第5話 やよいの過去

 実際に、

「本を出したい」

 という人がいる間は、

「自転車操業でもなんとかなる」

 というものであるが、

「本を出したい」

 と思う人が、ただのブームということであれば、

「永遠にできる仕事ではない」

 ということは分かり切っていることだろう。

 店舗経営というのは

「ブームに乗って店を開くところが多い」

 ということで、そうなると、問題は、

「辞め時」

 ということになるだろう。

 たとえば、

「たい焼きブーム」

 というものがあったとして、当然のように、街には、

「たい焼き屋」

 というものが増えてくる。

 これは、

「たい焼き屋というものが増えてきたからブームになったわけで、ブームになったから店がないとブームというのはなくなってしまう」

 であろう。

「タマゴが先か、ニワトリが先か?」

 ということであるが、あくまでも、

「ブームに乗っかって店を出せば儲かる」

 ということから、皆店を開店するのであろうが、当然頭の中には、

「いつまでこのブームが続くのか?」

 ということである。

 となると、

「引き際が肝心」

 ということで、

「どこまで引っ張ればいいか?」

 ということになる。

 だから、ブームが去りそうな時を見越して、

「次に何がブームとなるか」

 ということを見越して、

「いち早く、乗り換える」

 ということになるであろう。

 それが、できないのであれば、

「ブームに乗っかった商売」

 というものはできず、

「地味にコツコツ、ブームや景気にあまり左右されないが、爆発的な儲けもない」

 そんな商売に精を出すということを考えればいいのだ。

 これは、

「物事は始めるよりも、どこで終止符を引くかという、引き際が肝心だ」

 ということになるであろう。

 これは、

「戦争などでも言われることであり、それこそが、かつての、大東亜戦争というものにおいても言えることではないだろうか」

 というのは、

「連合国である、勝者の国から押し付けられた民主主義」

 というものに洗脳されてしまったことで、なかなか事実として浮かんでこないことであるが、戦後生まれの人たちの受けてきた教育としては、

「日本という国は、大陸に進出することで、欧米列強から、侵略国呼ばわりされ、その制裁のために、経済制裁を受けたことから、無謀な戦争に突入した」

 というような教育を受けてきた。

 だから、

「大日本帝国は、侵略国なんだ」

 と言われ、

「侵略は悪いことであり、相手の自由や主権を奪う」

 ということで、

「悪いことだ」

 と教わったと思うが、歴史を正しく認識していれば、

「そもそも、アジアを侵略したのは、欧米列強ではないか?」

 ということである。

 幸いにも、日本は、欧米列強から、

「植民地」

 ということで侵略を受けなかったが、他の国は、

「宣教師を諜報員として送り込み、相手国内に混乱を巻き起こし、そこで、自国軍を鎮圧に向かわせることで、混乱に乗じて、植民地化する」

 ということを繰り返してきたではないか。

 アジアの国のほとんどは、

「第二次大戦後に、独立戦争を起こし、欧米列強からことごとく独立した」

 ということであったが、実際には、日本が欧米列強に宣戦布告をしたという。

 いわゆる、

「無謀な戦争」

 というのは、

「東アジア諸国を、欧米の植民地支配から解放し、アジアに、アジア特有の共栄のための秩序を建設する」

 ということから、

「大東亜戦争」

 と、閣議で決まったのだ。

 実に立派な、戦争大義といえるのではないだろうか?

 それを、

「教宮東国際軍事裁判」

 において、

「本来であれば、国家の責任を個人に押し付ける」

 ということをすることで、戦勝国にとっては、

「勝者の裁判」

 としなければいけないものを、戦争の大義を、

「大東亜共栄圏にもっていくことは許されない」

 ということだったのだろう。

 もっとも、この、

「政府の責任を個人に押し付ける」

 というやり方は、

「第一次世界大戦の戦後処理」

 というものの失敗からきているのだろう。

 そもそも、第一次世界大戦終了後、20年ほどで起こった世界大戦。その原因となるものはいくつか考えられるが、一番の問題は、

「ベルサイユ体制」

 というものに問題があったということであろう。

 これは、

「戦勝国である連合国が、敗戦国であるドイツに対して、むごいともいえる賠償を課したり、二度と戦争を起こさせないようにということで行われた、植民地の没収であったり、国土の分割などが、ドイツという国を追い詰め。結局、ナチスの台頭という強力な政府の出現を招くことで、独裁国家をつくることになった」

 と考えるからであろう。

 だから連合国は、

「国家に賠償をかけると、国民全員が被害を被る」

 ということで、責任を、当時の国家元首に押し付けることで、

「国家体制を維持し、再度の戦争を起こさせない」

 という方向にもっていこうということにしたのだろう。

 ただ、元々の世界大戦を引き起こしたのは、民族主義という問題からだったわけで、ナチスドイツの、

「ホロコースト」

 であったり、

「ジェノサイド」

 と言われるような問題は、そもそも、

「第一次世界大戦」

 のきっかけとなった、

「多国籍国家」

 などの問題から、

「単一民族の国家」

 というのが一番正しいという考えと、

「弱い政府は罪悪」

 ということから、

「独裁でもいいので、強い政府を望む」

 ということになったのだろう。

 そんな第二次大戦であったが、日本の場合は、

「無謀な戦争」

 というものに、連合国によって引きずりこまれたわけであるが、それも、

「資源の乏しい」

 と言われる日本に対して。

「石油の全面的な輸出制限」

 ということをしたのだから、日本とすれば、方法は二つしかない。

「従来の、外交による交渉」

 を続けるか、

「戦争の準備をするか?」

 ということであるが、

「さすがに日本への石油輸出の全面禁止」

 ということになると、我慢にも限界がある。

 それでも、日本は、

「外交と戦争」

 の両面から、何とか戦争回避を模索していたが、

「ハルノート」

 と呼ばれる、

「最後通牒」

 というものを突き付けられることで、結局戦争は不可避になった。

 その時、

「机上演習」

 でも、

「日本には、万に一つの勝ち目もない」

 ということになったらしいのだが、そこで考えられた方法として、

「日露戦争の再現」

 といってもいい作戦であった。

 日露戦争というのも、

「弱小明治日本」

 と言われた、

「アジアの小国」

 が、世界有数の大国であるロシアと、戦争をするということになったわけで、

「日英同盟」

 であったり、

「傷だらけではあったが、何とか当初の計画通りに、陸軍の攻勢、さらには、ロシアバルチック艦隊の撃破」

 ということから、

「時ここに至れり」

 ということで、

「決定的な勝利の後で、講和に持ち込むことで、何とか、勝利をもぎ取り、最良の条件で和睦をする」

 というのが、日本の作戦だったのだ。

 実際に、満州において、これ以上敵を追うだけの兵力を維持していない国としては、本当にここが潮時だったということである。

 だから、連合艦隊司令長官である山本五十六が言った言葉として、

「戦争を、もしやれといわれれば、半年や一年は存分に暴れるということはできるであろうか、それが、二年、三年ということになれば、まったく保障はできません」

 と言ったというが、まさにその通りだった。

 実際に、戦争が始まって半年くらいから、戦局は傾いていき、一年も経てば、決定的な敗戦を、迎えたことで、防戦一方になったのだった。

 それが、

「真珠湾における。空母や燃料タンクをそのままにして、二次攻撃を行わなかった」

 ということを失態と見る考え方であったり、

「ミッドウェイ海戦における、爆弾と魚雷との兵装転換のまずさ。そして、適作作戦の甘さ」

 などという失態を繰り返すことで、どんどん追い詰められることになる。

 元々、もっと早く、

「連戦戦勝」

 という時期、

 特に、

「インドネシアの油田を手に入れた」

 という時点で、それ以上の宣戦拡大作戦さえしなければ、かなり戦況は違っていただろう。

 だから、日本は当初の計画にあった、

「連戦連勝を続け、決定的な勝利を得たところで、講和を申し入れる」

 という状況を見逃してしまったのである。

「勝ちすぎた」

 とも言われるが、実際には、

「辞めるわけにはいかない」

 という状態であったというのも、しょうがないところだったのだろう。

 特に、

「勝った勝った」

 と、マスゴミが騒いだことにより、世論は、

「どうして連戦連勝のこの時に、戦争を辞めなければいけないのか?」

 ということになる。

 しかも、問題は、

「戦争の大義」

 ということである。

「日本が中心になって、欧米列強からアジアを解放し、そこに大東亜共栄圏を建設する」

 という大義名分があることで、国民は戦争を始めた国家や軍を指示することになったのだといえるだろう。

 だから、

「ここで辞めてしまうと、ただの侵略になってしまう」

 ということで、政府も軍も、辞めるわけにはいかないのだ。

 しかも、陸軍などは、

「士気に影響する」

 ということもあり、講和には、絶対に反対であろう。

 そもそも、

「ここで講和するくらいなら、最初から戦争などしなければよかった」

 というかも知れない。

 実際は、

「陸軍の士気の低下の問題が、陸軍を戦争へと駆り立てた」

 のであって、

「戦争などしなければよかった」

 という選択肢は。そもそも、陸軍にはないだろう。

 それを考えると、

「無謀な戦争だった」

 というのは、

「一周回って正しい」

 といってもいいかも知れない。

 そういう意味で、

「戦争も、ブームに沿った事業も、引き際が肝心だ」

 といってもいいだろう。

 獄中で、

「死を選ぶことになったやよいという女性は、なぜ死を選ばなければいけなかったのか?」

 ということであるが、

 彼女としても、

「何か、引き際を間違えたのではないか?」

 と考えている人もいるようだった。

 ただ、その人が考えることとして、

「彼女は犯人ではないような気がする」

 ということであり、逆に、

「彼女は犯人ではないから、自殺をしたのではないか?」

 と考える人もいた。

 その考えは間違ってはいなかったが、それを警察で証明できるわけではないので、結局何もできなかった、

 そして、そんな奇抜な発想をしたのが、あるジャーナリストであり、その人が、

「元は、社会問題になった自費出版社けいの会社の幹部だった」

 ということは、誰も知らないだろう。

 彼は名前を、

「沢田恭三」

 という男で、自費出版社に入る前は、元々、新聞記者だった。

 彼は、新聞記者として、若さに任せて、真面目に勧善懲悪というものを目指して、勤めていた。

 しかし、若さからなのか、勧善懲悪が行き過ぎたからなのか、

「水が合わない」

 ということに気づき始めた。

 真面目にやればやるほど、自分が追い詰められるという理不尽な状況に、次第い耐えられなくなっていったのだ。

 そこで、当時ブームになりかかっていた、

「自費出版社系の会社」

 というおのに興味を持った。

 確かに、

「彼らのやり方には大いに興味をそそられる」

 ということで、

「うまくやれば、一世を風靡することができる」

 とも思ったのだ。

 だから、新聞記者をさっさと辞めて。自費出版業界に飛び込んだのだ。

「ああ、しまった。早まった」

 と感じたのは、結構早い時期だったが、

「時すでに遅く」

 ということであったのは、どうしようもない事実だった。

 彼には、結構早い時期から、

「自転車操業」

 ということであり、

「これは詐欺だ」

 と分かったのだ。

 何といっても、原稿を送ってきた人に対して、

「協力出版でお願いします」

 といっておきながら、実際には、

「定価よりも高い額を著者に吹っ掛ける」

 という、とんでもないことをしているからだった。

 実際には、出版業界というのが特殊なもので、

「数学で割り切ることのできない計算がそこにはある」

 ということになるのだろうが、

「そうは問屋が卸さない」

 ということになるのだろう。

 だから、

「誰が考えてもおかしい」

 と思えるのに、

「なぜ、それでも本を出そうという人が一定数いるんだろう?」

 というのが不思議で仕方がなかった。

 やはり、

「本を作れば、有名本屋に一定期間、置いてもらえる」

 ということが浸透しているのか、

「本という形にして本屋に並べば、プロの目に留まるかも知れない」

 という、

「まるで、砂丘で金を見つけるような、そんなあり得ないこと」

 を、夢として見ることになるのではないだろうか?

 そんなことを考えると、

「本を出したい」

 というのは、ただの、

「金のかからない趣味」

 というだけにとどまらない何かがあり、そのせいからか、

「簡単に、洗脳に引っかかってしまう人が多い」

 ということから、

「詐欺に引っかかる」

 ということになるのだろう。

 そもそも、

「自費出版社系」

 の会社が出てきた時というのは、

「プロになるには、新人賞を受賞するしかなく、さらに、受賞しても、そこからの継続が問題」

 ということで、

「完全に素人が挑むには不可能な門」

 と言われていたものが、

「万が一にも可能性がある」

 ということであれば、飛びつきたくなるというのも、無理もないということではないだろうか?

 だから、彼は、

「洗脳」

 にいち早く引っかかり、いち早く、

「ヤバい」

 と思ったが、抜けることのできないところに足を突っ込んでしまっていたのだろう。

 あとから思えば、

「簡単に抜けれたのではないか?」

 と思う。

 しかし、

「抜けれないには抜けれないだけの理由がある」

 ということであるが、それは、やはり、

「後になって気づく」

 ということで、結果としては、

「いいわけでしかない」

 ということになるのだろう。

 もっと言えば、

「沢田自身も、本を出したいという野望を持っていた」

 といってもいい。

 それを自覚できないのは、

「そもそも新聞記者のなったのが、本を出したいという夢に破れたからだった」

 と思っている。

 本来であれば、

「本を出せない」

 ということが分かったのであれば、書籍関係の仕事にはつきたくないと考えるのが本当ではないだろうか。

 例えば、

「パチンコが好きな人がいて、その人はその中でも、ある一定の機種が好きでパチンコをしているのだ」

 とすれば、

「もし、その台が空いていなければどうするか?」

 ということである。

 パチンコ自体が好きで、空いている台であれば、なんでもいいという人であれば、普通に他の代で遊ぶだろう。

 たいていのパチンコ好きの人は、そういう遊び方をするというもので、

「この機種が好きだ」

 ということでパチンコをしている人はあまりいないだろうから、

「好きな台が空いていなかったら、どうするか?」

 という選択肢はない。

 つまりは、

「空いている台で楽しむだけだ」

 ということで、機種にこだわる人であれば、たぶん、

「空いてなければ、帰るだろうな」

 ということであった。

 なぜなら、

「自分が好きな台を他の人が楽しんでいるのを気にしながら、果たして他の代を楽しむことができるだろうか?」

 ということである。

 最初からその台を狙いたいのであれば、

「朝市から並んで、その台を取る」

 ということでもないとできないと思えば、その店が、

「抽選による入場」

 ということであれば、

「座れるかどうか分からない状況で、何もその台を狙おうとは思わない」

 ということになるだろう。

 つまりは、

「完璧に座れるという確証がなければ、その店にはいかない」

 というのが、この場合の選択肢となるだろう。

 一度でも、

「好きな台を楽しんでいる人を横目に見てしまうということをしてしまうと、二度とこんな思いはしたくない」

 と考えることであろう。

「どうしてもやりたい」

 ということが、可能性として低い状態であれば、悔しい思いをしたくないという考えから、

「最初から、かかわらない」

 と思うはずなのだ。

 だからこの時、

「しまった」

 と思ったことは、

「それまでの自分の考え方を、自らで否定している」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、彼は幹部であったが、

「沈みゆく舟とともに死んでいく」

 というような真似はしなかった。

 さすがに、

「もうヤバい」

 と思った時からの行動は早く、すでに、

「自費出版社関係」

 というものから、完全に離れていた。

 これくらい極端に徹底しないと、

「一緒に船もろとも沈んでしまっていた」

 といっても過言ではなかったであろう。

 だからと言って、

「またマスゴミ関係」

 というのは、無謀だったかも知れないが、

「木を隠すには森の中」

 ということで、沢田とすれば、

「うまく逃げることができた」

 と考えたのであった。


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