものではなかった。そんな幽霊話だ。後半は悪霊と化したナークが大暴れするが、高僧トーの登場により成仏し、村は平和に戻る。


 出産で死んでしまうんだ。出産って命がけなんだ。子どもだったホンには衝撃だった。それだけでも可哀想なのに、悪霊になるなんて。ナークがいつも抱いていたあの子どもはどうなったんだろう。母親が業を一身に受け止めたから子どもは悪霊にならずに済んだのだろうか。それとも、トーより前に悪い呪術師がやってきたら、赤ん坊だけ掘り返して、クマーン・トーンに化けさせたんだろうか。そうさせないために、ナークは暴れたのかな。可哀想なナーク。でもナークは最後まで妻であり母親だったよね。


 「子どもの遺体を持ってくるヤツもいたらしいぞ」とデーン伯父は言っていた。欲に目がくらむ人間はどこにでもいる。タイの呪術師にクマーン・トーンを作ってもらおうと、子どもの遺体をタイに持ち込もうとした外国人が居たとか。もちろんそんなヤツは警察に逮捕されたらしいけど。クマーン・トーンの物語って悲しすぎるのに、そんなこと顧慮だにせず、子どもの亡骸を金儲けの道具に考える大人たちは本当に醜い。


 でも、デーン伯父さんは、あの塊をクマーン・トーンよりも「たちが悪い」「子どものミイラ」って言っていたな。真相を知りたい気もするし、もうこれ以上、知りたくない気持ちもある。あと、デーン伯父さんは「機が熟したら」画面越しに魂抜きをするって言ってた。「機が熟す」のはいつなんだろう。


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