【オオカミと拳銃】

笹森岬

Prologue



 夜の鬱蒼とした山道を、自転車のペダルを踏んで必死にのぼる。


額に浮かんだ汗が目に入り、涙に混じって地面に落ちた。目元を拭おうと思ったけど早く家に帰りたくて、高校から使ってる錆びた自転車で険しい山道を進んだ。



 不思議だ。

 いつも聞こえる鈴虫の鳴き声が聞こえてこない。






『春吉(はるよし)の家、山のほうだったよな? 一瞬、白く光らなかった?』



 今年の春から地元の教育学科のある大学に通いはじめて、今日は友人と図書館で課題をしていた。閉館時間ギリギリ――窓の外を見た友達が山の状況を教えてくれたのは一時間前だ。



 白い光の正体はわからないが胸騒ぎを覚えた。

それから春吉はずっと自転車を漕ぎ続けている。



 そして、見慣れた場所にたどり着くなり自転車を放り捨てて呆然と立ち尽くした。



 十九年間暮らしてきた家が“白い炎”に轟轟と包まれている。



 あまりに不思議な光景で事情をすぐに飲み込めなかった。でも白い炎は耐え難い熱さを持って、数メートル離れた春吉の皮膚をチリチリと焼いてくる。



黒煙は出てないが強烈な煤の匂いがして掌で鼻を覆う。まさか図書館の窓から見えた白い光が炎だとは、夢にも思わなかった。



 ……大丈夫だ。

 春吉は自分に言い聞かせた。



 大丈夫だ。父さんと母さんは結婚記念日を祝うために町のレストランに出かけて留守のはずだ。なぜか車庫に車があるけど、家の中にいるはずなんてない。


 姉の光莉(ひかり)だって今日の夜は外出すると今朝リビングで……。



「光莉!」



 白い猛火に焼かれ続ける家の屋根の上に、なぜか春吉の姉である光莉がいた。


 フードを目深に被った“誰か”に背後から首を締められて、苦しげにもがいている。



「誰だお前、光莉から離れろ!」



 春吉は悲鳴をあげて家に近づいた。でも家の中は白炎に蹂躙されて近寄ることもできない。昨日の夜、家族四人で使ったバーベキューセットが炎に包まれて庭に転がっている。父親がホームセンターで衝動買いした、結構いい値段がするやつだ。まだ家族で一回しか使ってないのに。



 そのとき春吉は、屋根の上の光莉と目が合った。



 双子で生まれた春吉と光莉は『お互いの考えてることが声に出さなくてもわかる』なんてスピリチュアルな出来事は、十九年間一度もなかった。



 なのに今初めて、視線を交わすだけで光莉の訴えてることがよくわかった。



 春吉は裏手の物置小屋へ、脱兎のごとく駆け出した。南京錠を外してつんのめるようにして物置小屋に入る。使わなくなった家具やガーデニング用品、スキーや釣具から、こまごまとした邪魔な雑貨を足で蹴飛ばした。積まれているプラスチック箱を跨いで一番奥の棚に走る。



 物が乱暴に押し込まれてる三段目、白鳥のイラストが描かれた平たいクッキー缶の蓋を開けると、拳銃が一丁息を潜めて横たわっていた。デトニクス社のコンバットマスターだ。メインじゃなくサブで持たれることの多い銃で、九ミリ弾を好む姉は嫌うが、コンパクトでグリップが指に吸い付くようになじむので春吉は気に入っていた。


 同じく、缶の中に入っていたマガジンをフル装填してスライドを引く。物騒なジャキチャカ音が物置内に響いた。トリガーに人差し指をかけるのは十六才の夏以来だから三年ぶりだ。



 拳銃は氷のように冷たくて硬い。


 動物のあたたかな毛に顔を埋めたい衝動がふいに湧いた。祖母の家で昔飼ってた老犬や、大学に住み着いてる太った猫、友達の家で飼っているハムスターに頬ずりして安心したい。



 深呼吸して現実世界に戻る。姿勢を低く保ち、銃を構えながら物置小屋を出て、白炎に侵食されている家に近づいていく。


 屋根の上にいる光莉は“誰か”への抵抗を続けながらも、なんとか相手の気を逸らそうと話しかけていた。姉が自分のために隙を作ってくれてるんだとわかって泣きそうになる。



 春吉は頭の中で、幅の広いリボンが自分の心臓をゆるやかに締め上げていく光景をイメージしながら、呼吸回数を徐々に落とした。自分の気配を闇夜に紛れさせて、照準を見知らぬ“誰か”に定める。



『いい射撃手や狙撃手は心臓と呼吸の音を消して挑むんだよ、春吉』


七歳で実銃を初めて持ったとき、父親が教えてくれたコツをイメージする。光莉がこちらをを見ないままハンドサインでGOを出した。『春吉、撃って』の合図。


 春吉は家族を救うために冷たい引き金を絞った。 









 その日、三名の死者が出た。

 燃えた遺体全てからは心臓が抜き取られていた。

 心臓は、どこを探しても見当たらなかった。

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