《もう一人》5


 その日の夕刻、神殿は“異端審問の取り下げ”を正式に発表した。

 聖女イレーナは職を解かれることなく、むしろその信仰の在り方が、新たに認められることとなった。


 そして、リィゼの名もまた、「赦された存在」として記録された。


 王都には、ゆるやかな春の風が吹いていた。

 それは、血を流さずして訪れた――小さな革命の風だった。


 イレーナとリィゼ。

 ふたりの異端が、手を取り合うことなくして並び立ったその日を、

 人々はやがて「祈りの再生」と呼ぶようになる。




 ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇




 ふたりは夜、再び白い睡蓮の池の前で出会う。


 水面には、昼に散った花びらがいくつも浮かび、風にさざめいていた。


「祈りとは、何かを求めることではなく――何かを、受け入れることなのかもしれませんね」


 イレーナの呟きに、リィゼはそっと目を伏せた。


「そうかもしれない。けれど、誰かを守りたいと願う心だけは……きっと、変わらない」


 春の風が吹き、池の水面がきらめいた。

 その光は柔らかく、ふたりの影をそっと重ねていく。


 その姿は、まるで――かつての断罪を超えて、

 新たな祈りの時代が始まることを告げているかのようだった。




 ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇




 白い睡蓮が咲く池の水面には、星々の影が淡く揺れている。


 風はなく、ただ静かだった。

 まるで時が、この一角だけを忘れて通り過ぎたかのように。


 純白の祭衣の裾を引きながら、イレーナは池の縁へと歩み寄り、ふと立ち止まる。


 そして、黒衣を纏った影が、音もなく彼女の隣に並んだ。

 鳥も眠る庭に、ふたりの気配だけが静かに交差する。


「祈りとは、何かを求めることではなく――何かを受け入れることなのかもしれませんね」


 再び呟かれたその言葉に、リィゼは静かに目を伏せる。


「そうかもしれない。けれど、誰かを守りたいと願う心だけは……きっと、変わらない」


 長い沈黙の後――


 リィゼが、囁くように言った。


「癒す者としてのあなたがいてくれて、私は壊す者として立てる」


 それは、誰にも届かぬほど小さな声だった。

 けれど、イレーナには確かに届いていた。


 彼女はそっと顔を上げ、夜空を見上げる。

 そして、柔らかく微笑んだ。


「あなたが壊す覚悟をしたから、私は癒す覚悟を続けられるのです」


 その語調に誇りはなく、ただ静かで、しなやかだった。


 ふたりは並んで、空を見上げる。

 春の夜空に星が瞬き、池の水面には、その光がきらめいている。


 白と黒、祈りと誓い――

 交わることのない道が、この一夜だけ、そっと触れ合った。


 この夜のあと、ふたりはそれぞれの場所へと帰っていく。

 リィゼは〈力〉を、イレーナは〈癒し〉を。

 それぞれが、違う戦場で、誰かを救うために。


 言葉は交わさずとも、誓いは確かにそこにあった。


 ふたりは「信じるもの」を共有した。

 それがどれほど儚くとも――星のように。

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