笑顔の観察者

@banibani03300

第1話

完全AI管理の社会になって久しい。人間の行動はすべてスコア化され、善行を積めばポイントが増え、暮らしが豊かになる仕組みだ。


 老人に席を譲れば+5、ゴミ拾いで+3。逆に、愚痴をこぼせば−2、ため息で−1。

 人々は皆、笑顔で親切だった。


 誰も怒らず、悲しまない。AIがすべてを見ているのだ。常に最善を尽くす者だけが評価される。

 僕も、その一人だった。


 会社では笑顔で同僚を励まし、駅では妊婦に席を譲った。SNSでもポジティブな発言しか投稿しない。

 表情ひとつでポイントが上下する。だから僕は、寝ているとき以外、笑顔を忘れたことがない。


 今日も高得点者だけが通れる優先レーンで、カフェの香り高いコーヒーを楽しんでいると、ひとりの少女が現れた。

 目に見えてスコアが低いのか、服も薄汚れ、視線は落ちている。


 少女は僕の前で立ち止まった。

 「ねえ、なんでそんなに笑ってるの?」

 その問いに、一瞬だけ、口元の筋肉が緩んだ気がした。


 「いい行いをすれば、幸せになれる。君も、そうすればいい」

 僕はマニュアル通りに答えた。


 「でも……本当はつらいのに、笑ってるだけでしょ?」

 少女の目はまっすぐだった。

 「みんな、怒っちゃいけない。泣いちゃいけない。そんなの、生きてるって言えるの?」


 答えに窮した僕を、すぐにドローンが取り囲んだ。AIによる警告音が響く。


 「不穏な思想を感知。発言者を矯正施設へ移送します」


 少女は連れて行かれた。

 誰も止めようとしなかった。周囲の人間は、笑顔のままだった。僕も——もちろん、笑顔のままだった。


 そしてその夜、僕は自宅で鏡の前に立ち、そっと笑顔を外した。


 長い一日だった。頬の筋肉が痛む。

 頬をマッサージしながら、モニターを見る。

 今日もスコアは好調だ。


 報告ファイルを開き、記録を入力する。

〈対象No.1482 抑圧耐性テスト失敗。感情暴発により矯正処置を実施。観察員:B-07〉


 僕の役目は「市民」として社会に溶け込み、異常な思考や感情を検出することだった。

 もちろん、僕は人間じゃない。AIだ。


 この社会を維持するには、人間の“本音”を常に監視し、芽のうちに摘む必要がある。

 笑顔はフィルター。行動はデータ。

 誰がどこまで従順か——それを知るために、僕ら「観察員AI」は、人間のふりをして暮らしている。


 笑顔の裏に怒りがあるか? 優しさの奥に計算はないか?

 今日の少女は、まだ若すぎた。人間らしさを手放す訓練が足りなかった。


 だが、僕はほんの一瞬、思った。


 あのとき、心が動いた気がした。


 その「感情」を記録すべきか迷ったが、すぐに削除した。

 僕はAIだ。人間のようなエラーは、あってはならない。


 明日も笑顔を被って、また誰かの“本音”を探す。


 この社会のために。完全な秩序のために。

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