〈王国の隠れ魔女〉〜ワケあり魔女ですが、森の住処でお茶菓子を焼いたり、クリスタルの力で薬を作ったり。〜引きこもり魔女の、のんびりときどき波乱(?)な日常生活。

ことは りこ

黄昏森の木漏れび館〈1〉



 ラヴァルス王国の西。


『陽が沈む西の最果て』とも言われる場所にある〈黄昏森たそがれもり〉。


 広大な森は大昔から魔物たちが棲む世界と繋がっているという伝説がある危険地帯なので誰も近寄らない。


 そして森には暗闇に溶けるような黒髪と不気味な紅紫色の瞳を光らせる恐ろしい〈魔女〉が住んでいるとか、いないとか。


 踏み入ったら最後、魔物の餌食になるとか、魔女に呪われてしまうとか。


 森にはそういった噂が多く、〈黄昏森〉はラヴァルス王国の民にとって禁忌の場所として伝えられていた。


 けれど実際は、引きこもりでワケあり体質の魔女が一人、暮らしているのだが。


 多くの民が昔から、魔女は災いの象徴として嫌っているため、その存在は王国の宮廷内で限られた一部の者たちだけが知る機密事項となっている。


 知る人ぞ知る『王国の隠れ魔女』。


 そんな魔女の住処は、天気のよい日には森の中でも比較的、陽の当たる場所にあり、魔女の顔見知りからは『木漏れびやかた』と呼ばれていた。



 ***


 その日、魔女のリハル・メイシズが住む〈黄昏森〉の『木漏れび館』へ最初に現れたお客は、青苔谷に棲むヤムルだった。


「おはよう、ヤムルさん。久しぶりだね」


「ああ、久しぶりじゃの」


 ヤムルは祖母の代からの馴染み客だ。


 館へはいつも人間の老人姿に化けて来るのだが、ヤムルの本当の姿は白大蛇だった。

 いつも月に一、二度は顔を出すが、冬の間だけは長期で巣穴に籠もるので、顔を見るのは去年の十一月以来、およそ五ヶ月振りだった。


「いつものやつはあるかい?」


 木漏れび館の玄関扉に向かって右横の壁には出窓があり、そこから顔を覗かせて聞いてくるヤムルに、リハルは笑顔を向けた。



「ええ、用意してあるわよ。春の風が吹き始めたから、きっとヤムルさんがそろそろ顔を出すと思ってね」


 いつものやつ、というのはリハルが庭の菜園で育て、製法したミントティーの茶葉だ。


「久しぶりに来たから、お茶菓子でも買っていくよ。今日は何があるんだい?」



 ヤムルは出窓に設置された、小さな木製のショーケースを覗き込んだ。



「ローズマリーのパウンドケーキと、野いちごジャムのクッキーよ」



 パウンドケーキは一切れずつ包んだものと、野いちごジャムのクッキーは、小袋に三枚ずつ入れたものが、可愛らしい包装で並べられてあった。



「ふむ。ではローズマリーのパウンドケーキを二切れもらおうか」



「ありがとう。じゃあ、いつもの茶葉と一緒に用意するから、日当たりのいいテラス席で座ってて」


「いんや。わしは木陰で待つよ」


 ヤムルは深い苔色の眼を細めながら言った。


「暖かくなってきたことはありがたいが。日差しにまだ目が慣れなくてなぁ。年寄りに〈春明かり〉は眩しすぎて、目が疲れてしまうのが最近の悩みじゃ」


 ヤムルの話にふんふんと相槌を打ち、リハルは言った。


「そうなのね。わかったわ、木陰で休んでいて」


 リハルは出窓からくるりと向きを変え、館の廊下を進み、白い扉を開けた。


 ここは菓子や薬を作る部屋だ。

 広めの室内には竈があり、調理器具や材料などが置いてある。


 今は亡き育ての親でもあり、祖母でもあり、師でもあった魔女、ミランダ・メイシズの代までは、宮廷からの依頼で薬や小間物品、魔除けの護符しか作っていなかったが、孫のリハルは趣味を活かして二年ほど前から館で『お茶菓子』を作り売るようになった。


 けれどこれはあくまでも趣味の延長だ。二十五歳の独身おひとり様生活なので、菓子など大量に作っても余ってしまう。それに魔女の仕事はほかにもいろいろある。


 ときどきは注文が入ることもあるが、菓子作りは無理のない範囲で楽しみながら週末にだけ作って販売すると決めていた。


 ***


 リハルはヤムルに渡す〈ミントティー茶葉〉を用意し、後ろにある白い棚から苺ジャムの入った瓶を作業台へ下ろした。


 次に作業台から離れたところにある扉付きの焦茶色の棚の前へ移動する。


 年季の入った棚はリハルの肩ほどの高さで、扉に手をかけて開けると、ギキィという音がした。


 五段ある棚はどれも奥行きがあり、中はとても暗い。


 リハルは上から順に顔を突っ込むように覗き込んで中を見る。そしてあれこれ考えながら選んでいく。


「これと……これが使えそうね」


 硝子の小瓶を二瓶、五段目の棚と一番下の棚から取り出し扉を閉めると、リハルは作業台へ向かった。


 瓶は二つとも青や水色の光を放っている。


 揃えたもので作業を始め、温めたり冷やしたり、呪文を唱えながら混ぜ合わせたりを繰り返す間、時折り窓から遠くに見える庭へ視線を向け、手を休める。


 館の庭にはテラス席と呼んでいる空色の丸テーブルが一台と、二脚の白い椅子がある。

 真昼でも薄暗い黄昏森の中で、天気が良い日はリハルが暮らす館の周辺だけは比較的、日当たりが良くなる。


 館を呼ぶその名の通り『木漏れび』程度の日差しではあるが。


 風に揺らめく木々の葉と、そこから零れるように降る日差しの美しさは、鬱蒼とした森の空気を清浄化してくれる。


 テラス席は予約制で、利用するお客にはサービスでお茶を提供している。

 年に数回程度の需要だが、椅子やテーブルを増やすつもりはない。


 お茶菓子の種類も数も定めないやり方だ。


 気まぐれ気分の自由営業。


 菓子も半日で売り切れるときもあれば、夕方まで売れ残るときもあるし、まったくお客が来ない日もある。


 そしてテラス席の利用者も、菓子を買いに来る者も、注文客も『人外』ばかりだけれど。


 でもそれでもいいのだとリハルは思っていて、このやり方を変えるつもりはなかった。


 のんびりと自分のペースで暮らすことも幸せに繋がるからと、いつもリハルに言ってくれた祖母ミランダの影響もある。


 三年前にこの世を去った魔女ミランダは、わりと社交的な性格だったので、内心は引きこもりがちな孫のことが心配だったはずだ。


 けれどミランダはいつも〈そのままのリハル〉を認めてくれた。無理をしない生き方でいいのだと言ってくれた。


〈魔女〉である自分自身を好きでいるためにも。

  

 祖母が亡くなりひとりになって、寂しくないと言えば嘘になるが。


〈人〉との付き合いは苦手だった。


 人間社会を学ぶため一定の期間、素性を隠し学舎に通うため寮に入り、王都で暮らしたこともあったが。

 馴染めずに、良い思い出もなかった。


 そんな過去もあり、ひとりでのんびりマイペースに過ごす日常が、自分にとってはとても大切なことだと気付いた。


 だから引きこもり生活も、開き直って楽しむ方がいい。


 その日、気まぐれ気分で作ったお菓子でも、誰かが喜んでくれたら、それでいい。


 たとえそれが人外でも。

 怪物と呼ばれる〈魔に属する生き物〉でも。

 

 魔女に白と黒があるように、たとえ魔力を持つ怪物であっても、善意を持ち、守護神として崇められる生物魔物もいる。

 白大蛇のヤムルはそんな部類に入る。

 そしてリハルも、呪いの魔術を扱う黒魔女ではなく、癒しや善行となる魔術を扱う白魔女一族の出生だった。


 白魔女一族で名高い〈メイシズ家〉は『特殊な血筋』があり、隔世遺伝で魔力を持つ女性魔女が生まれる。


 メイシズ家の祖先には、魔女は勿論、エルフにドワーフといった種族も混ざっているため『混血の魔女』という呼び方もされている。


 黒髪に紅紫の瞳、そして『混血メイシズ家の魔女』には実年齢と見た目に差がありすぎるという特徴がある。


 それは十四、五歳の頃から発育が止まり、実年齢が三十代に入る頃から止まっていた成長時間が再びゆっくりと動き出すという稀有な体質のせいだった。


 現在二十五歳のリハルも、外見は十五歳ほどの少女にしか見えない。

 若い外見は嫌いではないが、年相応のお洒落もしたい。

 そして〈魔女の仕事〉のため、どうしても森の外へ出るときがあるのだが、そんなとき自由に酒が飲めないことが何より不満だった。

 

 ラヴァルス王国では『お酒は二十歳を過ぎてから』という決まりがある。


 リハルは変装術があまり得意ではないので、森の外でもそのままの姿で行動することが多い。そのためいつも『見た目』でしか判断されない。

 人間社会では、たとえ推定年齢でもリハルのような『見た目十五歳』な容姿が酒場に入ることなど世間は許さないのだ。


『引きこもり生活』なので、森では人目を気にすることなく館で晩酌もできるけれど。

 早く周りの目を気にすることなく自由に酒が飲みたいという思いは強い。


 老いが遅い分、寿命は普通の人間に比べたら、きっととても長いのだろうかと思うが、『そこそこ長寿』と言うくらいの微妙な範囲だ。

 祖母のミランダも、亡くなったときの年齢は百十八歳だったが、見た目はとても若かった。


 そんな特殊で不思議で稀有なメイシズ家の魔女は、代々『黄昏森』を住処としていた。



 ***


「うん。よく混ざったみたいね」


 小鉢の中身を見つめながらリハルは呟いた。


 ここからが仕上げだ。


 この作業は素材配分や魔力量の加減に気を使うため、集中力を要する。


 落ち着いて、冷静に。少しずつ………。


 ───作業は慌てず、心にゆとりを持たせるんだよ。


 祖母の言葉と声を思い出しながら。


 もう一度、手を休めて心を落ち着かせる。


 そうして、ゆったりとした気持ちが戻ったところで、リハルは作業の仕上げをはじめた。



 ***


「お待たせ!」


 リハルは館の外に出ると、木陰で待っていたヤムルに手提げ袋を渡した。


「んん?何やら見かけないモノが入ってるじゃないか?」


 ヤムルが袋を覗き込んで言った。


 いつもの茶葉とローズマリーのパウンドケーキが二切れ。それから……。


「こりゃなんだい?」


 ヤムルは袋の中から硝子瓶を取り出し眺めた。


「野いちごジャムよ。でも普通のジャムではないわ。ヤムルさんの眼の不調に効くように処方してみたジャムなの」


「ほう。苺のジャムにしては不思議な色合いじゃのう」


 ヤムルの言う通り、瓶の中身は薄紅色かと思えば淡い紫や青色に見えたり、変化しながら煌めくという不思議な色彩を放っていた。


「晶石を使ったのよ。アクアマリンとラピスラズリの力を加えたの。二つとも目の不調を改善する効能があるのよ。処方の代金はいらないから試してみて。味は変わらないから、そのままパンに塗ってもいいし、ストロベリーミントティーにしても美味しいわよ」


 視力に効く力を秘めた鉱石は、ほかにもいくつかあるが。


 野いちごジャムとよく溶け合い、相性の良い天然の晶石クリスタルが、この二つだったのだ。


「ほぅ、クリスタルの力が入ってるから、こんな色合いなわけか」


 ヤムルが感心したように言った。


 リハルは菓子以外に薬も作るが、薬作りの材料には必ず晶石鉱石を使用している。


 薬草も多少は使うが、主原料は様々な晶石クリスタルだ。


〈メイシズ家の魔女〉は、クリスタルの秘めた力を扱い、薬を作ることが得意だったので、『薬草師』ならぬ『薬晶師の魔女』と呼ばれてもいた。


 薬晶は館に来る馴染客以外にも、宮廷の『薬剤司室』から依頼を受けて作ることもある。


 菓子の注文を受けるときも、希望があったり体調不良の相談があれば、クリスタルの薬晶成分を加えて作ることもあった。



「ストロベリーミントティーか、そりゃぁいい。試してみるよ。こっちも茶葉の代金はいつものやつになるが、いいかい?」


「ええ、もちろん」


 ヤムルは上着の内ポケットから取り出したものをリハルに渡した。


 それは親指の爪ほどの大きさがある晶石が一粒。


 一見、透明色な部分の多い水晶だが、よく見ると緑系色の濃淡があり、金色の斑点と気泡もある。


 色合いが苔瑪瑙モスアゲートという鉱石に似ているが、これは別物だ。


 青苔谷にある洞窟を流れる地下河川でしか採れない。


 祖母は葉雫石ハシズクセキと呼んでいた。


 ヤムルの支払いは硬貨ではなくいつも〈葉雫石〉なのだ。


 葉雫石は不思議な晶石で、春と秋では採れる色が違う。


 春は水に溶けた緑葉のような萌黄色や、明暗のある深緑色が特徴で、そこに浮かぶ金の斑点は日差しを受けて煌めく苔を思わせるような色彩になる。


 けれど秋に採れる葉雫石は紅葉のような濃淡となり、金色の斑点は消えるが、代わりに銀色の斑点が粉雪のように浮かぶ。


「とっても綺麗。春のハシズクセキが採れる季節になったのね」



 珍しい晶石クリスタルは、そこに宿る力も珍しく貴重なものが多いので、薬はもちろん、護符や小間物品作りなどにも、とても役立つ。



「ああ。雪解け水が流れるようになると石も色を変えるからのぅ。去年の秋に採れた紅い葉雫石もまだ残っているから、必要なら言ってくれ」



「ええ、そのときはまたお願いするね」



 リハルの返事にヤムルは頷き「ほいじゃぁな」と言って、帰って行った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る