第8話 タイ語を話す幽霊
「ティーナイ?ティーナイだって?」デーン伯父は叫んだ。
聖の言葉は翻訳アプリを通して、機械音声のタイ語に変換される。デーンは日本語はまったく分からないので、聖の呟くような声からしばらくして聞こえてくるタイ語に耳を傾けていた。しかし、聖が「ティーナイ」と言った後、しばらく沈黙したアプリはそのまま「ティーナイ」と訳した。つまり、これはタイ語って事か。
「そうです。Sさんは耳元で囁かれるタイ語のうち、ティーナイとかユーナイという言葉は聞き取れたようなんです」
ティーナイとはタイ語で「どこに?」という意味だ。「ユーナイ」も似たような意味であるが、こちらだと「どこにある?」「どこにいる?」という何かを探しているかのような意味に取れる。カタコトの旅行タイ語を話せるSさんなので、道に迷った時によく使う用例として覚えていたという。
「じゃ、その日本人の家に居着いたクマーン・トーンはタイ語を話しだした、ってこと?」ホンは薄っすら笑いながら聖に尋ねた。あ、ホンちゃん悪い顔してる、と聖は思った。
「デーンさんのお話では、どうやらクマーン・トーンではないようですが、一応ここではクマーン・トーンと呼ぶことにして…。とにかく影が見えだして、部屋の中に異臭が立ち込めるようになったと思ったら、寝ているところをタイ語で質問された、という感じのようです」聖もうっすら微笑みながらまとめた。
笑っちゃいけないんだけど、ちょっと笑える。タイの神様を日本に連れて行ったら、言葉が通じなくて使い物にならないとか、まるで日本のアニメの話みたい。ホンはたまらずクスクス笑い出した。でもかたわらのデーン伯父は硬い表情のままだった。
「で、その後どうなったんだ、その日本人は」
「はい。その後、部屋は掃除をしても掃除をしても悪臭が漂っているような気がするし、食べ物もあっという間に腐るし、Sさんはだんだん部屋に居るのが苦痛になり、食事も外食、寝る以外はほとんど外で過ごすようになっていたのですが、寝ていても毎晩、タイ語で囁かれて満足に寝られず、で、とうとうカプセルホテルに逃げ出したのです。あ、気分転換にキャンプも行ったみたいです。父のこと知ったのは、キャンプ仲間情報、って言ってましたから。それで1週間ほどアパートに帰らず、そろそろクマーン・トーンも諦めてタイに帰った頃かと思い、部屋に戻ってみると…」
「戻ってみると?」ホンとデーン伯父は話の先を促すように同時に聞き返した。
「まだ居たのです。しかも部屋は酷いことになっていました」
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