夢の猫ライフ?そんなのなかった!

裏伊助

猫ライフ!?

 

 ムツミは、会社の帰り道、ふらふらの足でコンビニに寄った。

 レジ横のホットスナックを見つめながら、ぼそっとつぶやく。


「私も……猫になりたいなぁ」


 ポケットの中でスマホの通知が震えてる。明日のシフト変更だとか、週報の催促だとか、いつものやつ。


 家に帰れば、唯一の癒し——ペットのシシマルが待ってる。でっかい身体にふわふわの毛並みのくせに、すぐ人の膝に乗りたがる甘えん坊だ。


 ムツミはシシマルを抱きしめ、ベッドにダイブした。

「シシマル…私もさ、猫になれたらなあ……」

 そのまま、泥のように眠りに落ちた。


 ——目が覚めたとき、何かが変だった。


 聞き慣れたアラームの音じゃない。カン、カン、と金属がぶつかる音。

 目をこすると、そこは暗くてジメジメした洞窟みたいな場所。


「やっと起きやがったか、ムツミ」


 背後から聞こえたのは、やけに低くてダミ声。

 振り向くと、そこには——


「……シシマル!? でかっ!!」


 シシマルが、ムツミよりもひと回りデカくなって、二本足で立っていた。

 その姿にのけぞったムツミの前に、さらに現れたのは、毛羽立った黒猫たち。剣を構え、ニヤついている。


「こいつ、案外カワイイ顔してんじゃねえか?」

「くくっ、久々の狩りの獲物だ」


 ムツミはわけがわからず、思わずツッコんだ。

「なにそのセリフ、現実世界で猫じゃなくてイケメン男子から聞きたかったよ!」


 黒猫たちはキョトンとしたが、すぐに剣を構え直す。

 シシマルがムツミに小刀を投げた。


「なあ、ムツミ、お前……猫だぞ?」


 ムツミは自分の手を見た。ふさふさの毛、肉球、しっぽ。

「え……えええ!?猫になってるー!!」


「喜んでる場合じゃねえ!来るぞ!」


 ——ドスッ!ズバッ!


 黒猫たちが一斉に襲いかかってきた。

 ムツミはパニックになりながら、小刀を振り回した。


「な、なんなのこれーー!」


 ※※※


(戦闘後。黒猫たちを退け、息を荒げるムツミ)


 シシマル:「ムツミ、落ち着け。こっからが本番だ」

 ムツミ:「はぁ、はぁ……え? いやいや、今ので終わりじゃないの!?」


 シシマル:「聞いたぜ、子猫たちが奴らに連れ去られたらしい」

 ムツミ:「はぁ!? 誘拐!? もうやだよぉ…」


 シシマルがぐっとムツミの肩を掴む。

「行くぞ、ムツミ。これが、この腐った猫社会を変えるチャンスだ!」


 ムツミは、うつむいたまま、か細くつぶやいた。


「……もう……夢も現実も、どっちも地獄だったのかい!!」


 ——その瞬間、ムツミの目にうっすらと闘志が灯る。

「……わかったよ、やってやろうじゃんっ……!」


 シシマルがニヤリと笑う。

「それでこそ、俺の相棒だ」


 ——二匹は、ダマネスの待つ城へ向け、駆け出した。




 ——ムツミとシシマルは、黒猫たちの根城「毛玉ノ城」にたどり着いた。


 天井の高い玉座の間、その中央で白銀の毛並みがギラリと光る。


 ラスボスらしい白猫がゆっくりと立ち上がる。

「フフ……よくぞ来たね、下等なノラども。我が猫面党びょうめんとうの牙城に」


 ムツミが剣を構えつつ、やや引き気味に睨む。

「猫面党……いや、名前センスどうなってるの!?」


 白猫がひときわ冷たく微笑んだ。

「この私が、猫面党の頭領——ダマネスだ」


 ——シン……と静寂。


 ムツミが眉をピクつかせ、ぽかんとした顔で一歩前へ出る。

「だまねす……玉無えっす? 去勢でもしたの?」



 ——ズガァン!!



 シシマルが低く、顔をしかめてうめく。

「……場がぶっ壊れるからやめろ」


 ダマネスのこめかみに青筋が浮かびピリクと跳ね上がる。

「フフフ……ククク……なるほど、貴様、さてはよほどの命知らずだな?」


 ムツミは小刀を構えつつ、まだ半信半疑の顔。

「いや、名前のインパクトが強すぎるのよ! それに去勢はやっぱり気になるの!」


「黙れッ!!」

 ダマネスが床を踏み鳴らすと、ドンッ!!と玉座の間が震えた。

「貴様らごとき、シルキーキャノンで消し飛ばしてくれる!」


 ムツミが一瞬ぽかんとする。

「シルキーキャノン!? なんなのそのフワフワとドカンの融合は!」


 シシマルが顔をしかめてムツミを押しのけた。

「もうツッコミはいい! 来るぞ、ムツミ!!」


 ——ゴオオオォォン!!


 次の瞬間、ダマネスがその毛並みを逆立て、口を大きく開く。

 眩い光が口の奥に溜まり——


「シルキーキャノン!!」


 ——バシュゥゥゥゥッ!!


 白銀のエネルギー波が一直線にムツミたちに向けて放たれた。

 シシマルがムツミを抱え、咄嗟に横へ跳ぶ。


「わわわわ!! ちょっと! 抱きかかえないで! でも助かった!」


 ——ズガァァァァン!!

 ビームが通った場所の床が、ツルツルの絹のように溶けていた。


 ムツミが目を見開く。

「え、床がシルクになってる!? どういう技なの!?」


 シシマルが歯を食いしばりながら小声で返す。

「……アレは、毛の潤い成分を圧縮して撃ち出す猫族の奥義……」


 ムツミがさらに叫ぶ。

「どんな奥義よ!? 美容に全振り!?」


 ダマネスがギラリとスカイブルーの目を光らせ、静かに舌なめずりした。

「フフフ……まだまだ終わらんよ。次は奥義——毛玉・終の舞……」


 ムツミがビクッとしながらも構える。

「あれは絶対ヤバいやつ!!」


 シシマルが低く唸った。

「……来るぞ、気を引き締めろ、ムツミ」


「うん、わかってる!」


 ダマネスが両前足を広げ、白銀の毛並みが逆巻く。

「フフフ……これで終わりだ。奥義——毛玉・終の舞!!」


 ——ゴゴゴゴ……!!


 その場の空気がねっとりと重くなる。天井から無数の毛が舞い、絡まり、巨大な毛玉となって渦を巻く。


 ムツミが顔を引きつらせた。

「これ、毛玉ってレベルじゃない!なんかちょっとした災害クラスだよ!!」


 シシマルが真剣な顔でムツミを振り返る。

「ムツミ、もう逃げ場はない……やるしかねぇ!」


 ムツミが震えながらも、小刀を握りしめた。

「やるって、どうやって!? 私、毛玉に勝つスキルなんて——」


 そのとき、ムツミの胸の中で、カッと熱いものが灯る。

 ふと、かつての夢の中——

 会社のデスクで、無理やり押し付けられた仕事を黙って引き受けていた記憶が蘇った。


 ムツミは歯を食いしばった。

「……もう、イヤ……! 黙って耐えるの、どっちの世界でもイヤなの!!」


 ——パァァァッ!!


 ムツミの体が淡く光り、小柄な体に鋭くしなやかなオーラが纏われる。

 背中の毛が逆立ち、しっぽがピンと張る。


 シシマルが目を見開く。

「こ、これは……猫族の——覚醒!?」


 ムツミは刀を振りかざし、叫ぶ。

「もう毛玉にも! ブラック企業にも! やられっぱなしなのはゴメンだよ!!」


 ——ズバァァァッ!!


 ムツミが一直線にダマネスへ駆け出す。

 巨大毛玉が迫る中、ムツミはギリギリのタイミングで毛の渦を斬り裂いた。


 ダマネスが驚愕の声を上げる。

「なにィ!? 貴様ごときが……毛玉・終の舞を……!!」


 ムツミは渾身の勢いで跳び上がり、ダマネスに飛びかかる。

「終わるのはそっちだよ!」


 ——ガシュゥゥゥン!!


 一閃。ダマネスの胸に直撃した。

 白銀の毛がハラリと舞い、ダマネスはよろめき、崩れ落ちた。


「……ぐっ、まさか……私が、こんな、負け方を……」

 スカイブルーの瞳が虚ろになりながら、ダマネスは苦笑した。


「……やはり……去勢したのが、まずかったか……」


 ムツミが思わず叫ぶ。

「やっぱり去勢してたの!?」


 ——ドサァ……


 ダマネスはそのまま静かに倒れ、玉座の間に静寂が訪れた。


 ムツミの視界が、ぼやけていく。

 身体はふわふわして、力が入らない。

 ラスボス・ダマネスとの死闘の余韻が、まだ身体の奥に残っている気がした。


「……あれ? なんか……眠く……なっちゃ……」


 ゆっくりと、まぶたが閉じていく——






 ——ピピピピ!


 けたたましい電子音が、ムツミの耳をつんざいた。


「……う、うるさいなあ……」


 ぼやけた目をこすり、ムツミは起き上がる。

 そこは、猫の洞窟でも闘技場でもない。

 見慣れた、ワンルームの自分の部屋だった。


「……夢、だったの……?」


 アラームが鳴り続けるスマホを手に取る。時刻は7時半。

 寝汗でべたべたのシャツが、妙にリアルだ。

 身体の節々が、筋肉痛みたいに痛い。


「でも……なんか、この疲労感……リアルなの……!?」


 混乱するムツミの横で、布団がモソモソと動いた。

 ——ペットのシシマルだ。

 丸々とした、いつものノルウェージャン。

 さっきまで夢の中で二足歩行して戦ってたあのシシマルと、どこか重なる。


 シシマルは、ムツミの膝に乗ってきた。


「……夢も現実も、どっちも辛かったの!? もういやーっ!」


 ムツミが泣きそうに叫ぶと、シシマルは低いダミ声で「にゃー」と一声鳴いて、ムツミの頬をペチッと叩いた。


 そのツッコミじみた肉球に、ムツミはしばし呆然。

 でも——ふっと、笑った。


「……もう、シシマルったら……」


 アラームを止める。

 布団をはいで、のそりと立ち上がる。


 朝は今日も、やってくる。

 戦いの舞台が、猫世界から——オフィスに変わるだけで。


 ムツミは、大きく伸びをしてつぶやいた。


「はぁ……せめて、今日のランチはカツ丼にしようかな……」


 シシマルは、そんなムツミをじっと見つめると、脛に頭突きをしてきた。


「いてっ、今度は本気でツッコんだでしょ!?」


 ムツミが笑いながらシシマルを抱き上げた時、窓の外から朝日が差し込んだ。

 新しい一日が始まる。

 たとえそれが、どんな戦場でも——



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