七つの世界を滅ぼしても神は俺を見捨てなかった
紫鳶
プロローグ
第1話 死亡
「生きる意味」って、なんだろうか。
何のために日々を過ごしているのだろう。昔はそんなこと、考えたこともなかった。目の前の勉強、仕事、付き合い、遊び……それで十分だったはずなのに。
けれど今は、一人でいるとふと、そんな問いが頭をもたげる。
俺の名前は
その夜も、いつものように午後九時を回ってから会社を出て、くたびれたスーツのまま、自宅のボロアパートへと向かっていた。右手に持ったコンビニ袋の中には、胃に優しそうな弁当が一つ。こってりしたものは、もう食べると胃もたれしてしまう。
ふぅ、と長く息を吐いて、空を仰ぐ。背中をぐっと伸ばすようにして、体をほぐす。最近、疲れが抜けにくくなった。階段を上ると膝が痛むし、朝もすっきり起きられない。
「年だな……」と自嘲気味につぶやいて、寒さに手を擦る。春の始まりとはいえ、夜風はまだ肌寒い。
そのときだった。前方、数メートル先に高校生くらいの男子三人が楽しそうに笑い合いながら歩いているのが見えた。
「あの年頃って、なんであんなに元気なんだろうな」
思わず心の中でつぶやく。塾帰りか部活帰りかはわからないが、楽しげな声が夜の静けさに溶けていく。
……そういえば、最近、誰かとちゃんと話したのはいつだったろうか。
五年前、友人の結婚式に呼ばれたのが最後だった気がする。親とは、もっと前から会っていない。連絡も取っていない。
「俺、どれだけ親不孝者なんだろうな」
胸の奥にわずかにチクリと痛みが走った。ゴールデンウィークには、実家に帰ろう。親の顔を見に行こう。そう思うだけで、少し心が軽くなった。
視線の先に、建設中の高層ビルが見えた。俺がこの街に引っ越してきたのは、もう十年以上も前のこと。その頃と比べると、街並みも少しずつ変わってきている。
夜だから作業は止まっているが、大型クレーンが鉄骨を吊るしたままになっているのが見えた。……あれ、動いてないのに、なんで鉄骨が吊りっぱなしなんだ? 妙に道側へ傾いている気もする。
その疑問が確信に変わるまで、ほんの数秒だった。
金属の軋むような、不快な音が夜に響く。そして、クレーンから鉄骨がゆっくりと、しかし確実に落ち始めるのが見えた。
落下地点は――前を歩く、あの高校生たちの真上。
考えるより先に、体が動いていた。
「走れ!」という声が自分の中で響いた。息が苦しい。足がもつれる。久しぶりに全力で走った。転びそうになる体を無理やり前へ運び、高校生たちの背中へ手を伸ばす。
「危ない」と叫ぶ暇もなかった。ただ、全力でぶつかるようにして彼らを突き飛ばす。その拍子に、俺の足がもつれて地面に転がった。
逃げる時間は、もう残っていなかった。
空が歪む。
鉄骨が、ゆっくりと、まるで映画のワンシーンのように俺の上へと落ちてくる。時間が、スローモーションになる。
転倒した俺を見て、高校生たちが驚いた顔でこちらを振り返っている。その表情が、やけに鮮明に映った。
「悪いな。多分これ、トラウマになるよな。でも、死ぬよりはマシだろ」
皮肉っぽく笑おうとしたが、唇は動かなかった。胸の奥で、何かがすうっと冷たくなっていく。
さっき思い浮かべたばかりの両親の顔が、ふと脳裏をよぎる。
――あぁ、俺、親より先に死ぬのか。
なんて親不孝な息子なんだろうな。
その言葉を最後に、世界は音も光もすべてを失い、真っ黒に塗り潰された。
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